建司の書斎

「キリスト者の希望」、「愛を学ぶ」等の著者、故相澤建司の遺稿説教原稿・聖書研究など。

神のマナ  申命記8:2~3

2003-3(2003/1/19) 神のマナ 申命記8:2~3 「またあなたの神、ヤハウェがあなたを40年荒野へと導いた、そのすべての道を想起しなさい。それはあなたを謙虚にさせ、あなたを吟味し、あなたがヤハウェの戒めを守るか否か、あなたの心を知るためで…

神への愛2  申命記6:4~5 マルコ12:29~31

2003-1(2003/1/5) 神への愛2 申命記6:4~5 マルコ12:29~31 マルコ12:29における「神への愛」について、取り上げたい。神への愛を一体どのように理解すればようのか。キリスト教神学、信仰においては、神への愛は中心的なテーマとは…

主を愛せよ  申命記6:4~9

2002-42(2002/12/29) 主を愛せよ 申命記6:4~9 「イスラエルよ、聞け。われわれの神、ヤハウェはただ一人の方としてのヤハウェである。あなたは心をつくして、精神をつくし、力をつくして(全心で、全霊で、全力で、ラート訳)ヤハウェを愛さなけ…

偶像製造の禁止  申命4:15~19

2002-41(2002/12/22) 第二戒 偶像製造の禁止 申命4:15~19 まず緒論を少し。申命記という名。申は申す、という意味ではなく、「重ねる」という意味で、重ねて律法の命令が語られた書、くらいの意味、関根注解。著者は単数ではなく、いわゆる申…

マルコ伝の人の子の来臨3&4

2002-38(2002/11/24) マルコ伝の人の子の来臨3 マルコ3:27 27節においては、人の子来臨の後の行為について述べている。「み使いの派遣」であり、具体的には「四方からの選ばれた者たちの呼び集め」である。この背景には、神の民が全地に散らさ…

マルコ伝のキリストの来臨1&2

2002-36(200211/10) マルコ伝のキリストの来臨1 8:38~9:1 マルコ伝は3つの「人の子の来臨」につい述べている。8:38以下、13:26以下、14:62以下である。 8:38~9:1「この不倫で罪深い世で誰でも私と私の言葉を恥じるな…

キリスト者の罪責告白2 戦争責任告白の問題

戦責告白の問題 95年5月、敗戦50周年を迎えたドイツのカトリックとプロテスタントの教会の代表は合同で声明「言葉」を出した。しかし日キ教団は何の罪責告白も出さなかった。日キ教団は旧約聖書、哀歌5:7の言葉を拒否したのだ。「私たちの父母たちは…

キリスト者の罪責告白の問題1  辻宣道牧師の問題提起  

2002-30(2002/8/11) 辻宣道牧師の問題提起 キリスト者の罪責告白の問題 辻宣道牧師は(1988~92年まで日基教団議長) その著書「ホーリネス弾圧と私たち」(1992)の中で、戦時下ホーリネスの弾圧における問題点を取り上げている (弾圧事件は1…

信教の自由 勝田文相の発言  柏木義円

2002-28(20027/28) 信教の自由1 勝田文相の発言 柏木義円 日本のキリスト者においては、憲法の言う「信教の自由」をただ内面におけるものと把握し、この自由が外面における宗教活動、信教の自由の行使の自由、すなわち布教、集会・礼拝、言論、出版…

終末論研究の歴史4  A・シュヴァイツアー

2002-27(2002/7/21) 終末論研究の歴史4 A・シュヴァイツアー マタイ11:12 「イエス伝研究史」(1906、第一版序文)でシュヴァイツアーはこうのべている 「四方八方が静かであった。その時洗礼者ヨハネが現われて叫ぶ。悔い改めよ。神の国…

終末論の研究史3  ドッド「神の国の譬」

2002-26(2002/7/14) 終末論の研究史3 ドッド「神の国の譬」マタイ19:28 二、人の子の来臨について このポイントについてのドッドの解釈は想定されるとおり、否定的である。彼はマタイ19:28「新しい世界が生まれて人の子が栄光の座につく時…

終末論の研究史1&2

2002-24(2002/6/30) 終末論の研究史1(終末論イエス) 第一ペテロ1:3~4 「終わりのこと」という論文集(2002)の中の「新約聖書の終末論をめぐる現在の論争」(ハルトグレン)を取り上げたい。その論文には終末論に関する簡単なスケッチが…

トマスへの顕現  ヨハネ20:24~28

2002-21(2002/6/9) トマスへの顕現1 ヨハネ20:24~28 他の弟子たちは復活の主に触れることなく、主の復活を信じた。しかしトマスは「主の手と脇腹との傷痕に触れること」がないならば、イエスの復活を納得できないと言い切った(25節)。「…

エマオの弟子たちへの説明  ルカ24:25~32

2002-20(2002/6/2) エマオの弟子たちへの復活させられた方の説明 ルカ24:25~32 復活のイエスご自身がエマオに向う弟子たちにこう語られた、 「(復活の)イエスは二人に言われた『ああ、預言者たちが言ったことを何ひとつ信じなない、悟りの…

ルカの復活理解3&4  ルカ24:36~43

2002-17(2002/5/12) ルカの復活理解3 ルカ24:36~43 《イエスの復活における身体性》に関して、パウロの見解「霊の体」とルカ(およびヨハネ)「骨と肉の体」の双方を新約聖書は述べている。ではこれ対して私たちはどう判断したらよいのか。…

