建司の書斎

「キリスト者の希望」、「愛を学ぶ」等の著者、故相澤建司の遺稿説教原稿・聖書研究など。

「キリスト者の希望」を出版して

2002講壇(2002/5/5) 「キリスト者の希望」を出版して やっと念願が実現しこの本ができあがったという思いである。多くの人々に読んでいただければ幸いだ。書きたいことはすべて本の中で書いたと考えてはいるが、強調したいポイントについて述べてみた…

イエスの十字架と絶望Ⅱ(五)イエスの十字架の叫びー2

2002講壇(2002/2/10~2002/4/28) イエスの十字架と絶望(五)イエスの十字架の叫びー2 ゴルヴィッアーの解釈 「明らかにしなくてはならないのは、福音書に伝承されたイエスの十字架上での七つの言葉のいずれも、速記録に由来したものではないという点…

イエスの十字架と絶望Ⅱ(四)イエスの十字架の叫び-1

2002講壇(2002/2/10~2002/4/28) イエスの十字架と絶望(四) イエスの十字架の叫びについての解釈を取り上げたい。 まず、イエスのあの叫びを絶望そのものとみる解釈、「キリストは、二つの重要な問題、二つとも反抗の問題なのであるが、悪と死の問題…

イエスの十字架と絶望Ⅱ(三)

2002講壇(2002/2/10~2002/4/28) イエスの十字架と絶望(三) さて「イエスがなぜ十字架につけられたか」については、二つの把握の仕方がある。一つは生前のイエスの活動の帰結である「歴史的な(geschichtlich)イエスの訴訟」として、…

イエスの十字架と絶望Ⅱ(二)大祭司カヤパの審間

2002講壇(2002/2/10~2002/4/28) イエスの十字架と絶望Ⅱ(二) イエスへの大祭司カヤパの審間 さてユダヤ教当局、最高法院でイエスが告発された中心ポイントは、大祭司カヤパの審問にあるように「あなたは讚美される方の子、メシアなのか」(マルコ一…

イエスの十字架と絶望Ⅱ(一)

2002講壇(2002/2/10~2002/4/28) イエスの十字架と絶望Ⅱ(一) ゲッセマネの夜 イエスは絶望されたのだろうか。ゲッセマネの夜におけるイエスをみてみたい。 「やがて彼ら[イエスと弟子たち]はゲッセマネと呼ばれる場所に来た。イエスは弟子たちに言…

旧約聖書における絶望と希望(九)ヨブ記ー5

2001講壇(2001/6/17~2002/2/3) 旧約聖書における絶望と希望(九)ヨブ記ー5 神が、第二イザヤの言葉にあるような「歴史を支配し、歴史を導かれる神」としてご自身について少しも語られることがなかった。むしろもっばら「創造」についてのみ語られる…

旧約聖書における絶望と希望(九)ヨブ記ー4

2001講壇(2001/6/17~2002/2/3) 旧約聖書における絶望と希望(九)ヨブ記ー4 ゴーエールはヨブの「味方」(一九:二七)として出現される。すなわちひとり目の弁護者が事態を処理できない状況で法廷に登場する法的な代理者である。ヨブにおいては現在…

旧約聖書における絶望と希望(九)ヨブ記ー3

2001講壇(2001/6/17~2002/2/3) 旧約聖書における絶望と希望(九)ヨブ記ー3 ヴェスタマンは希望と死の接触を強調する、「『希望と幸せは私と共に陰府に下っていくのだろうか。あるいは私たちは共に塵に向って降りていくのだろうか』(ストイエルナー…

旧約聖書における絶望と希望(九) ヨブ記ー2

2001講壇(2001/6/17~2002/2/3) 旧約聖書における絶望と希望(九) ヨブ記における希望ー2 他方、詩篇におけるような方向「私は耐え忍んで神を待ち望んだ」(四〇:一、三七:七)におけるような忍耐、への徹底した批判的な態度となっている。 「私の…

旧約聖書における絶望と希望(九) ヨブ記ー1

2001講壇(2001/6/17~2002/2/3) 旧約聖書における絶望と希望(九) ヨブ記における希望ー1 ヨブ記は知恵文学に属すが、成立は前四〇〇年頃。義人の味わう不当な苦しみを主題としている。ヨブ記では、人間の希望の可能性について徹底して《批判的な論…

旧約聖書における絶望と希望(八) 詩篇

2001講壇(2001/6/17~2002/2/3) 旧約聖書における絶望と希望(八) 詩篇 詩篇はイスラエルにおける礼拝の中で聖歌隊や会衆よって歌われた讚美歌集で一五〇篇からなる。古いものではダビデの時代(前一〇〇〇年ころ)にさかのぼるものがあり、半数以上…

旧約聖書における絶望と希望(七) 第二イザヤにおける希望-3

2001講壇(2001/6/17~2002/2/3) 旧約聖書における絶望と希望(七) 第二イザヤにおける希望-3 新しい出エジプト 第二イザヤは、「先のこと-新しいこと」の対比を先の国際政治的な文脈ばかりでなく、救済史の文脈でも語っている。この文脈では「先の…

旧約聖書における絶望と希望(七)第二イザヤにおける希望-2

2001講壇(2001/6/17~2002/2/3) 旧約聖書における絶望と希望(七)第二イザヤにおける希望-2 さて第二イザヤはクロス王についてこう語っている。 「私はヤハウエ、義をもってあなた(クロス)を召し、 あなたの手をつかんであなたを守り、あなたを …

旧約聖書における絶望と希望(七) 第二イザヤにおける希望-1

2001講壇(2001/6/17~2002/2/3) 旧約聖書における絶望と希望(七) 第二イザヤにおける希望-1 第二イザヤとは、イザヤ書四〇~五五章を書いた無名の預言者で、通常第二イザヤと呼ばれている。彼は(第一)イザヤよりもほぼ一五〇年後、かつバビロニ…

