建司の書斎

「キリスト者の希望」、「愛を学ぶ」等の著者、故相澤建司の遺稿説教原稿・聖書研究など。

病人の希望(2)

週報なしー24

病人の希望(2)

テキスト:ルカ8:1~3

 

 マグダラのマリアへの癒し
 マグダラというのはイエスの出身地ガリラヤ地方の地名で、ガリラヤ湖西岸の町。当時マリアという名は、イエスの母マリア、ベタニアのマルタの妹マリアなどあまりに多い名であったため「マグダラ出身の」という表現で他のマリアと区別された。
 マグダラのマリアがイエスによって病気を癒されたとの記事はマルコ16:9「彼女は以前七つの惡鬼を追い出していただいた」、 それにルカ8:1以下にある。

 

 「その後イエスは町から町、村から村へと巡回して、神の国の福音を宣教し、伝えられた。そして十二弟子がイエスにお供した。また悪霊や病気を癒していただいた数名の女性たち、すなわち《七つの悪霊を追い出していただいたマグダラ出身の女性と呼ばれたマリア》、ヘロデの家令クーザの妻ヨハンナ、スザンナ、その他多くの女性たちも一緒であった。女性たちは自分たちの財産をもってイエスに《仕えた》」。
 マグダラのマリアについてここでは「マグダラ出身の女性」とある。「この町は商業が盛んであった。大規模の漁業と魚の加工が住民に仕事を与え、繁栄と変化をもたらしていた」(モルトマン・ヴェンデル「イエスをめぐる女性たち」1980)。マグダラは当時「淫らな町として悪名をはせていた」(シュナッケンブルクの註解)はマリアをルカ7章の「罪の女」と混同させる以外の意味はない。
 またこのマリアの「七つの惡霊を追い出してもらった」とは、悪霊憑き、現代におけるてんかん、意識錯乱、鬱病などの精神疾患の病気のことで「七つの惡霊・ダイモニア」はその疾患が重い症状であったことを意味する(レンクシュトルフの註解)。当時の病人の常として彼女は、家族、親族、共同体の人びとから疎んじられ軽蔑もされていたろう。病人はモルトマンの次の文に共感する「病気であるとは、社会的障害(仕事ができなくなるとか)、愛情の喪失(長年重い病気をしていると家族からはいやがられ、婚約者も逃げていく)、孤立を意味する」。社会的偏見は彼女を家族や友の交わりにおいても冷たくされ、疎外され呪われた存在として自分の人生に対する嘆きと愛に対する渇望、社会に対するルサンチマン・憤激を抱いていたであろう。
 マリアはイエスによってその病を癒された。先のモルマン・ヴェンデルはマリアの癒しについて次のように「解釈」している、
 「癒し自体を思い浮かべてみよう。この癒しは他の癒しと対応した経過をたどったであろう。すなわちイエスはマリアの手をとり、おそらく抱いて立たせてやった、熱病のぺテロのしゅうとめや悪霊につかれた人になさったように。イエスはマリアに話かけられた。マリアのほうでは手の感触によってイエスの存在の近さと接触とを感じ取った。イエスが話かけられたことで、彼女から惡霊憑きが落ちた。彼女は再び自分自身となり、感情も、決断も自由に解き放たれ、再び自由に周囲の世界を経験し、自由に喜び、新たに生きることを学ぶようになれた。しかし、彼女はもとの生活環境にはもどらなかった。自分の故郷マグダラを捨てたのだ」(「イエスをめぐる女性たち」)。

