建司の書斎

「キリスト者の希望」、「愛を学ぶ」等の著者、故相澤建司の遺稿説教原稿・聖書研究など。

「世界の果てまで」

週報なしー8

「世界の果てまで」

テキスト:使徒行伝1:1~11

 使従行伝の「緒論」ーー著者、書かれた年代と場所、資料問題は、少し厄介なので、始めにこれを取り上げると、なかなか内容にはいれない。ヘンヘンの注解は、緒論が135べージもある。そこでこの書を学ぶ上で、最小限ふまえるべき点のみを、確認しておきたい。

  (1)使徒行伝という名ーー「使徒」は、12使徒の意味で用いられているが、パウロバルナバなども含まれる。「行伝」は、プラケイスの訳で、働き、言葉と業による活動の意味。
 (2)著者ーールカ伝の著者。「私は先に第一の書(ルカ伝)を著わした」(1:1)。しかし、このルカが誰であるかは明らかでない。コロサイ4:14「愛する医者ルカとデマスとが・・」のルカは、パウロの同労者。このほか第二テモテ4:11、ピレモン24にもルカの名は出てくる。パウロの同労者ルカがこの書の著者であるという見解は、紀元2世紀後半に初めてあらわれたが、今日では、この立場を支持する人は少ない。その理由の一つは、行伝のパウロ像とパウロの書簡の像との違いなど。また、年代的にも、パウロの活動時期は48~60年ころであるのに、行伝の成立は80年代である。結論的には、「医者ルカ」とは違う、ルカという人。
 (3)著作年代 ルカ伝が70年ころとすれば、行伝は80年代に成立した。
 (4)全体の構成

  • 第一段階ーー1~12章 教会の誕生と初期の福音伝道の、サマリア、     アンテオケへの発展 ペテロが活動の中心
  • 第二段階ーー13~28章 福音は小アジアギリシャ、ローマにまで伝えられる パウロが活動の中心。

 1:1~2「テオピロよ、私は先に第一巻を著わし、イエスが行われたことまた教えられたことについてーーイエス聖霊によってお選びになった使徒たちに(世界伝道を)命令された後に(天に)あげられた日に至るまでをーーことごとを書き記した」。
 テオピロは、ルカ1:3にも出ている。彼はローマの高官であろうと言われている。テオピロは本名でなく雅号とも考えられるという(ヘンヘンの注解)。
 第一巻はルカ伝の内容を述べたもの。イエスの行い、教え、使徒たちへの世界伝道への命令ー「キリストの名による罪の赦しをえさせる悔い改めがエルサレムから始まって、諸国民に宣べ伝えられる。あなたがたはこれらのことの証人である」(ルカ24:47以下)ーー昇天である。
 この書、第二巻は、福音が「エルサレムから始まって」ローマに至るまでをしるす。
 1節の「聖霊によって」は、行伝のキーワードである。福音がエルサレムからローマにまで到達するのは、使徒たちの働きによるのだが、その背後にある真の原動力は「聖霊の働き」である。ここでは、使徒の選びが「聖霊による」とあって、聖霊の働きは、まず福音に仕える者の選びから始まることを言っている。協会訳、塚本訳はこの語を「命令」にかけているが、そうとも読める。
 3節以下「イエスはその死の苦しみの後、多くの証拠をもって使徒たちにご自分が生きていることを示し、40日間彼らに現われて神の国について語られた。そして、一緒に食事をしておられる時、彼らに命じられた『エルサレムを離れないで、あなたがたが私から聞いた父の約束のものを待つように。ヨハネは水で洗礼を授けたが、あなたがたは数日のうちに、聖霊で洗礼を授けられるであろう』」
 3節は、ルカ伝の内容の続き。死と復活について。「40日間」は、復活の顕現の期間のことで、ルカだけのもの。パウロへの顕現は、最初の顕現から3年ほどたった時点のこと。聖書全体では復活の顕現はけして「40日」に限定されない。また、ここでは、復活者の使徒への顕現は、マタイ、ヨハネ伝とちがって、エルサレムのみで起こる。マタイは、ガリラヤのみ、ヨハネは、ガリラヤとエレサレムの顕現をしるしている。
 4節の復活のイエス命令「エルサレムから離れないで」は重要。福音のローマへの伝播は「エルサレムから始まる」からである(ルカ24:47)。また、特別の出来事が「ここで」起こるからである。それは「父の約束のもの」=「聖霊の洗礼」(5節)「聖霊の降臨」(8節)の出来事である。それまで使徒たちはここで待つように命じられた。
 6~7節「さて集まっていた彼らは、イエスに尋ねた、『主よ、その時、あなたはイスラエルのためにみ国を回復なさるのですか』。イエスは彼らに言われた、『時と期間は父がご自分の権威できめておられるのであって、あなたがたの知るべきことではない』」
 「イスラエルのためのみ国の回復」は、政治的な意味ではなく、終末論的な意味で、つまり、
 初代のキリスト者は、5節の「聖霊での洗礼」、つまり「聖霊の注ぎ出し」を終末時の開始のしるしとみなした。「その後、私はわが霊をすべての肉なるものに注ぐ」(ヨエル2:29)とあるようにである。「み国」は今やこの「聖霊」によって到来するのですか、が使徒たちの第一の問いである。第二の問いは「イスラエルのためのみ国」についてのもので、み国はイスラエルに限定されたものかどうか、である。
 7節の、み国がいつ到来するかは、神のみが知つている点は、マルコ13:32にもある。
 8節「しかし、聖霊があなたがたの上にもたらされる時、あなたがたは、力をえる。そしてエルサレムユダヤ全土、サマリア、さらに地の果てまで、私の証人となるであろう」
 ここは「聖霊の降臨」(2章)の予告である。聖霊は彼らに「力=ディナミス」を与える。この力は、一つには、伝道における力ある業、彼らが癒し奇跡などなす力であり(3章)、もう一つには、イエスの証人として彼らに「地の果てまで」の世界伝道に押し出すものである。「証人」という言葉は、他に、1:22、3:15、5:32、10:39、41、13:31など。
 8節後半の地名は、行伝全体で展開される。エルサレムは1~7章、ユダヤサマリアは、8~9章、10章から、地の果てまでの伝道が始まる。
 また、この「地の果てまで」は、先の6節の問い、み国=救いはイスラエルに限定されるか、に対する答えである。ーー救いはイスラエルばかりではなく、異邦人にももたらされる。
 9、11節「イエスはこう言った時、彼らの見ている前で(天に)挙げられ、雲が彼を迎えて彼らの目から見えなくなった。彼らが天にのぼっていかれるイエスをじっと見つめていると、見よ、白い着物を着た二人の人が彼らのそばにきて言った、『ガリラヤの人々よ、なぜ立って天を見ているのか。あなたがたの所から天に移されたこのイエスは、天にのぼって行くのを見たのと同じようにして、到来するであろう』」。
 ここはイエスの昇天の箇所である。福音書では、マルコの付録部分の16:19に「主イエスは語りおわってから、天にあげられ、神の右にすわられた」、ル力24:51「イエスは祝福しておられるうちに彼らを離れて(ディイステーミ)(天にあげられた)」とある。
 イエスの「昇天」は、

