心の内ばかりで信ずることかないません
第四章 辻宣道牧師の問題提起 キリスト者の罪責告白の問題-2 2002パンフレット 「心の内ばかりで信ずることかないません」 国家と宗教という視点 キリスト者の抵抗のエネルギーは何から得るのか。 「一五年戦争の時期、ドイツや朝鮮においては、キリスト者…
2002パンフレット 「心の内ばかりで信ずることかないません」 第三章 勝田文相の発言 柏木義円による批判 日本のキリスト者においては、憲法のいう「信教の自由」をただ内面におけるものと把握し、この自由が外面における信教の自由の行使の自由、すなわち布…
2002パンフレット 「心の内ばかりで信ずることかないません」 湯浅治郎の活動 ここでは湯浅吉郎編「湯浅治郎」(一九三二・昭和七年、非売品、吉郎は治郎の次男、長男一郎が画家になったため次男の吉郎が家督を相続した)を唯一の手がかりにして、湯浅治郎の…
2002パンフレット 「心の内ばかりで信ずることかないません」 第二章 安中歴史探訪 湯浅治郎の活動 一九九九年八月初め、家内と群馬の安中市に行った。柏木義円(一八六〇~一九三八、一八九七年以後安中教会牧師、井上哲次郎との勅語をめぐる論争、日露戦争…
2002パンフレット 「心の内ばかりで信ずることかないません」 第一章 高木仙右衛門の抵抗 信教の自由を求める闘いー2 明治維新政府の弾圧 この三ヵ月後、明治政府が成立、しかし明治政府も「キリシタン禁制の高札」をかかげ、神道国教化を目指した、一八六…
2002パンフレット 「心の内ばかりで信ずることかないません」 第一章 高木仙右衛門の抵抗 信教の自由を求める闘い 日本には殉教の歴史がない、と評論家の加藤周一は語ったが、むろん例外もある。秀吉のキリシタン弾圧においては、戦国大名の高山右近は国外追…
2002パンフレット 「心の内ばかりで信ずることかないません」 はじめに このパンフは、拙著「宗教者の戦争責任」〔一九九五)を追補するものである。三年前の春と夏、家内と長崎のキリシタンの歴史探訪、群馬県安中の歴史探訪ができて、いささかなりともテー…