旧約聖書における絶望と希望(六)エゼキエル

2001講壇(2001/6/17~2002/2/3) 旧約聖書における絶望と希望(六)エゼキエル エゼキエル 預言者エゼキエルは第一回のバビロン捕囚の時、エホヤキン王、王族、高官、技術者らと共にバピロニアに連行された(前五九八)。彼はその地で預言者としての召…

旧約聖書における絶望と希望(五)エレミヤー2

2001講壇(2001/6/17~2002/2/3) 旧約聖書における絶望と希望(五)エレミヤー2 エレミヤの手紙(前回の「エレミヤの絶望」は省略することにしました)。 バビロニアの王ネブガドネザルは、前五九七年、反乱を起こした南王国ユダの王エホヤキムへの懲…

旧約聖書における絶望と希望(五)エレミヤー1

2001講壇(2001/6/17~2002/2/3) 旧約聖書における絶望と希望(五)エレミヤー1 エレミヤの絶望 エレミアの預言には、神との格闘を表現した「エレミヤの告白録」がある(一二:一~五、一五:一〇~一二、一八:一八~二三、二〇:七~一八など)。こ…

旧約聖書における絶望と希望(四)イザヤ

2001講壇(2001/6/17~2002/2/3) 旧約聖書における絶望と希望(四) イザヤ ここでのイザヤは、イザヤ書一~三九章にその預言活動が残されている預言者のこと、四〇~五五章を残した第二イザヤとは区別される。 イザヤの活動の舞台は、南王国ユダの都エ…

旧約聖書における絶望と希望(三) 預言者エリア

2001講壇(2001/6/17~2002/2/3) 旧約聖書における絶望と希望(三) 預言者エリア エリアは、その預言活動が自分や弟子らによって文書として残された記述預言者ではないがイスラエルにおける最初の預言者である。エリアの活動の時期は、前八六九~八五…

旧約聖書における絶望と希望(二)マクペラの洞窟

2001講壇(2001/6/17~2002/2/3) 旧約聖書における絶望と希望(二) マクペラの洞窟 アブラハムに対する神の二つの約束「子孫增大」と「カナンの土地取得」(一五章など)のうち、後者の土地取得の約束は、出エジプト記やヨシア記のテーマになっていて…

旧約聖書における絶望と希望(一)アブラハムの試練ー2

2001講壇(2001/6/17~2002/2/3) 旧約聖書における絶望と希望(一) アブラハムの試練ー2 ここでの「献げる」「断念する」(ギリシャ語フロスフェロー)はルター訳も、ミヘル訳も共に「dahingabすなわち、犠牲にした、捨てた、断念した」と訳…

旧約聖書における絶望と希望(一)アブラハムの試練ー1

2001講壇(2001/6/17~2002/2/3) 旧約聖書における絶望と希望(一) アブラハムの試練ー1 アブラハムに待望の子イサクが生まれた(創世二一章、「イサク」という名は子の誕生の予告の時、こんな老齢の夫婦に子など生まれるはずがないとの、アブラハム…

囚われ人の希望(13) 実存の変貌ー2/2

2000講壇6(2000/12/3~2001/6/17) 囚われ人の希望(13) 実存の変貌ー2/2 また他者の強さを正当に認め、見習うようになる。さらに「自制心」が身につく。吉報にはも喜ばず、不幸にも動じなくなる。ーーこのあたりは使徒パウロの「患難は忍耐を、忍…

囚われ人の希望(13) 実存の変貌ー2/1

2000講壇6(2000/12/3~2001/6/17) 囚われ人の希望(13) 実存の変貌ー2/1 ソルジェニーツィンの場合。 財産と魂の関係。ソルジェニーツインは、囚人になってはじめて「財産と魂の関係」を認識できたと語っている。護送される囚人がその途中で見かけ…

囚われ人の希望(13) 実存の変貌ー1

2000講壇6(2000/12/3~2001/6/17) 囚われ人の希望(13) 実存の変貌ー1 ドストエフスキー、フランクル、ゴルヴィッアー、ソルジェニーツィンの作品、体験記をみ比べると、フランクルとゴルヴィッアーにいては、囚われの体験を思索的に深めている感…

囚われ人の希望(12)「石の下の詩と真実」

2000講壇6(2000/12/3~2001/6/17) 囚われ人の希望(12)「石の下の詩と真実」 この数年の間に「囚われ人の希望」の形のうちで、ひときわリアルに感じだしてきたものがある。それはソルジェニーツインが「収容所群島」の第五章で述べている「石の下…

囚われ人の希望(11) 神義論

2000講壇6(2000/12/3~2001/6/17) 囚われ人の希望(11)神義論 神義論とは、正しい者が不当な苦しみを受けたり、この世で悪人が栄える事実を根拠にして、神の世界支配に疑問をいだき、神の支配が正しいかどうかについて論議することをいう。西欧で…

囚われ人の希望(10) 苦しみの克服

2000講壇6(2000/12/3~2001/6/17) 囚われ人の希望(10)苦しみの克服 フランクルはこう述べている「囚人が現在の生活の《いかに生きるか》すなわち強制収容所の生活のすさまじさに内面的に抵抗して身を支えるためには、囚人に《なぜ生きるか》その…

囚われ人の希望(9) 期待の問題点

2000講壇6(2000/12/3~2001/6/17) 囚われ人の希望(9) 期待の問題点 「奴隷の無関心さは、囚われ人の実存が《終末論的》であること(キリストの来臨とか特別の将来に規定されること、ここでは自分たちの帰郷の日に規定されること)と関連している。…