ヒゼキヤ王の病気 1
週報なしー29
ヒゼキヤ王の病気 1
イザヤ38:1~5「その頃ヒゼキヤは瀕死の病気にかかった。アモツの子、預言者イザヤはヒゼキヤのもとへ来て言うには『ヤハウェがこう言われた、あなたは死ぬ、再び癒えることはない、だから今のうちにあなたの家をととのえよ』と。ヒゼキヤはそこで壁のほうに顔を向けてヤハウェに祈った。ヒゼキヤが言うには『ああヤハウェよ、私があなたのみ前に真実を尽くして歩み、全き心をもってあなたの目によしと見えることをおこなってきたことを思い出してください』。こういってヒゼキヤは大声で泣いた。
ヤハウェの言葉がイザヤに臨んで言われた、『さあ行ってヒゼキヤに告げて言いなさい。あなたの父ダビデの神、ヤハウェはこう言われた、私はあなたの祈りを聞き、あなたの涙を見た,見よ私はあなたの生命を15年伸ばそう。…』」。
ヒゼキヤは在位、前715~686の時期南王国ユダの王。彼が王位についたのは、25才の時で、以後29年間国を支配した(列王下18:2)。しかし彼の支配を絶えず脅かしたのは、、北の大国アッシリヤであった。アッシリヤはすでに北王国を滅ぼしていたが(前722)、ヒゼキヤは、アッシリヤに従うことを拒み、これに背いてアッシリヤに仕えようとしなかった(列王下18:7)。
「アッシリヤの王センナケリブが侵攻してきて、ユダの46の堅固な町を取った(列王下18:13以下)。王ヒゼキヤは人をラキシに(エルサレムの南西50キロにある重要拠点の町)に遣わしてアッシリヤの王に言わせた『私は罪を犯しました。どうぞ引き上げてください、私に課せられたことは何でも致します』。アッシリヤの王は銀300タラント(この金額は1万キロの莫大な金額)金30タラント(千キロ)をヒゼキヤに課した」、下18:13以下。この事件が起きたのは、前701年のことであった。
ヒゼキヤが重い病気になって死にそうになったのは、その政治的事件の少し前、すなわち前703年ころ、彼が37、8才ころのこと、と考えられる(関根正雄説)、だとするとイザヤ38:10「私は《わが一生のまつ盛りに》(世を)去らなければならない」との彼の嘆きの言葉もよく理解できる。彼の「病気」についてはイザヤ38:21には「はれ物」とあるが、これは身体の一部や全身にできる「かいよう」(潰瘍)のことで、ヨブ2章や列王下20:7などに出てくるが、人を死に至らせることもあって恐れられたもの。
ヒゼキヤの病気についての記事で興味深いのは、いくつかあげられるが第一に,イザヤはヒゼキヤの「病気の癒し方」を告げた「干しいちじくのひとかたまりを持ってきて、それをはれ物につけなさい。そうすればなおるでしよう」列王下20:8、イザヤ36:21。
第二に、ヒゼキヤの、神に対する訴えである、
「その頃ヒゼキヤは瀕死の病気にかかった 預言者イザヤはヒゼキヤのもとへ来て言つた『ヤハウェがこう言われた、あなたは死ぬ、再び癒えることはない、だから今のうちにあなたの家をととのえなさい(遺言を用意しなさい)と』。ヒゼキヤはそこで壁のほうにその顔を向けてヤハウェに祈った『ああャハウェよ 私があなたのみ前に真実を尽くして歩み、まったき心をもってあなたの目によしとされることをおこなってきたことを思い出してください』こう言ってヒゼキヤは大声で泣いた」。彼のこの表明は、列王下18:3以下の記述と合致している。
「ヒゼキヤは、主の目にかなうことを行い、高き所(バール崇拝の祭壇)を除き、石柱をこわし、アシラ像を切り倒した、…ヒゼキヤはイスラエルのヤハウェに信頼した。ユダの王のうち彼の前にも彼の後にも彼に及ぶ者はいなかった」王下18:3以下。神はこのようなヒギゼキヤの祈りを聞き届けてくださったのだ。 続