建司の書斎

「キリスト者の希望」、「愛を学ぶ」等の著者、故相澤建司の遺稿説教原稿・聖書研究など。

ロマ書

ロマ書、希望について 2  ロマ8:22~25

1997-33(1997/8/17) 希望について 2 ロマ8:22~25 「というのは私たちは次のことを知つているからだ、つまり被造物全体が今日に至るまでうめき、そして産みの苦しみをしていることを。しかしそればかりではない。最初の賜物としてのみ霊をも…

ロマ書、希望について 1  ロマ8:18~21

希望について 1 ロマ8:18~21 「私は主張するが、現在の時点の苦しみは、私たちに現されるはずの、目前にある栄光に比べると、重いものではない。というのは被造物は渇望的な待ち焦れをもって神の子らの出現を待っているからである。というのは被造物…

ロマ書、キリストと共に苦しむ  ロマ8:16~17

1997-31(1997/8/3) キリストと共に苦しむ ロマ8:16~17 「み霊自らが私たちの霊に、私たちが神の子らであることを証言してくださる。しかももし神の子らであるなら、相続人でもある。キリストの共同相続人として神の相続人でもある。もし私たち…

ロマ書、み霊の働き2  ロマ8:12~15

1997-30(1997/7/27) み霊の働き 2 ロマ8:12~15 「だとすれば、兄弟たちよ、私たちは義務を負っているが、肉に従って生きるために、肉に対する義務を負っているのではない。というのは、もしあなたがたが肉に従って生きるなら、あなたがたは死…

ロマ書、み霊の働き  ロマ8:9~11

1997-28(1997/7/13) み霊の働き ロマ8:9~11 「実際神のみ霊があなたがたの内に住んでいるなら、あなたがたは肉にあるのではなくみ霊にあるのだ。しかしキリストのみ霊を持つていない者はキリストに属していない。しかしキリストがあなたがたの…

ロマ書、律法の義の実現  ロマ8:3後半~4

1997-27(1997/7/26) 律法の義の実現 ロマ8:3後半~4 「神はご自身の御子を罪の肉と同じ姿で、罪の贖いとして派遣され、肉において罪に死の判決を宣告された。それによって律法の義の要求が、肉に従ってではなく、み霊に従って歩む私たちそのもの…

ロマ書、罪の肉への断罪  ロマ8:1~4

1997-26(1997/6/29) 罪の肉への断罪 ロマ8:1~4 「したがってキリスト・イエスにある者たちには、もはや罪の宣告を受けることがない。というのはみ霊をもって与えられたキリスト・イエスにおける生命の法は、あなたを罪と死との法から解放してし…

ロマ書、みじめな人間 3  ロマ7:24~25前半

1997-25(1997/6/22) みじめな人間 3 ロマ7:24~25前半 (1)7:24~25前半をどのよつに読んでいくかは、大きな問題である。普通に読んでいくと、ここは文の流れがうまくつながらないからだ。特に《24節の嘆きの叫び》 に対する《回答…

ロマ書、みじめな人間 2  ロマ7:24-25

1997-24(1997/6/14) みじめな人間 2 ロマ7:24-25 17世紀の敬虔主義者。先に取り上げたアウグスティヌスやルタ一の見解をふまえつつパウロの言葉を読んでみると、例えば次の箇所「あなたがたはキリストの体をとおして死に至らしめられた。そ…

ロマ書、みじめな人間  ロマ7:14~25

1997-23(1997/6/8) みじめな人間 ロマ7:14~25 「律法が霊的であることを私は知つている、しかし私は肉的なものであって、罪のもとに売られている。私が実行していることが、私にはわからないからだ。 自分が欲していないことを私は行ない、む…

ロマ書、ロマ書の構成  ロマ7:7~12

1997-22(1997/6/1) ローマ人への手紙の構成 ロマ7:7~12 ローマ人への手紙の構成をどう把握するか、は決して入門といったものではなく、この手紙の学習の本質的なものであると考えられる。この手紙の構成は全体的にみて、8つに分ける方法があっ…

ロマ書、律法からの解放  ロマ7:1~6

1997-21(1997/5/25) 律法からの解放 ロマ7:1~6 「兄弟たちよ、それともあなたがたは知らないのか、私は律法を知つている人々に向って語るのだが、律法は人間が生きている間だけ、その人間に力をふるうということを。というのは結婚した女性は夫…

ロマ書、神のための奴隷  ロマ6:15~23

1997-20(1997/5/18) 神のための奴隷 ロマ6:15~23 「ではどうなのか。私たちが律法のもとにではなく、むしろ惠みのもとにいるということで、私たちは罪を犯すべきなのだろうか。決してそうすべきではない。あなたがたは知らないのか、あなたが…

ロマ書、洗礼2 罪に対する死 ロマ6:6~14

1997-19(1997/5/11) 洗礼2 罪に対する死 ロマ6:6~14 「私たちは知っている、私たちの古き人間は(キりストと)共に十字架につけられたことを それは、罪に属す体が滅ぼされ、私たちがもはや罪に仕えることがないためである。というのは死んだ…

ロマ書、洗礼1 キリストへの洗礼 ロマ6:1~5

1997-18(1997/5/4) 洗礼1 キリストへの洗礼 ロマ6:1~5 「では私たちは何と言うべきか。恵みをますます拡充するために、私たちを罪のもとにとどままらせるのであろうか。決してそうではない。私たちが罪に死んだとすれば、どうして罪の中に生き…

