建司の書斎

「キリスト者の希望」、「愛を学ぶ」等の著者、故相澤建司の遺稿説教原稿・聖書研究など。

Ⅷーキリストの来臨への希望-3&4 カール・バルトの見解/マラナタ

カール・バルトの見解 キリストの来臨に本格的に取り組んだのは(内村鑑三や中田重治の再臨論、藤井武「砂漠はサフランのごとく」、モルトマン「イエス・キリストの道」「神の到来」と共に)カール・バルトの「教会教義学」IV/3、七四節(一九五九)である。キリ…

Ⅷーキリストの来臨への希望-2 日本における来臨待望②中田重治

中田重治の再臨論 中田重治はアメリカの福音派W・E・ブラックストンの「主はきたりぬ」 (一九〇九)を翻訳出版(一九一七・大正六年、「全集」第四巻所収。中田の著書は翻訳のみで、評論・講演・説教はすべて口述筆記)。「キリストが来たって、この世をきよめ…

Ⅷーキリストの来臨への希望-2 日本における来臨待望①内村鑑三

日本の教会におけるキリストの来臨への待望の実例 内村鑑三、中田重治の再臨論 ヨーロツパで第一次大戦が行なわれていた最中、日本の教会においては、一九一八(大正七)年一月いわゆる再臨運動が起きた。無教会の内村鑑三、ホーリネス教団の創立者・中田重治(…

Ⅷーキリストの来臨への希望-1 来臨の遅れに関する譬

第八章 キリストの来臨への希望 キリスト来臨の遅れに関する譬 すでにみたように、キリストの来臨の時に、眠りについた(死んだ)キリスト者の復活が起きるとパウロは語った。しかしこのキリストの来臨を遥かに遠い将来の出来事とみなし、自分の死のほうが確実…

Ⅶ-キリスト者の復活への希望-4 希望に逆らう希望② 

アブラハムの範例 私たちの信仰者の父、アブラハムの範例をみたい。アブラハムの信仰が神によって義とされたのは、いまだ子のいない、その彼の子孫が将来、夜空の星のように増大するとの神の将来的な計画・約束を彼が信じたことによる(創世一五・六)。 「ア…

Ⅶ-キリスト者の復活への希望-4 希望に逆らう希望① 

希望にさからう希望 「死後ただちにキリストと共にあって、やがて霊の体によみがえらされることを待ち望む」。これがキリスト者の希望の形である。これは、不滅への希望であり(マルセル)、目に見えないものへの希望である(パウロ)。古代ギリシャの希望像にお…

Ⅶ-キリスト者の復活への希望-3 キリスト者の復活③ピリピ1章(2)

O・クルマンの解釈 クルマン(フランスの新約学者、著書「キリストと時」「ペテロ」など)はけして《死者たちは死後ただちに復活するのではない》と述べている、 「ピリピ一・二三におけるパウロの言葉を考えよう。『世を去って、キリストと共にあることを私…

Ⅶ-キリスト者の復活への希望-3 キリスト者の復活③ピリピ1章(1)

ピリピ一・二〇~二三 死後キリストと共に パウロはキリスト者の復活を 「キリストの来臨とは別の時点でも起こる」 と考えていたようにもみえる。はたしてそうであろうか。 「私の渇望している希望は、…生をとおしてであれ死をとおしてであれ、 私の体でもっ…

Ⅶ-キリスト者の復活への希望-3 キリスト者の復活②Ⅰコリント15章(2)

五四節の旧約聖書の引用箇所「死は勝利に飲みつくされてしまった」は、ヘブル語聖書のイザヤ二五・八「主は永遠に死を滅ぼされる」(周知のように、ここは第一イザヤ白身よりのちの後期ユダヤ教の時期のイザヤ黙示録の一部)。パウロの引用はこれとも七〇人訳…

Ⅶ-キリスト者の復活への希望-3 キリスト者の復活②Ⅰコリント15章(1)

