建司の書斎

「キリスト者の希望」、「愛を学ぶ」等の著者、故相澤建司の遺稿説教原稿・聖書研究など。

キリストと共に(五)(六)

2000講壇5(2000/10/28~2000/12/3) キリストと共に(五) 「私が切望しているのは、(世を)発ち去って、キリストと共にいることである。そのほうがはるかによいからだ」。 「世を発ち去る・アナルオー」は、死、旅立ち、を意味しているが、停泊した…

キリストと共に(三)(四)

2000講壇5(2000/10/28~2000/12/3) キリストと共に(三) ピリピ一:二一 「キリストにある新しい被造物」(第二コリ五:一七)ガラ二:二〇「私を愛し私のためにご自身を渡したもう神の子を信じる信仰にある生」など。しかし他方バルトはこことの関…

キリストと共に(一)(二) ピリピ1:20~

2000講壇5(2000/10/28~2000/12/3) キリストと共に(一) ピリピ一:二〇「私の渇望している希望は、自分が決して恥を受けることではなく、むしろいつもそうなったようにまさしく今もまた、[私の]生をとおしてであれ死をとおしてであれ、私の体でも…

キリスト者の復活(五) 藤井武(4)

キリスト者の復活(五) 藤井武の来世研究(4) キリスト者は死後どうなるか、これについて新約聖書は二つの箇所で語っているとみた。一つは、ルカ二三:四三、もう一つはピリピ一:二一以下だと。 ルカ二三:三九以下、イエスの両脇ではりつけにされた罪人…

キリスト者の復活(四) 藤井武(3)

キリスト者の復活(四) 藤井武の来世研究(3) 「《死よ、いつにても襲いきたれ、私は汝の背後に私の最も慕う所のものを見るがゆえに、すべて汝の刺[とげ]に耐えることができる》。しかしながら聖書が我らにもたらす嘉信はこれに止まらない。もし歓喜にみ…

キリスト者の復活(三) 藤井武(2)

キリスト者の復活(三) 藤井武の来世研究(2) 「[第一コリント一五:四四]ここにパウロはキリスト者の受くべき未来の身体が現在の肉体と全く性質を異にするものである事を明らかにせんと欲して、…豊かなる類例を提供せしめ、しかる後に力強き結語を下し…

キリスト者の復活(二)

2000講壇4(2000/8/27~2000/10/28) キリスト者の復活(二) 藤井武の来世研究(1) 藤井武(一八八八~一九三〇)は無教会主義者、内村鑑三の弟子。四年の役人生活をやめて後、内村の助手となり、一九二〇・大正九年に独立、「旧約と新約」誌発行。…

キリスト者の復活(一)

2000講壇4(2000/8/27~2000/10/28) キリスト者の復活(一) 内村鑑三の場合 キリスト者は「使徒信条」の祈りのたびに、最後のくだり「我は、体のよみがえり、永遠の生命を信ず」と祈ってきた。そして漠然とではあっても「自分たちの生命は死によって…

キリスト者の死(二)

2000講壇3(2000/7/30~2000/8/20) キリスト者の死(二) キリスト者の過去における死 パウロは、キリスト者が生前すでに自分の死「礼典的な死」を体験しているという。 「キリスト・イエスへと洗礼された私たちはみなキリストの死へと洗礼されたのだ。…

キリスト者の死 (一)

2000講壇3(2000/7/30~2000/8/20) キリスト者の死 (一) 旧約聖書のイザヤ三八:一八以下のヒゼキヤの祈りでは、死者が神との絆が断ち切られているとみている 「陰府はあなたを讃美せず、死はあなたをほめたたえない。墓にくだる者はあなたの真実を待ち…

イエスの十字架と絶望(七)

1999講壇3(1999/11/14~1999/12/26) イエスの十字架と絶望(七)ピラトの審問 もし私の国(支配)がこの世のものであったら捕縛の時にも、私をユダヤ人に渡さないために私の手下がこの世的な手段・武器をもって反抗したはずである(ヨハネ一八:三六)…

イエスの十字架と絶望(六)

1999講壇3 (1999/11/14~1999/12/26) イエスの十字架と絶望(六) ピラトの審問 サンヘドリン・最高法院は、確かにイエスがご自分をメシアだと告白されたゆえに、イエスに瀆神罪で死刑判決を出した(マタイ二六:六六)。しかし彼らはたとえ瀆神罪など…

イエスの十字架と絶望(五)

1999講壇3(1999/11/14~1999/12/26 ) イエスの十字架と絶望(五) 最高法院での審問 話が相前後するが、最高法院での審問、ピラトの審問を取り上げたい。 「人々はイエスを捕らえて、大祭司カヤパのもとに引いていった。そこには律法学者、長老たちが集…

イエスの十字架と絶望(四)

1999講壇3(1999/11/14~1999/12/26) 十字架上の叫び それゆえ十字架のイエスの叫びのもつ「絶望、神に見捨てられること」要素は決して除去されても薄められてもならない。 第三に、イエスの叫びを父なる神と御子・子なる神との壮絶なやりとりとみる解釈…

イエスの十字架と絶望(三)

1999講壇3 ( 1999/11/14~1999/12/26) イエスの十字架と絶望(三) 十字架上の叫び このへプル二・九の読み方は「カリス・テウー・神の恵みで」(「キリストは神の恵みで私たちすべてのために死を味わわれた」)とハルナックらの「コーリス・テウー・神…

