建司の書斎

「キリスト者の希望」、「愛を学ぶ」等の著者、故相澤建司の遺稿説教原稿・聖書研究など。

井上良雄著「戦後教会史と共に」読後感想(4)

1996講壇1(1996/3/31~1996/6/16) 井上良雄著「戦後教会史と共に」読後感想(4) 「キリスト者平和運動の過去・現在・未来」(一九六三)において、井上氏は「戦時中の日本の教会の過ち」について「信仰と政治の二元論に似たものが、戦前・戦中を通じての…

井上良雄著「戦後教会史と共に」読後感想(3)

1996講壇1(1996/3/31~1996/6/16) 井上良雄著「戦後教会史と共に」読後感想(3) 「赤岩さんに問う」(一九六三)において、すでにみたように論争点の一つは、井上氏がキリスト者平和運動には「神学的根拠」を不可欠としたのに、赤岩氏のほうはそれを不要…

井上良雄著「戦後教会史と共に」読後感想(2)

1996講壇1(1996/3/31~1996/6/16) 井上良雄著「戦後教会史と共に」読後感想(2) 戦後特に東ヨーロッパにおいて共産党政一確が次々に誕生した状況のもとで、教会の指導者たちは、教会・キリスト教は共産党政確や共産主義にどのような態度をとるべきかとい…

井上良雄著「戦後教会史と共に」読後感想(1)

1996講壇1(1996/3/31~1996/6/16) 井上良雄著「戦後教会史と共に」読後感想(1) 九五年の五月、日キ平の総会のおり、敗戦までのキリスト者の戦争責任の問題は、もうじきに私の本が出るから、今度は戦後五〇年のキリスト者の歩みについて検証すべきでは…

死の中で神に出会うー5

パンフレット2-5 Ⅲ ルターの死についての見解 ルターの「死に対する準備についての説教」(抜粋) ルターは死への恐怖を訴えるある信徒の依頼に応答する説教を1519年に出版した。翻訳は1948年に藤田孫太郎訳が出た(「ルタ一選集I」所収、24ペ…

死の中で神に出会うー4

パンフレット2-4 被造物性としての人間の死ーー創世記2、3章 ここからは「罪の報酬としての死」ではなく、被造物性としての死のテーマを取り上げたい。死のこの二つの形の間には、《「第二の死」からの解放の出来事としてのイエス・キリストの十字架の…

死の中で神に出会うー3

パンフレット2-3 父なる神によるみ子の放棄としてのイエスの死 ロマ8:32「ご自分のみ子を惜しまないで、私たちすべての者のために十字架の死に《引き渡したもうた》方」。ここではイエスの死を父が子を《十字架に引き渡し・見捨てた》行為として解釈さ…

死の中で神に出会う-2

パンフレット2-2 Ⅱ 新約聖書における死の理解 「第二の死」の視点 新約聖書における死についての見解の特徴は、周知のように、イエス・キリストの十字架上の死が中心にすえられている点にある。「新約聖書の認識の中心は、イエス・キリストの十字架の死の…

死の中で神に出会う-1

パンフレット2-1 死の中で神に出会う -聖書における死についての連続説教- 相澤建司 著はじめに このパンフは死についての連続説教をまとめたものである。これまで2年ほど「死について」礼拝で聖書を学んできた。 その過程で、死について、広い視点か…

自然的・被造物としての死

2005-7(2005/5/22) 自然的・被造物としての死 バルトは「イエス・キリストの死においてのみ、私たちの死からの解放が起きたのだ」(748)について、こう述べた、「《死からの救済》は、人間が死ぬことを免れて、死なない存在へと救われるということ…

眠りとしての死

2005-6(2005/5/15) 眠りとしての死 新約聖書はキリスト者の、《自然的な死》を「眠り」と呼んだ。「私たちの友ラザロが眠っている」(ヨハネ11:11)。復活顕現に出会った500人以上の兄弟たちのうち「数人が眠りについた」、「キリストにあって…

バルトの死の見解2

2005-5(2005/5/8) バルトの死の見解 2 5、バルトは述べている、人間存在に終わりがあるということは、事実人間が咎あるものであるという影の中にあることを示している。私たちは死においてただ死と対峙するだけではなく、また《神とも対峙させられる…

バルトの死の見解1  ロマ5:12

2005-4(2005/5/1) バルトの死の見解 ロマ5:12 1、バルトは言う、人間の死は神によって承認され、私たちの身に宿命的に定まったものものでは《ない》、また神によって意志された悪として、神の創造そのものに《由来したものではない。したがって人…

み子の献身  Ⅱコリント5:19

2005-3(2005/4/24) み子の献身 Ⅱコリ5:19 イエスの十字架の死を、パウロは一方では父なる神の行為とみなした。ロマ5:8「しかし私たちがまだ罪人であった時、キリストが私たちのために死んでくださったことによって、神は私たちに対する愛をしめ…

ルターの「キリストの受苦の考察についての説教」

2005-2(2005/3/10) ルターの「キリストの受苦の考察についての説教」テキスト:第一ペテロ2:24 この説教は1519年に出版された。日本語訳は1949年に藤田孫太郎訳が出た(ルター選集Ⅱ所収)。翻訳で17ページのもの。印象に残った箇所を取…

