長血の女 マルコ５章

週報なしー２８

長血の女

テキスト：マルコ５：２５～３４　

　２５～２８「一人の女がいて、この人は１２年間長血をわずらって、多くの医者からさんざん苦しめられて、全財産をついやして何のかいもないばかりか、かえってますます悪くなってしまつた。この女はイエスのことを聞いて、群衆の中にまじって後からイエスの衣にさわった。『私があの方の衣に触りさえすれば、私は癒される』と自分に言った（思った）からである」

　この女性のこれまでの苦しい病気との闘いは、３つのポイントでしるされている。第一に「１２年間、長血であった」。「長血」は男性の場合「膿漏」の一種で、レビ１５：１９、２５以下では、女性の場合の「流出」とある。「女にもし、その不浄な時のほかに多くの日にわたって血の流出があれば、その汚れの流出の間、その女は汚れた女である」２５節。その女性の触れたものも汚れる、２６節。つまりここでの長血は、子宮からの出血の病気のこと。レビ１５章によると、この女性の触れる者（もの）（マルコ５：２７）はすべて「祭儀的に汚れる」のであるから、この女性は１２年間、家族や共同体から交わりを遮断されてきたー聖所にちかづくこと、過ぎ越の祭りに参加すことなどができない、という意味がここではこめられている。ー「１２年間」の病気は彼女の苦しみの長さとひどさを物語る。他の例では、幼い時からおしの霊にとりつかれた息子（マルコ９：２１）１８年間病気の霊につかれた女や８年間中風の人（ルカ１３：１１、行伝９：３３）、生れ付きの盲人や足の障害者（ヨハネ９：１、行伝３：２）など。
　第二に、この女性が病気を癒そうとした試みはすべて失敗したーー多くの医者にかかって苦しい治療をうけた、しかし何の効果もなく病気は悪化した。外典トビト２：１０には眼病のトビトが何人かの医者のところへ出かけていったが、医者が目薬をぬればぬるほど彼の眼病は惡化した、とある。ペン・シラ１０：１０に「長患いは医者の手におえない」とある。当時のユダヤ教では医者の存在をよきものとは見ていない（ぺシュの注解）。
　第三に、この女性は財産も使い果して、何の甲斐もなかった。
　２７節には、この女性がイエスのもとに来た動機や行動が述べられているーー「イエスのことを聞いて」はマルコ１：２８「イエスのうわさはたちまちガリラヤ全地方に広まった」、３３節「人々は病人をイエスのところに連れてきた」、６：２「その手でおこなわれるかずかずの奇跡」などをふまえたもの。
　彼女の次の行動「群衆の中で（交じって）」は、先のレビ記の箇所をふまえると、自分が交わりを締め出されている、人中に出た彼女の必死の大胆な行動である。
　「後からイエスの衣に触った」は、彼女の密かな思いを示唆する。まず「後から」はおずおずとしたためらいを、また長血の女が「他の人に接触すること」は、汚れを引き起こす（タブーを破るもの）敢然たるもの、先のレビ１５章。さらに、この「イエスの衣に触れる」は、「イエスにさわること」で自分の病気が癒される（３：１０）。病気の人がイエスの「上着のふさに触れさせて」ほしい願い、触った者はみな癒された（６：５６）などとあるように、彼女の「信仰」（３４節）と関わるポイントである。すなわち、２８節ー彼女は「イエスの衣に触れるだけで自分の病気は癒されると信じた」のだ。ここの「思った・レゴー」は直訳では「自分に云う」で、意訳では「確信する」、信じて云う（マタイ５：２６など）との意味。後述。
　古代における癒し奇跡では、癒しを行なう人と病人との間に神的力の働きが起こる、その起こり方について独特の考えがあった。つまり　癒しを行なう人は病人に触ると、癒しの力がその接触をとおして高まり癒しの作用をする。マルコ５：２３「娘に、手をのせてください」。ルカ６：１９「群衆は皆イエスに触ろうとした。イエスから力が出てみんなの者を癒したからである」。そこで病人は癒す人の存在（３：１０）、衣（マルコ３：１０、ここ）、汗ふき（行伝１９：１１「人々がパウロの汗拭きや前かけをとって病人にあてるとその病気は除かれ・・」）、影（５：１５「ペテロが通りかかると、せめて彼の影が病人たちの誰かにかかるようにした」）に触れることで、その神的癒しの力に触れ病が治ると考え、信じていた。