第一コリント一五・五〇~五七 「兄弟たちよ、このことを私は言いたい、肉と血は神の国を受け継ぐことはできない、滅びゆくものは不滅のものを受け継ぐことはできないと。見よ、私はあなたがたに奧義を告げる。すなわち私たちすべてが眠りにつくのではなく、…

Ⅶ-キリスト者の復活への希望-3 キリスト者の復活①Ⅰテサロニケ4章 

キリスト者の復活 現代のキリスト者の問題の一つには「死後のテーマ」がキリスト者の意識から脱落している点があるようだ。しかもこの脱落は自覚されることも少ない。自分たちの人生の終局、死によって私たちが「圧倒されている」からなのか。 従来キリスト…

Ⅶ-キリスト者の復活への希望-2  藤井武のキリスト者の復活論②

また藤井はこう続けている、 「元来《血気の体》に適用せらるるべく起りし今日の生理学が《霊の体》を説明しうるはずがない。我らはただ新約聖書のなかの僅少なる暗示を握るのみ。『こう聖書に書かれている<第一の人間アダムは生きたものとされた>[創世記二…

Ⅶ-キリスト者の復活への希望-2  内村鑑三・藤井武のキリスト者の復活論①

内村鑑三・藤井武のキリスト者の復活論 日本のキリスト者の場合の「キリスト者の復活」についての見解 キリスト者は「使徒信条」(後二七〇年以後)を唱和するたびに、最後のくだり「我は、肉体のよみがえり、永違の生命を信ず」と唱えてきた。そして漠然とで…

Ⅶーキリスト者の復活への希望-1 キリスト者の死

第七章 キリスト者の復活への希望 キリスト者の死 聖書は人間の死を二つの視点からみている。一つは、人間は罪を犯したからその報いとして死ぬ、呪いとしての死という見解。もう一つは、被造物存在のもつ有限性、限りある生命のゆえに、死ぬ、自然的な死とい…

Ⅵーパウロの復活理解-5 復活からみたイエスの十字架の意味

復活からみたイエスの十字架の意味 大祭司カヤパと総督ピラトの有罪判決に対する神の判決 イエスの復活は、イエスに対する「歴史的な訴一訟」すなわちイエスに対してはられたレッテル「瀆神者」「反乱指導者」「神に見捨てられた者」に関して《神ご自身の側…

Ⅵーパウロの復活理解-4 コリント教会の復活否定論②

二、彼らがグノーシス主義者との解釈 リーツマンによれば、「彼らはおそらく《ユダヤ教的な(死人の)復活の教説》につまづいて、ギリシャ的な《霊魂不滅という教説》を強調したのだ」(前掲書)。周知のように、ギリシャ人にとって復活という教説はなじみのない…

Ⅵーパウロの復活理解-4 コリント教会の復活否定論者①

第一コリント一五・一二~一九 「しかしキリストが死人たちの中からよみがえらされたと、宣教されているのに、あなたがたのうちの数人の者が、死人のよみがえりはけしてないと言っているのはどうしたわけか。しかし死人のよみがえりがないならば、 キリスト…

Ⅵーパウロの復活理解-3 後期ユダヤ教「死人の復活」

死人の復活を否認する人々 原始キリスト教は、後期ユダヤ教の黙示思想(世の終末、最後の審判、死者の復活など)における「人の子の切追した来臨への待望」「世の終りにおける死者一般の復活への待望」を引き継いだ(ケーゼマン「キリスト教神学の起源としての…

Ⅵーパウロの復活理解-2 使徒行伝九章パウロへの顕現

使徒行伝九章 ここでダマスコ途上で回心してキリスト者となった記事、行伝九、二二、二六章にあるパウロの復活のキリストとの出会いについて、言及したい。パンネンベルクは、第一コリント一五・八以下と行伝九章を連動させて取り上げた(「キリスト論要綱」)…

Ⅵーパウロの復活理解-1 パウロが受けた復活伝承③

五〇〇人以上の兄弟への顕現 第一コリ一五・六。パウロはこの「五〇〇人以上の兄弟」で原始教会のメンバーを考えていたことは確かである。この箇所は元来定形的伝承にあったものではなく、パウロ自身が書いたものだ。 これはいつごろの時点のキリスト者集団…