イエスの十字架と絶望(一)&(二)

1999講壇3(1999/11/14~1999/12/26) イエスの十字架と絶望(一)&(二) ゲッセマネの夜 「やがて彼らはゲッセマネと呼ばれる場所に来た。イエスは弟子たちに言われた『私が祈り終るまで、ここで坐っていなさい』。そしてイエスはべテロとヤコブとヨハ…

病人の希望(三)

1999講壇2(1999/10/31~1999/11/14) 病人の希望(三) 彼女の次の行動「群衆の中で(交じって)」は、先のレビ記の箇所をふまえると、自分が交わりを締め出されている、人中に出た彼女の必死の大胆な行動である。 「後からイエスの衣に触った」は、彼…

病人の希望(二)

1999講壇2(1999/10/31~1999/11/14) 病人の希望(二) マグダラのマリアへの癒し マグダラというのはイエスの出身地ガリラヤ地方のガリラヤ湖西岸の町。当時マリアという名は、イエスの母マリア、ベタニアのマルタの妹マリアなどあまりに多い名であったた…

貧しい者の希望(七)

1999講壇1(1999/9/4~1999/10/24) 貧しい者の希望(七) 絶望した者へのメシア的慰め 絶望者へのイエスのメシア的慰めの例として「罪の女・ルカ七:三六~四九」をみたい。 「パリサイ人の一人が食事を共にするためにイエスを招待した。イエスはパリサ…

貧しい者の希望(六)

1999講壇1(1999/9/4~1999/10/24) 貧しい者の希望(六) 「(モルトマン引用続き)貧しい者たちはこの暴力的で不正な世界で神の国の子らとなる。神の国は《貧しい者のメシア的な王国》となる(シュテーゲマン)。(イエスの約束は貧しい者たちを、つね…

貧しい者の希望(四)

1999講壇1(1999/9/4~1999/10/24) 貧しい者の希望(四) 貧しい者への祝福 貧しい者についての解釈の歴史をスケッチしてみて言えるのは、貧しい者とは《貧しい者》と人間的にみて《絶望した者》すなわち《貧困の問題と悲惨の問題》にまとめることができる…

貧しい者の希望(三)

1999講壇1 ( 1999/9/4~1999/10/24 ) 貧しい者の希望(三) このアナヴィーム(貧しい者たち)を七〇人訳聖書(ギリシャ語訳旧約聖書)は「プトーコス」というギリシャ語に翻訳した。七〇人訳においては「プトーコス・貧しい者」はへブル語の「ア二・…

貧しい者の希望(二)

1999講壇1 ( 1999/9/4~1999/10/24 ) 貧しい者の希望(二) ディベリウスの引用つづき「しかしイエスの説教とそれによって起こった運動は《終末論的希望の復興》をとおしてこの貧困に新しい力を供給した。捕囚期の救済の終末論は、諸国民の秩序の転倒…

貧しい者の希望 (一)

1999講壇1(1999/9/4~1999/10/24) (20年ほどまえから「希望」について調べてきた。いつかそれをまとめて本にしたいとも考えてきた。これまで「囚われ人の希望」「ギリシャ文学における希望」「旧約聖書における希望「新約聖書における希望」につい…

井上良雄著「戦後教会史と共に」読後感想(4)

1996講壇1(1996/3/31~1996/6/16) 井上良雄著「戦後教会史と共に」読後感想(4) 「キリスト者平和運動の過去・現在・未来」(一九六三)において、井上氏は「戦時中の日本の教会の過ち」について「信仰と政治の二元論に似たものが、戦前・戦中を通じての…

井上良雄著「戦後教会史と共に」読後感想(3)

1996講壇1(1996/3/31~1996/6/16) 井上良雄著「戦後教会史と共に」読後感想(3) 「赤岩さんに問う」(一九六三)において、すでにみたように論争点の一つは、井上氏がキリスト者平和運動には「神学的根拠」を不可欠としたのに、赤岩氏のほうはそれを不要…

井上良雄著「戦後教会史と共に」読後感想(2)

1996講壇1(1996/3/31~1996/6/16) 井上良雄著「戦後教会史と共に」読後感想(2) 戦後特に東ヨーロッパにおいて共産党政一確が次々に誕生した状況のもとで、教会の指導者たちは、教会・キリスト教は共産党政確や共産主義にどのような態度をとるべきかとい…

井上良雄著「戦後教会史と共に」読後感想(1)

1996講壇1(1996/3/31~1996/6/16) 井上良雄著「戦後教会史と共に」読後感想(1) 九五年の五月、日キ平の総会のおり、敗戦までのキリスト者の戦争責任の問題は、もうじきに私の本が出るから、今度は戦後五〇年のキリスト者の歩みについて検証すべきでは…

死の中で神に出会うー5

パンフレット2-5 Ⅲ ルターの死についての見解 ルターの「死に対する準備についての説教」(抜粋) ルターは死への恐怖を訴えるある信徒の依頼に応答する説教を1519年に出版した。翻訳は1948年に藤田孫太郎訳が出た(「ルタ一選集I」所収、24ペ…

死の中で神に出会うー4

パンフレット2-4 被造物性としての人間の死ーー創世記2、3章 ここからは「罪の報酬としての死」ではなく、被造物性としての死のテーマを取り上げたい。死のこの二つの形の間には、《「第二の死」からの解放の出来事としてのイエス・キリストの十字架の…