(復活)モルトマンの立場  ロマ8:34

2002-14(2002/4/21) モルトマンの立場 ロマ8:34 モルトマンも《復活の史実性を否定する》。 むろん彼は復活を否定しているのではなく、むしろ彼は現代の神学者の中で最も精力的に復活を肯定して力強く復活論を展開している一人である。彼が復活の…

復活からみたイエスの十字架の意味  ロマ8:32

2002-11(2002/3/31) 復活からみたイエスの十字架の意味 ロマ8:32 大祭司カヤパと総督ピラトの有罪判決に対する神の判決 イエスの復活は、イエスに対する「歴史的な訴訟」すなわちイエスに対してはられたレッテル「瀆神者」「反乱指導者」「神に見…

十字架  マタイ27:45~50

2002-10(2002/3/24) 十字架 マタイ27:45~50 メシアであるイエスの苦難と十字架の死を《美しい、気高い死》《その時点における贖罪の死であった》として理解することは、いくつかの問題を惹き起こす。 第一に、「十字架のつまずき」(ガラテヤ…

ローマ帝国への叛乱指導者のポイント  ヨハネ18:33~36

2002-9(2002/3/10) ローマ帝国への叛乱指導者のポイント ヨハネ18:33~36 ユダヤ最高法院はイエスに死刑の判決を出した(マルコ14:64、並行)。ところが最高法院はイエスを総督ピラトに渡した。ユダヤの法では瀆神罪には石打ちの死刑が定め…

カヤパの審問  マタイ26:62~64

2002-8(2002/3/4) カヤパの審問 マタイ26:62~64 さてユダヤ教当局、 最高法院でイエスが告発された中心ポイントは、大祭司カヤパの審問にあるように「あなたは讚美される方の子、メシアなのか」(マルコ14:61、マタイ26:63)、すな…

男性弟子たちの逃亡と絶望  マタイ26:43~50

2002-7(2002/2/24) 男性弟子たちの逃亡と絶望 マタイ26:43~50 イエスがユダヤ教当局の者たちによって捕縛されたきっかけは、弟子の一人イスカリオテのユダがイエスを裏切ってユダヤ教当局に金で売ったためであった(マタイ26:14以下)。…

イエスの十字架と絶望  マルコ14:32~35

2002-6(2002/2/17) イエスの十字架と絶望 マルコ14:32~35 イエスは絶望されたのだろうか。ゲッセマネの夜におけるイエスをみてみたい。「やがて彼ら[イエスと弟子たち]はゲッセマネと呼ばれる場所に来た。イエスは弟子たちに言われた『私が…

来臨の遅延5 日本における再臨待望3

2002-5(2002/2/10) キリストの再臨3 マタイ24:32~33 中田は、再臨運動の時点での評論「主の再臨」の中でこう述べてている、 「主の再臨は、十年内にあるような気がすると、ある兄弟が申された。われらはある一派のごとく再臨の時を定めて騒ぐ…

来臨の遅延4 日本における再臨待望2

2002-4(2002/2/3) 主の来臨の遅延3 マタイ24:36 第三の脱線として、内村は「神癒」を否定した。神癒は共に再臨運動をした中田重治のホーリネス教団が強調した宗教的な癒し行為で、内村はこれに反対した。「医術は悪魔の発見なりと唱え 医療は不…

来臨の遅延3 日本における再臨待望1

2002-3(2002/1/23) 日本におけるキリストの来臨への待望の実例 内村整三、中田重治の再臨論 欧米で第一次大戦が行なわれていた最中、日本の教会においては、1918(大正7)年いわゆる再臨運動が起きた。無教会の内村鑑三、ホーリネス教団の創立者…

来臨の遅れ2  ルカ12:35~38

2002-2(2002/1/20) 来臨の遅れ2 ルカ12:35~38 目をさまして主人の帰りを待つ僕の譬でも(マタイ24:45~51)、来臨の遅延が取り上げられている。この譬でも、主人の不在中、すなわち中間時におけるキリスト者の行動が眼目である。 「主…

キリスト再臨の遅延1 キリスト来臨の遅れに関する譬

2002-1(2002/1/13) キリスト来臨の遅れに関する譬 すでにみたように、キリストの来臨の時に、眠りについた(死んだ)キリスト者の復活が起きるとパウロは語った。しかしこのキリストの来臨を遥かに遠い将来の出来事とみなし、自分の死のほうが確実に早…

キリスト者の死2

2001-53(2001/12/30) キリスト者の死2 黙示録20:4~6、12~15 「第二の死」 からの解放 すべての人間の地上的な生命はいつか終る。あえていえば「第一の死」である。しかしそれですべてが終るのではない。旧約のダニエル書は万人の死後の復…

キリスト者の死1

2001-52(2001/12/23) キリスト者の復活への希望 キリスト者の死 聖書は人間の死を二つの視点からみている。一つは、人間は罪を犯したからその報いとして死ぬ、呪いとしての死という見解。もう一つは、被造物存在のもつ有限性、限りある生命のゆえに、…

死後キリストと共に4  ピリピ1:23

2001-51(2001/12/16) 死後キリストと共に4 ピリピ1:23 第三に、クルマンは、第二コリ5:1以下に言及している、「私たちが(地上的な)衣服[体]を脱いでも《裸でいる》ことにはならないであろう。なぜなら私たちは[グノーシス主義者のように…