建司の書斎

「キリスト者の希望」、「愛を学ぶ」等の著者、故相澤建司の遺稿説教原稿・聖書研究など。

ヒゼキヤ王の病気 2 ヒゼキヤの神賛美

週報なしー30

ヒゼキヤの神讃美

イザヤ38:16~17「私は思った、私は別れ、去らねばならない。わが霊は滅びると。しかしあなたは私を健やかにし、癒された。私の苦しみは救いとなった。あなたは、滅びの穴に陥らないように、わが魂を引き留められました」(アルトゥル・カイザー訳)。

 

前回の続き。 38:1以下のヒゼキヤの言葉で興味深いのは、第三に、神ヤハウェの中で、ヒゼキヤの運命、 命について変更が起こる点である、イザヤ38:4「ヤハウェがイザヤに臨んで言われた『ヤハウェはこう言われた、私はあなたの祈りを聞き、あなたの涙を見た、《私はあなたの日々(生命)を15年間増し加えよう》』」。実際彼の寿命は17年ほど伸びた。神がその人物の生命を15年も伸ばしてくださるとの例はヒゼキヤ以外にはない。
 さて彼が病気を癒された時になした神讃美(カイザー訳では「贖罪の歌」 にふれたい、38:9以下。
 「10節以下では一連の嘆きの言葉がしるされているが、この歌はその苦しみがまだずっと続くかのように描き出されている。…16節で提案した『私は思った』との読み方が信用できるなら、《叙述の転換はこの節で起きている》」(カイザーの註解、ここでの「転換」とは嘆きから神讃美などへのもの)。
 彼がこの病気にかかって死の危機に直面したのは、すでに述べたように彼が37才くらいの時点であった。それはまさしく彼の「生命の旅路の半ば」(関根訳)の時であった、10節。
 むろん30代後半の死は「若すぎる死」であって、若すぎる死は《その人物に対する神の処罰》と考えられた。彼の言葉の中にもその意味合いがある。彼は自分の死の定めを嘆く、「わが日々と私は別れねばならむ。私は陰府の門に迎えられ、私の年の残りを失う。…私の住居はこわされ、牧者の幕屋のように私の上から取り去られる。あなたは私の生命を、織り手のように巻きもどし、私をたて糸から切り取られる」10~12節、特に11節「私はヤハウェを生ける者の地で見ないことだろう」は、死への恐れがここでは、自分がヤハウェから引き離されて、もはや神殿での神顕現をとおして神に出会うことができなくなることこととして表現されている、カイザー。
 12節では人間の存在は、はた織りの織物に例えられ、人間の生涯は織物が織り上がると刃物でたて糸(織り機)から切り離されて巻かれるように、その人の生涯は尽き果ててしまう、とある。
 彼はこの潰瘍(かいよう)での発熱のゆえ苦しめられるが、それは病に苦しめられるというよりも、神が病気をとおして、彼を攻撃されるように映る、
 「あなたは昼も夜も私を見離されるので、私は叫んで朝に及ぶ。彼(神ご自身)は獅子のようにわが骨すべてを砕かれる」12~13。
 16節においてはじめて、自分の苦難の回顧からヤハウェによる救出への転換が起きている。
 「私は思った、私は別れ、去らねばならない、わが霊は滅びると。しかしあなたは私を健やかにし、 癒された」。
 ヤハウェがこの病気にかかった者に生命と健康とを返してくださった。「彼のつらい苦しみは救済へと帰結した」。注目すべきことにこの救出がどのようにして起きたかをここは述べている。
「私の苦しみは救いとなった。あなたはわが魂を引き留められました。滅びの穴(墓)に陥らないように」。それをどのようにして神はなされたのか。その方法は神がヒゼキヤの《罪を解決なされたこと》をとおしてである、すなわち「まことに、あなたの後に向けて、あなたはわがすべての罪を投げ捨てられました」。「死からの救出は、 ヤハウェによるその人物の罪の問題の解決、罪が赦されることをとおして、起きる。言い換えると人間の死からの解放は、人間の罪からの解放、罪の赦しによってしか実現しない。
 ヤハウェはヒゼキヤの罪を「肩越に投げ捨てなさることによって、赦された」、もはや神が彼の罪に目をとめることもなされない。