建司の書斎

「キリスト者の希望」、「愛を学ぶ」等の著者、故相澤建司の遺稿説教原稿・聖書研究など。

受難物語

週報なしー38

受難物語

テキスト:ヨハネ18:1~14

 今回からヨハネ18~19章の受難物語を学びたい。受難物語は共観福音書にもむろんあるがヨハネ伝も独自の構成になっている。個々にはそのつど触れるとしてヨハネ伝においては特にイエスの10時かそのものが共観福音書とは違って、12:32「私は地上からあげられる時」など「上げられる」と表現され、同時に十字架は「栄光を受ける」とも言われている。16,23「人の子が栄光を受ける時がきた」。ヨハネ伝の受難物語は田の福音書とは違う見解によってイエスの捕縛、ペテロのイエス否認、アンナスの審問、ピラトの審問等をのべている。
 18:1~5「これらの言葉を語られた後、イエスは弟子たちと共にエデロンの谷の向こう側に出て行き、そこにある苑に弟子たちと入られた。裏切り者ユダもその場所を知っていた。イエスが弟子たちとたびたびそこに滞在したからである。ユダは、ランタン、松明、引きをもった一隊の兵と大祭司たちとパリサイ人の下役らを引き連れてきた。イエスは身に起ころうとしていたことをすべて知っておられたので、出てきて彼らに言われた『誰をさがしているのか』。彼らは答えた『ナザレのイエスを』。イエスは答えられた『私がそれだ』。イエスが『私がそれだ』と答えられた時、彼らは後ずさりし、地面に倒れた。もう一度イエスは尋ねられた『私を探しているなら、この人たちを去らせよ』。これは『あなたが私に与えてくださった者のうち私は誰ひとり滅ぼしません』とかつて言われた言葉が成就するためであった」。

 