　ここでも、３０節に「イエスは自分の中から力が出ていったのに気づかれて」とある。イエスにおける癒しの神的力（デュナミス）は、イエスの衣への女の接触をとおして、その女性の体に伝わり（２９節）、その女性の体に直接、癒しの作用した。ここでの「力」とは、マタイ１２：２８によれば、悪霊を追放する「み霊の力」であり、ルカ５：１７によればー「主の力がイエスに（臨んで）病気を治させた」（シュールマンの訳）ー「主・神の力」である。神の力は、イエスをとおして、イエスの存在、その体をとおして病める人々に働く。ここでは、イエスはこのような「主・神の力」を所有する方、神の力はこの方をとおして働く、そのようなお方である。
　２９節「たちまち、彼女の血の源がかれて　彼女は自分の病気から癒されたのを、体でもって気づいた」ここでの「病気・マステイゴス」は、病気の苦しみ、「宿痾」。
　３０節「たちまち、イエスは、自分自身から力が出ていったのに気づかれて、群衆の中で振り向き、云われた、『私の衣に触ったのは誰か』」。
　２９、３０節の「たちまち」は、原文でも文頭にあって、強調されている。また癒し奇跡の記事では当然のことながら、この女性が病が癒されたことを「身に感じた・体（ソーマ）で気づいた」（２９節）とイエスご自身「彼自身・彼の体から力が出ていった」ことを体で感じられた（３０節）は、癒しが、イエスの体とこの女性の体との間に、神の癒しの力・ディナミスが作用し、それが女性の側では病が治ったこのに「体で気づいたこと」イエスの側ではご自分の力が出ていつたことに「体で、気づかれたこと」として記されていて、印象的である。この「神の力」を衣に触った者には誰にでも作用する「魔術的なものと解釈する」のは、正しくないし、この箇所の内容からのはずれる。多くの人々がイエスに触ったのであるが（マルコ３：１０）、信仰をもってイエスの衣に触ることだけが癒しの力を呼び起こしたと解釈すべきである。これは「奇跡と信仰」というテーマである。後述。神の国・神の支配の到来は、ここでは癒し奇跡、つまり人間の存在の身体性を包括する、体の救いに関わるものであることを示している。他方「体の救いのポイント」は、パウロにおいては、究極的希望であったーー「私たちは体の贖い・救いを待ち望んでいる」ロマ８：２３。したがって、神の支配を「人間の魂の救い」の問題に限定することは誤りである。この女性においてはイエスによる癒しが「体で起こり、体で体験された」点はその意味できわめて重要である。
　３４節「イエスは彼女に云われた、『娘よ、あなたの信仰があなたを癒したのだ。去りなさい、平安あれ（平安のうちに行きなさい）。あなたの病苦から解き放されて、達者でいなさい』」
　「娘よ」との呼び掛けは、彼女の３３節の説明や態度をふまえた、信頼の表現である。神に祝福された女性よ、のニュアンス。「信仰」という言葉は、冠詞がついていて絶対的用法で強調されている。何を信じているかは問題とされず「あなたの信仰」とだけ言われている。「あなたの信仰があなたを癒した」との言葉は、他に、１０：５２＝マタイ９：２２、ルカ８：４８、ルカ１７：１９（十人のらい病人の癒し）など。ただ、イエスは病人を連れてきた人々の信仰（マルコ２：５）、自分の子の癒しのためにイエスに取りすがる母の切望・信仰（カナンの女、マタイ１５：２１以下など）、部下のための切願（マタイ８：５以下の百卒長など）も、このポイントに関わっているが。
　この言葉（あなたの信仰があなたを治した）をどのように解釈するかについて。第一にこの信仰は病気の癒し手である「イエスその人でなく、イエスの中に働く神の力に向けられている」（フラー）「奇跡の解釈」がある。これはうがった見方であるが、この女性の信仰ーー「イエスの衣に触るだけで自分の病気は癒される」は、イエスの中に働く神の力ばかりでなく、イエスご自身にも向けられていた、と解したほうがよい。先述の、信仰をもってイエスの衣に触ることのみが、イエスの内にある神的癒しの力を呼び起こしたとの見解である（ぺシュの注解）。第二にしたがって、ここでの「信仰と癒し奇跡との関連」はこうなるーー癒しの神的力は、一方的にイエスから出て行くのではない。また、イエスが単純にそう望みになる時に作用するような働きでもない。むしろこの神的な癒しの力はイエスという存在とイエスの中にその力を求めて押し追ってくる人々の間で出来事として起こるのであり、それゆえ、イエスの存在と人々のイエスへの信仰とがあいまって、相互関連の中で一つになるところで起こるのだ（モルトマン「イエス・キリストの道」）。長血の女性のイエスへの信仰が、イエスの中にある癒しの力を呼び起こしたのだ。
　第三に、ここでの信仰は、この女性のようにけして受け身的な態度ではなく、精力的に執拗にひたすらに神の助けをつかみとろうとする行動である。万策つきてもあきらめない態度である。