建司の書斎

「キリスト者の希望」、「愛を学ぶ」等の著者、故相澤建司の遺稿説教原稿・聖書研究など。

連載、囚われ人の希望

囚われ人の希望(13) 実存の変貌ー2/1

2000講壇6(2000/12/3~2001/6/17) 囚われ人の希望(13) 実存の変貌ー2/1 ソルジェニーツィンの場合。 財産と魂の関係。ソルジェニーツインは、囚人になってはじめて「財産と魂の関係」を認識できたと語っている。護送される囚人がその途中で見かけ…

囚われ人の希望(13) 実存の変貌ー1

2000講壇6(2000/12/3~2001/6/17) 囚われ人の希望(13) 実存の変貌ー1 ドストエフスキー、フランクル、ゴルヴィッアー、ソルジェニーツィンの作品、体験記をみ比べると、フランクルとゴルヴィッアーにいては、囚われの体験を思索的に深めている感…

囚われ人の希望(12)「石の下の詩と真実」

2000講壇6(2000/12/3~2001/6/17) 囚われ人の希望(12)「石の下の詩と真実」 この数年の間に「囚われ人の希望」の形のうちで、ひときわリアルに感じだしてきたものがある。それはソルジェニーツインが「収容所群島」の第五章で述べている「石の下…

囚われ人の希望(11) 神義論

2000講壇6(2000/12/3~2001/6/17) 囚われ人の希望(11)神義論 神義論とは、正しい者が不当な苦しみを受けたり、この世で悪人が栄える事実を根拠にして、神の世界支配に疑問をいだき、神の支配が正しいかどうかについて論議することをいう。西欧で…

囚われ人の希望(10) 苦しみの克服

2000講壇6(2000/12/3~2001/6/17) 囚われ人の希望(10)苦しみの克服 フランクルはこう述べている「囚人が現在の生活の《いかに生きるか》すなわち強制収容所の生活のすさまじさに内面的に抵抗して身を支えるためには、囚人に《なぜ生きるか》その…

囚われ人の希望(9) 期待の問題点

2000講壇6(2000/12/3~2001/6/17) 囚われ人の希望(9) 期待の問題点 「奴隷の無関心さは、囚われ人の実存が《終末論的》であること(キリストの来臨とか特別の将来に規定されること、ここでは自分たちの帰郷の日に規定されること)と関連している。…

囚われ人の希望(8)  諦めの人生と将来の喪失

2000講壇6(2000/12/3~2001/6/17) 囚われ人の希望(8)諦めの人生 諦めの人生は、パスカルが明らかにしたように、苦境にある自分の苦しみを絶えずしずめ、自分で気晴らしをしなければならない。現実には慰めを得られないものの、現在のもの、はかな…

囚われ人の希望(7) 現在と将来

2000講壇6(2000/12/3~2001/6/17) 囚われ人の希望(7) 現在と将来 捕虜においては、自分たちがいつ解放されるか不確定でわかっていなかった。 ゴルヴィッツアーは述べている 「奴隷の無関心さは、囚われ人の実存が(終末論的)であること(キリストの…

囚われ人の希望(6) 善意と愛

2000講壇6(2000/12/3~2001/6/17) 囚われ人の希望(6) 善意と愛 ドストエフスキーは、西シベリアのオムスクの牢獄に他の囚人と護送される途中、トボリスクの町で、デカプリストの妻たち四人の慰問を受けた(一八五〇年一月)。デカプリストとは一八…

囚われ人の希望(5) 大自然の慰め

2000講壇6(2000/12/3~2001/6/17) 囚われ人の希望(5) 大自然の慰め 視点を変えると、イルトウィシ河岸でのドストエフスキーの体験は大自然が囚われ人の苦しみを慰める体験と呼ぶことができる。フランクルはアウシュヴィッツ強制収容所における夕景…

囚われ人の希望(4) 孤独への憧憬

2000講壇6(2000/12/3~2001/6/17) 囚われ人の希望(4) 孤独への憧憬 ドイツの神学者ボンヘツファーはこう語った「私たちは交わりの中にいることにおいてのみ、一人でいることができる。一人でいる者だけが、交わりの中に生きていくことができる」(…

囚われ人の希望(3) 強制労働ー2

2000講壇6(2000/12/3~2001/6/17) 囚われ人の希望(3) 強制労働ー2 さてドイツの神学者へルムート・ゴルヴィッアー(一九〇八~九三)は、ドイツ教会闘争の闘士マルチン・ニーメラー牧師がナチス・ドイツに抵抗して逮捕、拘束された後、ベルリンの…

囚われ人の希望(3) 強制労働ー1

2000講壇6(2000/12/3~2001/6/17) 囚われ人の希望(3) 強制労働ー1 ドストエフスーは「心をこめた過度の仕事、これこそ一番の幸福です」と拘置所から兄宛の手紙に書いた。石川啄木も「こころよく我に働く仕事あれそれを仕遂げて死なんと思ふ」と歌…

囚われ人の希望(2)ー空想

2000講壇6(2000/12/3~2001/6/17) 囚われ人の希望(2)ー空想 ドストエフスキーは囚われ人と牢獄の外にいる自由な人とでは、現実の生活に占める《空想、希望》の重みが全く異なるという(「死の家の記録」一八六二、小沼文彦訳、この作品は周知のよう…

希望について前書、囚われ人の希望(1)

2000講壇6(2000/12/3~2001/6/17) 希望について前書き 希望について書き始めたのは、一九八〇年のこと、二〇年前である。第一章は「囚われ人の希望」について。希望について考える場合、いくつかのふまえるべきテーマがある。 第一に、希望の中身とし…