 1節の「ケデロンの谷」は他の受難物語にはでてこない地名で、エルサレム神殿の丘の東側にある谷、オリブ山はこの谷の東側にある。そこにはベタニア、エリコに通じる道がある。この谷は雨期以外は水がない(「ケデロンの谷」をデデロンの「小川」との訳もある)。ヨハネ伝には「ゲッセマネの祈り」も出てこないが(祈りの内容はヨハネ12:27以下にある)そえは「ゲッセマネの祈り」にある《死を前にしたイエスの精神的苦しみ》がイエスの苦難の物語に「ふさわしくない」からである(シュナッケンブルク)。これがヨハネ伝の受難物語の特徴の一つである。1節の「園」はゲッセマネではない。
 2節。ユダがイエス捕縛にやってくる。またい26:47「十二人の一人のユダが来た。大祭司たち、国の長老(パリサイ人を含めた「最高議会」を意味する)から派年された大勢の人の群れが剣や混紡を持ってついてきた」。これに対してヨハネではまず「一隊の兵・スペイラ」とある。この「スペイラ・一隊の補正」はローマの軍隊の「部隊」(600人)をさす。エルサレム市内のアントニア城にローマ軍の部隊が駐屯していた。12節にも、イエスを捕まえたのが「一隊の兵と《千卒長》とユダヤ人の下役ら」とあるが、ローマの兵は暴動などが起こった時の治安出動しかしない、暴動が起こっていない状況でユダヤ人のひとりの「預言者」の捕縛に行くということはありえない、またユダが部隊を「引き連れて」はおかしい、さらに逮捕者を大祭司「アンナスのもとに」つまりユダヤ人に引き渡す(12節)ことはない、との理由で、この「一隊の兵」はローマ軍では亡いとされる。「下役」については「ユダヤ人の」とあるように「レビ人からなる神殿警察隊」と最高議会・サンヘドリン所属の「警備隊」との解釈がある(「下役ら」ヨハネ7:32、45以下、18:12、18、22。19:6)。神殿警察は祭司長たち(ユダヤ人の公的指導者の意味)もとにあった(パリサイ人の管轄にはない)、ユダヤ人の「下役」はローマ人の「一隊」とは結びつかないし、また「下役」が神殿警察でなく(他の福音書と同じく)最高議会に所属するとすれば、大祭司の他に「パリサイ人からの派遣」はおかしくないことになる。とにかくヨハネ伝では他の福音書の記事よりもはるかに大勢200人くらいの人が松明や灯り、武器をもって押し寄せてきた、という大捕物との記事になっているーーイエス補バックの背景には、ヨハネ11:47以下に最高議会はイエス殺害を「決議した」(53節、協会訳の「相談した」はあいまい)がある。「そのためイエスは公然とユダヤ人の間を歩く」ことをやめ(11:4)、議会の側は「指令」を出してイエスの居所を探させた(11:57)。2,3節でのユダの役割、イエスの居所を知っていた(2節)手引きをした(3節)は明かである。
 4~5節。数十の灯りと大勢の捕り方が押し寄せてくる状況でもイエスも弟子たちも隠れることも逃亡もしない。むしろイエスは押し寄せた大勢の捕り方の前に出て行って「誰を捜しているのか」と尋ねた。「ナザレのイエスを」という返答をきいて「私がそれだ」と答えられた。個々には他の福音書にあるユダが近寄ってきてイエスに裏切りの接吻をするシーン(マタイ26:50)はない。つまり、ヨハネ伝のイエス捕縛の記事においては、イエスは捕らえられることに《積極的である》。その理由は「粗のみに起ころうとされていることをすべて知っておられたので」(4節)とある。むろんこのケデロンにいたこと自体が当局の目から隠れる意味があったはずだが。
 イエスのこの全知についてはこれまでも出てきた、1:47以下、13:21「あなたがたのうちの一人が私を裏切ろうとしている」27節など。ここではイエスが「誰でも私から生命を取ることはできない。私が自分で捨てるのである。私にはこれを捨てる権利がある」こと10:18つまりご自分の意志で死を選ぶ点が強く意識されている。
 5節の「私がそれだ」(8:24、13:19など)は神の顕現を示す定式である。通常ではこれは、捕り方の答「ナザレのイエスを」に対する肯定の言葉であるが、この定式は別の意味がこめられている。つまりここでも他の福音書とは違って、イエスは無力にも受け身的に捕えられ引き渡されるのではなく、むしろ《自らすすんでご自分を捕り方に引き渡されること》が強調されている。ーー6節で彼ら・捕り方が「後ずさりして地に倒れた」は、詩27:2「私の敵である悪を行なう者どもが、襲ってきて、私を攻める時、彼らはっまずき倒れるであろう」、35:4「私に向って悪をたくらむ者をしりぞけてください」がふまえられている。イエスの言葉「私がそれだ」は、それだけの捕り方を打ち倒すほどの力があったことを言っている。またイエスの言葉に対して「敵は無力である」ことを示す(ヘンヘン)。さらに山上の変貎、マタイ17:1以下イエスの神の子であることの啓示の声に弟子たちが「地に倒れ伏した」と関連する(註解にはないが)。ここでのイエスは「無力で弱い」人(他の福音書の受難記事)のイメージがない。
 8節の「この人たちを去らせよ」。これも、他の福音書とは違う。マタイ26:50などでは弟子たちはみなイエスを捨てて逃げ去った、とあるが、ここでは弟子たちは逃げ去るのでなく、イエスが去らせるのである。9節「あなたが与えてくださった人たちの一人もほろぼさなかった」は6:39を受けたもの。イエスは最後まで自分に属す人々を愛しとおされたのだ、ヨハネ13:1。しかし弟子たちは抵抗した。
 10~11「するとシモン・べテロは、持っていた剣を抜いて大祭司の僕に切り付け彼の右の耳を切り落とした。彼はマルコスといった。そこでイエスはべテロに言われた『剣をさやにおさめなさい。父が私にくださった杯を飲むべきではないか』」
 マタイ26:51では、切り付けた人の名も、切られた僕の名もしるされていない。それがここではしるされた。この僕マルコスは「下役」ではなく大祭司アンナスの私的な召使で、イエス捕縛の経過を調べて報告する役目をもっていたようだ。後になって事態が明らかになったから名が付加されたと解釈されている。ここの「父がくださった杯」は、神の定められたイエスの苦難の運命という意味。ご自分の苦難、つまり捕り方による捕縛をすすんで受ける、防衛してはならいがべテロに命じられたことである。マタイ26:52参照。