  • (1)弟子たちから「離れる」こと=別れ
  • (2)イエスの「高挙」、「挙げられる=アパイロー」の受け身、9節。「天にのぼっていかれるイエス=ポレウオメノス」10、11節。「天に移された=アナランバノー」の受け身、11節。
  • (3)それ以後、イエスは神の右に座す
  • (4)イエスの到来(再臨)に対応する。イエスは天から来られる。「同じように(天から)到来する」。9:7の「天からの光」など。

 ルカの考えでは、イエスは、死の苦しみ、復活(行伝1:3)、昇天、来臨(再臨)(1:9)という過程をたどる。「使徒信条」参照。
 「二人の人」は明らかに、み使いであり、彼らの「解説」がないとイエスの「昇天の意味」がわからないという点は、ルカ24:4以下の空虚な墓でのみ使いの解説で、その空虚な墓の意味がわかったのと、同じ。10節の「彼らは天にのぼっていかれるイエスをじっと見つめていた」は、(1)の昇天のポイント、「離れる」であり、そこに彼らが「茫然とし、途方にくれた悲しみ」のようなものがある。み使いは、そのような彼らに、イエスの昇天は、単なる「別れ」でなく、イエスの到来(再臨)を約束するものである、と解き明かしをしたのだ。

 テオビロについて。テオピロの本名については、ドミティアヌス皇帝(在位81~96)の従兄弟フラビウス・クレメンスではないかとの推定がある(ヘンヘン)。クレメンスは、執政官であり、キリスト者でもあった。ドミティアヌスは、後にキリスト者への迫害として、このクレメンスを処刑し、その妻であり自分の姪のキリスト者、フラビア・ドミティラをも流刑にした(95年頃)。ドミティアヌスキリスト教嫌いの皇帝であったから、ルカが本名をはばかって、雅号のテオピロを用いたことはわかる。行伝の成立を85年頃とすれば、年代的にもあう。とにかく、行伝の書かれた時代的な状況は、使徒ぺテロ、パウロ、主の兄弟ヤコブの殉教(60~64年)を経て、ローマ人の皇帝の親族にも信者をもつほどに発展していたことがうかがえる。