 さて先の箇所でマグダラのマリアらの女性たちがイエス一行と「一緒にいた」とはイエスの巡回の伝道旅行に同行したことを意味する。「病を癒してもらった女性たちは、イエスに対する感謝の気持ちをイエス一行に同行し、世話することによって表した」(レンクシュトルフ)。モルトマン・ヴェンデルが指摘したように、マリアもクーザの妻ヨハンナも家庭も故郷も捨てたことは明らかである。彼女らが弟子として「イエスに従った」からである(マタイ27:55)。イエスの癒しの記事において病気を癒された者がイエスに従う例はきわめて少ない、全く新しいことであった(レンクシュトルフのルカ伝註解)。他にイエスに従ったのは盲目を癒されたバルテマイぐらいである(マルコ10:46以下)。マリアらがイエス一行に加わったのは、それまでの「宿痾による絶望の人生」が「病苦から解放されて希望の人生に変えられた」からであろう。
 マリアらが「自分の財産をもってイエスに《仕えた》」との箇所は重要である。マリアらの「自分の財産」という場合、女性たちが自分の財産を持っていた、という意味となる。エレミアスは女性たちがみな自分の財産を自由にできる「寡婦」であったとみなしている(「イエスの宣教」)。
 「ヘロデの家令クーザの妻ヨハンナ」については、クーザはガリラヤの領主へロデ・アンティパス(大王の次男)の「家令・エピトローポス」つまり大臣であった。クーザヨハネ4:46の息子の病気の癒しをイエスに頼んだ「王の役人」とみる解釈もある(レンクシュトルフ)。ヨハンナは「大臣の妻でありヘロデの宮廷に属す女性であったが、夫と宮廷生活を捨てた」(モルトマン・ヴェンデル)。それゆえヨハンナは経済的に豊かで自分の財産も持っていたと推定できる。
 マグダラのマリアは富を持っていた。少なくともこの二人の財力を証明するのが次の「仕えた・ディアコネオー」という用語の意味である。この用語には多様な意味がある。「給仕をする、食事などでもてなす」との意味がある(ルカ22:26以下など)。レンクシュトルフはこの箇所をそう訳す。「食事の世話をした」と。しかしこの用語は「経済的な配慮をする」との意味があって、この箇所も「マリアらは自分たちの財産をもってみんなを経済的にまかなった」という意味に解釈すべきである。塚本訳「みんなをまかなった」は適訳である。「おそらくマリアはかなり年配で、かつては結婚していて彼女の財産はその結婚に由来するものであった。そしてその財産をもって彼女はイエスの運動を援助した」(モルトマン・ヴェンデル)。マリアのこのようなイエスへの奉仕は、イエスの十字架、死、埋葬に至るまで続く。そして復活のイエスの顕現に出会った最初の人物はこのマグダラのマリアらであった。
 イエスが身障者、病人、精神疾患の者を癒されたことは、イエスが彼らの希望となったことを物語っている。イエスの癒しにおいてはイエスのいわば《神的な癒しの力》が人々を癒した。しかしイエスの苦難もまた癒しの力を持っていた。イザヤ53:5には「主の僕の傷によって私たちは癒されたのだ」とある。これを受けて、第一ペテロ2:24「イエスは私たちの罪をその体に負って木にかけられた。それは私たちが罪に死んで義に生きるためである。イエスの傷によって私たちは癒された」と記されている。イエスの十字架の苦難、苦難における《イエスの無力性》が私たちを癒す。

 女性への伝道と交流
 マリアらがイエス一行に同道することは、別の側面があった。当時のユダヤ教社会は、女性との公然たる交流は存在しなかった。女性が男性社会から差別され閉め出されたのは、他でもない女性は男性から見て「情欲の対象」としてのみ考えられたからである。男性に「情欲を抱いて女を見る」(マタイ5:28)機会を与えない予防措置としても、また女性を男性から守る意味でも、女性は男性から遠ざけられた。そこでは人間は情欲によって完全に支配された存在であって、情欲の働く機会を与えるような、男女が同じ集団の中で共同生活しつつ巡回の伝道活動することは、従来のユダヤ教徒には明らかに「害毒」「つまずきを与えるもの」であった。
 イエスが神の慈悲深い支配の到来を女性たちにも告げられたことは、次の点から明らかである、イエスの聴衆には女性たちがいた(ルカ11:27以下)、「罪の女」(ルカ7:36以下)、ペテロの姑の癒し(マルコ1:31)、マグダラのマリア、ヨハンナらの癒し、ユダヤ人が付き合うことをしなかったサマリアの女性との交流「イエスが(サマリアの)女性と話しておられるのに、弟子たちは驚いた」(ヨハネ4:27)などから明らかである。マグダラのマリア、ヨハンナらを、男性の弟子たちと共同生活させたのは、イエスが弟子たちが欲望に打ち克つことができると期待したから(エレミアス)ではあるまい。むしろ男性と並んで《何らの留保もなく女性たちを神の支配へと招かれた》からである(レンクシュトルフ)。「もはや男も女もない。あなたがたはキリストにあって一つだからである」(ガラテヤ3:28)がイエスは伝道集団においてはすでに実現されたのだ。そのゆえか、福音書においてはイエスと女性との交流は印象的である。マグダラのマリアの他に罪の女、カナンの女、サマリアの女など。イエスは女性たちの希望ともなられたと言える。