「キリストの十字架の死」についての解釈  ルカ24:8~27

2005-1(2005/4/10) 「キリストの十字架の死」についての解釈 ルカ24:8~27 (1)イエス・キリストの十字架の死の《時点》では、その死の意義はイエスの弟子たち、随伴者たちには全く理解されなかったようだ。始めのうちイエスの十字架は弟子や随順…

エジプトへの避難と帰還  マタイ2:13~23

1998講壇ー1(1998/1/4) エジプトへの避難と帰還 マタイ2:13~23 まず16~17節のへロデの幼児殺害について。このへロデの大量殺裁が実際あったかどうか《疑わしい》という根拠として(1)幼児期に通害を受けて逃亡する例として、モーセ、キロ…

クロス王  イザヤ44:28~45:1

週報なしー52 クロス王 イザヤ44:28~45:1 バビロニア捕囚の時期、活動した預言者は二人いた。一人はエゼキエル(前593~571頃活動)、もう一人は第二イザヤである。第二イザヤとは、イザヤ40~55章までを書いた無名の預言者で、やむを…

弟子たちの派遣2 マタイ10:9~15

2003-5(2003/2/2) 弟子たちの派遣2 マタイ10:9~15 「(旅には)金貨も銀貨も小銭も帯の中に入れていくな。旅にはリックサックも、二枚の下着も靴も杖もいらない。働く者は食べ物をもらう値うちがあるからだ。町や村に入った時には、ふさわしい…

12弟子の召命と派遣1  マタイ10:1~8

2003-4(2003/1/26) 12弟子の召命と派遣1 マタイ10:1~8 「イエスは12弟子を一緒に呼び寄せられて、あらゆる病気と病人を癒すため、汚れた霊に対する全権を与えられた。2~4節省略。イエスは12人に次のように命じて派遣された。『異邦人…

ガリラヤでの伝道開始  マタイ4:12~17

2003-2(2003/1/12) ガリラヤでの伝道開始 マタイ4:12~17 旧約の歴史書の講読と並行して、新約聖書のマタイ伝の講読に取り組みたい。1章から順番にというのでなく、主題的な接近を試みたい。幸いにしてルツの注解EKKが完結したので参照でき…

神のマナ  申命記8:2~3

2003-3(2003/1/19) 神のマナ 申命記8:2~3 「またあなたの神、ヤハウェがあなたを40年荒野へと導いた、そのすべての道を想起しなさい。それはあなたを謙虚にさせ、あなたを吟味し、あなたがヤハウェの戒めを守るか否か、あなたの心を知るためで…

神への愛2  申命記6:4~5 マルコ12:29~31

2003-1(2003/1/5) 神への愛2 申命記6:4~5 マルコ12:29~31 マルコ12:29における「神への愛」について、取り上げたい。神への愛を一体どのように理解すればようのか。キリスト教神学、信仰においては、神への愛は中心的なテーマとは…

主を愛せよ  申命記6:4~9

2002-42(2002/12/29) 主を愛せよ 申命記6:4~9 「イスラエルよ、聞け。われわれの神、ヤハウェはただ一人の方としてのヤハウェである。あなたは心をつくして、精神をつくし、力をつくして(全心で、全霊で、全力で、ラート訳)ヤハウェを愛さなけ…

偶像製造の禁止  申命4:15~19

2002-41(2002/12/22) 第二戒 偶像製造の禁止 申命4:15~19 まず緒論を少し。申命記という名。申は申す、という意味ではなく、「重ねる」という意味で、重ねて律法の命令が語られた書、くらいの意味、関根注解。著者は単数ではなく、いわゆる申…

マルコ伝の人の子の来臨3&4

2002-38(2002/11/24) マルコ伝の人の子の来臨3 マルコ3:27 27節においては、人の子来臨の後の行為について述べている。「み使いの派遣」であり、具体的には「四方からの選ばれた者たちの呼び集め」である。この背景には、神の民が全地に散らさ…

マルコ伝のキリストの来臨1&2

2002-36(200211/10) マルコ伝のキリストの来臨1 8:38~9:1 マルコ伝は3つの「人の子の来臨」につい述べている。8:38以下、13:26以下、14:62以下である。 8:38~9:1「この不倫で罪深い世で誰でも私と私の言葉を恥じるな…

キリスト者の罪責告白2 戦争責任告白の問題

戦責告白の問題 95年5月、敗戦50周年を迎えたドイツのカトリックとプロテスタントの教会の代表は合同で声明「言葉」を出した。しかし日キ教団は何の罪責告白も出さなかった。日キ教団は旧約聖書、哀歌5:7の言葉を拒否したのだ。「私たちの父母たちは…

キリスト者の罪責告白の問題1  辻宣道牧師の問題提起  

2002-30(2002/8/11) 辻宣道牧師の問題提起 キリスト者の罪責告白の問題 辻宣道牧師は(1988~92年まで日基教団議長) その著書「ホーリネス弾圧と私たち」(1992)の中で、戦時下ホーリネスの弾圧における問題点を取り上げている (弾圧事件は1…

信教の自由 勝田文相の発言  柏木義円

2002-28(20027/28) 信教の自由1 勝田文相の発言 柏木義円 日本のキリスト者においては、憲法の言う「信教の自由」をただ内面におけるものと把握し、この自由が外面における宗教活動、信教の自由の行使の自由、すなわち布教、集会・礼拝、言論、出版…