 12~14「一隊の兵と指揮者とユダヤ人の下役らはイエスを捕らえ縛って、まず、アンナスのもとへ引いていった。アンナスはその年の大祭司カヤパのしゅうと(舅)であった。しかも、《一人の人が民に代わって死ぬことははるかに善いことだ》とユダヤ人に助言したのは、このカヤパであった」。
 12節はこれまでさまざまな解釈があって論争された箇所。イエスの捕り方は二つに区別できる。一つは「一隊の兵・スペイラ」「千卒長・キリアルコス」(「千卒長」塚本訳)。しかしイエス捕縛にはローマ軍が関与していないと思われるので、「一隊の兵・スペイラ」を神殿警察隊「キリアルコス」を「指揮者」シュナッケンブルク、「頭」ブリンツラー、「隊長」英訳と訳される。もう一つの「ユダヤ人の下役ら」は「ユダヤ人」最高議会が派遣した警察隊と解釈できる。(ブリンツラー)。ここでもヨハネ伝は他の福音書よりも記述が「性格:詳細」のようだ。
「アンナス」については、皇帝テベリオの人口調査の命令が「アンナスとカヤパが大祭司であったとき」ルカ3:2,「大祭司アンナスを始め、カヤパ、ヨハネ、アレキサンデル」行伝4:6,にある。彼は前6~後一五年まで大祭司を務めたが、ローマの総督による任命であった(バレット)。イエスへの審問でもペテロ等の審問でも名がでテック留。アンナスはその影響力が強すぎたために総督グラトスに罷免されたという。ユダヤ人の宗教問題で、イエスが「まず」その時の「大祭司」カヤパでなく、引退した大祭司アンナス(彼は名誉の称号的に引退後もそう呼ばれた)のもとに連行されたのは理由があったのだ。この連行は最高議会の議員たちのもとへのレンコウデハナイ(ヘンヘン、ブリンツラー)。11:53以下に出てくる。18:14はすでに11:49にある、イエスの死を仄めかしたもの。カヤパが大祭司を務めたのは後18~三六年であるが、ペテロ、ヨハネの審問もした。アンナスの審問は次回。
 15~18「さてシモン・ペテロともう一人の弟子とが、イエスについて行った。この弟子は大祭司(アンナス)の知り合いであった。そこでイエスと共に大祭司の中庭に入っていった。しかしペテロは門の外に立っていた。大祭司の知り合いのもう一人の弟子が出てきて、門番の女中に話してべテロを中に連れて入った。その時、門番の女中が気づいてべテロに言った『あなたもこの人の弟子の一人ではあるまいね』。ペテロは答えた『いや私は違う』。下役や僕たちが炭火を起し、そこに立ってあたっていた。寒かったからである。ペテロも彼らのそばで立ってあたっていた」。(この後、アンナスの審間が入る)。
 25~27「シモン・べテロはそこに立ってあたっていた。彼らがべテロに『あなたもあの第子たちのひとりではないか』と言ったので、彼は否認して言った『私は違う』。大祭司の僕でべテロが耳を切り落とした者の親族の人が言った『この私はあなたがあの人と一緒に園にいたのをいるのを見た』。ペテロがもう一度うち消した。それと同時ににわとりが鳴いた」。
 マタイ26:69とは違って連行されるイエスについていくのはべテロと「もう一人の弟子」で、これは「イエスが愛した弟子」13:23の可能性もある(ブルトマン、シュナッケンブルクは反対)。ゼベタイの子ヨハネ使徒)の可能性はない。この弟子は「大祭司の知り合い」(親族、兄弟)とあるが、どうもはっきりしない。ただこの弟子は「イエスと一緒に大祭司の中庭に入った」。「彼」は最後までイエスと行動を共にしたのだ(愛弟子は十字架、墓のもとにもいた)。これに対して「ペテロは門の外に立っていた」15、16節。愛弟子がべテロを凌駕するというこの対比からみて「彼」を13:23の「愛弟子」とみてよい。この弟子の役割は、弟子の一人が最後までイエスに従ったこと、ペテロを大祭司の中庭(前庭)に引き入れることにもあった。 16節の「門番の女中」はこの屋敷が大祭司の「私邸」であることを言っているようだ(これはアンナスの審間の性質・非公式の審間を示すので重要)。他の福音書にはこの「門番の」というのはない、それでべテロはすんなりと大祭司の屋敷の「中庭」に入り込んだ、マタイ26:69「ペテロは外で中庭にすわっていた」。
 この女中がべテロに、イエスの弟子の一人ではないかと問いただした。ペテロは「私は違う」と打ち消した。マタイ26:70「ペテロは打ち消して言った『あなたが何を言っているのかわからない」の返事よりも簡単な表現。初春の夜の寒い時期で炭火を起して人々はあたっていた。火に当るというのはヨハネ伝だけである。25節では今度は大祭司の下役や僕が女中と同じ質間をべテロになした。ペテロは今度はもっと打ち消しを強くして「否認して言った」。ここでの否認は、マタイ26:72の誓いまでして打ち消しての言葉「その男は知らない」よりもはるかに軽い否認である。26節は三度目の間いかけで、ペテロに耳を切り落とされたマルコスの親族の人が質間する。ここもヨハネだけ。しかし、ここでのべテロの否認は、マタイ26:74の「呪いをかけて誓った」という否認ほど強くはないし、またべテロがイエスの「三度私を否認する」の言葉を思い出すことも、さらに彼が「外に出て激しき泣く」というシーンもない。すなわちべテロのイエス否認の行動は弱められている。むしろヨハネ13:38のイエスの言葉「あなたが三度私を知らないというまで、鶏は決して鳴かないであろう」がべテロにおいて成就した点が重要であり、イエスの預言、予知の力が私たちに強く焼きつく。また先の8節の「この人たちを去らせよ」におけるイエスの弟子たちへの配慮の力は作用しているためにべテロのイエス否認も弱められたのか。ペテロはイエスの死以前には真の意味でイエスに従うことができなかったようだ(バレット)。
 以上の箇所から、ヨハネ伝の受難物語の特徴が少し明らかになった。ヨハネ16:20には「あなたがたは悲しむが、その悲しみは喜びに変わるであろう」とある。イエスが捕縛され死ぬといつことは弟子たちに悲しみを与えるものだが、その悲しみはやがて喜びへと、復活のイエスに再び出会うことによって喜びに変えられる、とのイエスの言葉である。弟子たちからみて受難物語は、弟子たちの「悲しみ」ーー弱さと罪、ユダの捕り方先導によるイエス捕縛への協力、ペテロのイエス否認、他方の敢然として捕縛される「強い」イエスの姿を浮き彫りにする。