Ⅵーパウロの復活理解-1 パウロが受けた復活伝承②

ぺテ口と一二人への一顕現(五節) ケパ・ペテロ(ペテロの名はへブル名シメオンの、ギリシャ的呼び名シモン。アラム語のあだ名が「岩」を意味するケパ、そのギリシャ語訳がペテロ。出身はガリラヤのべツサイダ。職業は漁師。結婚していて兄弟にアンデレがいる…

Ⅵーパウロの復活理解-1 パウロが受けた復活伝承①

第六章 パウロの復活理解パウロが受けた復活伝承 第一コリント一五・三一七のパウロの復活証言は、新約聖書の最古の、信頼しうる復活の報告である、グラース。この書簡は後五六~五七年に成立し、自ら復活顕現に出会ったパウロが書いたもので、福音書の復活…

Ⅴー復活の史実性の問題性-5 マグダラのマリアへの顕現

マグダラのマリアへの復活顕現 ヨハネ伝は、復活のキリストが最初に現われたのは、ペテロではなく、マグダラのマリアであったと述べている。マタイ二八・一以下、マルコ一六章の追補部分でもそう述べている。この立場は、復活のキリストが最初にケパ・ペテロ…

Ⅴー復活の史実性の問題性-4 トマスへの顕現

トマスへの顕現 復活した方の「身体具有性」を述べたもう一つの箇所はヨハネ二〇・一九~二九。ここでは復活した方が弟子たちに「その手足を見せる」(ルカ伝)というポイントが大きく二点にわたって展開されている。 第一に、復活した方が弟子たちに見せら…

Ⅴー復活の史実性の問題性-3 復活への疑いを克服するモチーフ、動機づけ  

復活への疑いを克服するモチーフ、動機づけ ルカ二四・三六以下の記事の動機づけは、イエスの復活に対する弟子たち自身の「疑いを克服すること」にあると考えられる。 福音書の復活顕現記事を注意深く読んでいくと、弟子たちがイエスの復活を信じられなかっ…

Ⅴー復活の史実性の問題性-2 史実的研究方法の問題② 

パンネンペルクの立場 さて「イエスの復活は史実的出来事である」と主張する現代の唯一の神学者パンネンベルクの見解をみてみよう。 「歴史家[聖書学者]は原始キリスト教の成立に導いた復活の出来事の歴史的な関連を再構成する義務を負っている。その場合、…

Ⅴー復活の史実性の問題性-2 史実的研究方法の問題① 

史実的研究方法の問題 さて聖書の解釈に対して「史実的方法」を提起したのは、ドイツの神学者エルンスト・トレルチである(一八六五~一九二三、著書「教会の社会的教説」など)。彼は「神学における史実的方法と教義学的方法」(一八九八)という論文の中でこう…

Ⅴー復活の史実性の問題性-1 心理学的解釈 

第五章 復活の史実性の問題性 「人間の希望は人間の死によってついえ去ってしまう」 という逃れようのないアポリア・難局をもっている。この難局を突破する希望の形としては、ヨブの希望があった。そして死によってもついえ去ることがない希望がキリスト教の…

Ⅳーイエスの十字架と絶望-3 イエスの十字架上の叫び③

女性弟子たちの随順 イエスの十字架においても、マグダラのマリアはその場に居合わせている。 「そこには、《遠くのほうから眺めている》多くの女たちがいた。彼らは《イエスに仕えてガリラヤから従ってきた》人たちであった。その中にはマグダラのマリア、…

Ⅳーイエスの十字架と絶望-3 イエスの十字架上の叫び②

旧約聖書学者クラウス・ヴエスタマンの解釈 「神に見捨てられたという嘆きは、詩篇においては重い出口なき苦しみの表現である。詩篇の:嘆きの歌においては、 神へのこの訴えはしばしば私たちが世俗的な言葉で絶望、無意味さの深淵の経験と名づけていることを…