ロマ書、アダムとキリスト  ロマ5:12~16

1997-17(1997/4/27) アダムとキリスト ロマ5:12~16 「それゆえ一人の人間をとおして罪がこの世にやってきたように、またこの罪をとおして死がこの世にやってきたように、すべての人間に対して死が押し寄せてきた。すべての人間が罪を犯したか…

ロマ書、神の愛の提示  ロマ5:5~8

1997-16(1997/4/20) 神の愛の提示 ロマ5:5~8 「神の愛が、私たちに与えられた聖霊をとおして私たちの心に注がれている。なぜなら私たちが弱かった時に、すでにその当時キリストが神なき者のために死んでくださったからである。義人のために死ぬ…

ロマ書、患難から希望へ  ロマ5:1~4

1997-15(1997/4/13) 患難から希望へ ロマ5:1~4 「このように信仰から義とされていることで私たちは私たちの主イエス・キリストをとおして神との平和をもっている。そしてキリストをとおして私たちは信仰によって私たちの恵みの地位への入り口に…

ロマ書、義認と復活  ロマ4:19~25

1997-14(1997/4/6) 義認と復活 ロマ4:19~25 「アブラハムは、信仰において弱くなることなく、自分の枯死したような体と(しかも彼はもう百才近かかった)サラの枯死したような胎に着目していた。しかしながら彼は、不信仰になって神の約束を疑…

ロマ書、信仰と希望 アブラハム4  ロマ4:19以下

アブラハム4 ロマ4:19以下 アブラハムの信仰は、一切の絶望にもかかわらず、神の約束を受け入れるところの、希望であるといえる。 これはなかなか含蓄のあるテーマである。キリスト者は、自分の希望の目標をもはや自分自身や、手元にある意味あるものや…

ロマ書、信仰と希望 アブラハム3  ロマ4:17~18

1997-11(19973/16) アブラハム3 ロマ4:17~18 ユダヤ教に対してパウロはまったく対立的な立場を主張する。それによれば、アブラハムは「アブラハムの信仰の足跡をたどる人びと」「アブラハムの信仰に基づく人びと」すなわち異邦人キリスト者の…

ロマ書、信仰義認 アブラハム2 ロマ4:9~17

1997-10(1997/3/9) アブラハム2 ロマ4:9~17 「さて、この幸いなるかなの讃美は、割礼の者を指しているのか、それとも無割礼の者をか。というのは『アブラハムには、その信仰が義とみなされた』と私たちは引用したからだ。どの状態で彼はそうみ…

ロマ書、信仰義認 アブラハム1 ロマ4:1~8

1997-9(1997/3/2) アブラハム1 ロマ4:1~8 「さて、肉による私たちの組先、アブラハムが見出したものについて、私たちは何というべきだろうか。アブラハムが業に基づいて義と認められたのあれば、彼は誇る権利を持つていよう。しかしそれは神の前…

ロマ書、信仰義認  ロマ3:28~31

1997-8(1997/2/23) 信仰義認 ロマ3:28~31 「私たちは判断する、人間は律法の業なしに、信仰をとおしてのみ義とされるからである。それとも神はユダヤ人だけのものか。否、異邦人のものでもあるのではないか。確かに、異邦人のものでもある。割…

ロマ書、神の義(3) 神の義の証明 ロマ3:25~27

1997-7(1997/2/16) 神の義(3) 神の義の証明 ロマ3:25~27 「これは神の義の証明のために起きたことであった。 神の忍耐によって従来なされた罪過は見過ごされていた。(それは)現在の運命的な時に神の義を証明するためであった。そうして(…

ロマ書、神の義(2) ローマ3:23~25

1997-6(1997/2/9) 神の義(2) ローマ3:23~25 「そこにはいかなる相違もない。すべての者が罪を犯して、《神の栄光を失つている》からである。かくて彼らは《贈り物として》、《神の恵みによって》《キリスト・イエスにおける救い》をとおして…

ロマ書、神の義(1) ロマ3:21~22

1997-5(1997/2/2) 神の義(1) ロマ3:21~22 「しかし今や、律法なしに《神の義》が、律法と預言者たちをとおして証言されて、啓示されている。すなわち神の義はすべての信じる者のためのもの《イエス・キリストへの信仰をとおして》のものであ…

ロマ書、律法の業の無力  ロマ3:1~20

1997-4(1997/1/26) 律法の業の無力 ロマ3:1~20 「それではユダヤ人の卓越性は何か、割礼の有用性は何か。あらゆる点で多い。すなわちまず第一に、彼らに神の言葉が委託された。(彼らのうちの)ある人々が不真実となったとしたら、それは何に責…

ロマ書、霊における割礼  ロマ2:12~29 

1997-3(1997/1/19) 霊における割礼 ロマ2:12~29 「なぜなら律法なしに罪を犯す者は、 また律法なしに滅びるであろうし、律法のもとで罪を犯す者は、律法をとおして審判をうけるからである。なぜなら律法を聞く者ではなく、むしろ律法を行なう者…

ロマ書、異邦人に対する神の怒り ロマ1:18~32

1997-2(1997/1/12) 異邦人に対する神の怒り ロマ1:18~32 「なぜなら、《神の怒り》は不義をもって真理を阻止する人間たちの、あらゆる無神性と不義とに対して天から啓示されるからである。なぜなら神から(によって)認識できる事柄は、人間た…