復活の史実性
2000講壇1(2000/1/30~2000/4/9) イエスの復活と希望 復活の史実性(五) トマスの話では、他の弟子たちがトマスにイエスの復活顕現においてその手と脇腹を見たことは前提とされている、彼らがトマスにそのことを語ったからだ、ヨハネ20:25節。…
2000講壇1(2000/1/30~2000/4/9) イエスの復活と希望 復活の史実性(四) 復活した方の身体性に関していえば、ルカの記事は「体の復活」ではなく「肉(Fleish)の復活」を主張している、とグラースは解釈している。確かに記事こだけ読むと次のヒ…
2000講壇1(2000/1/30~2000/4/9) イエスの復活と希望 復活の史実性(三) グラースは、復活顕現が「幻視・Vision」として特徴づけられるという。 幻視とは何か。パウロは幻視(オプタシア)の体験「第三の天まで連れられた」幻視について語った…
2000講壇1(2000/1/30~2000/4/9) イエスの復活と希望 復活の史実性(二) 福音書の復活顕現の記事への評価 さてイエスの復活についての聖書の記事にはパウロの第一コリント15章などパウロの書簡と全福音書における復活したお方の顕現についての箇所と…
2000講壇1(2000/1/30~2000/4/9) イエスの復活と希望 復活の史実性(一) 人間の希望は、人間の死によつてついえ去ってしまうという逃れようのない難局をもっている。この難局を突破する希望の形としては、ヨブの希望があった。そして死によってもつい…