建司の書斎

「キリスト者の希望」、「愛を学ぶ」等の著者、故相澤建司の遺稿説教原稿・聖書研究など。

エレミヤの手紙  エレミヤ29:1~14

1996-16(1996/8/4)

エレミヤの手紙  エレミヤ29:1~14

 エレミヤはユダの王ヨシアの宗教改革(前621年、列王下22:8以下、23:4以下)を知つていたようで、彼は前627~597ころ活動した。
 エレミヤの手紙は、活動の後期のもので、前597年、バビロニアの王ネブガドネザルは、反乱を起こしたユダの王エホヤキムへの懲罰のために、ユダに侵攻した。エホヤキムの死後、王になったエホヤキン、多数の王族、有力な民グループを捕囚としてバビロニアに連行した(1節)。次の王ゼデキア(在位597~586)は、バビロニアに使者を遣わすことになったので、エレミヤは彼らに手紙を託した(29:1~23)。
 「バビロンに捕らえ移させた者」の精神状況は、失意の中で過去と故郷にのみ目を向ける望郷派(詩137:1)とすみやかな帰還を夢想する熱狂主義派(「夢見る者」8節、「惑わし」「偽り」8、9)とであった。この状況をふまえてエレミヤはこうしるした、「万軍のヤハウェイスラエルの神がエルサレムからバビロンに捕らえ移された民すべてにこう言われる、
 『家を建てて住み、畑を作ってその作物を食べよ。
  妻をめとって、息子、娘を生み、また息子に嫁をとり、娘をとつがせて、息子、娘を生むようにせよ。その地であなたがたの数を増やし、減らさないためである。
  私があなたがたを捕らえ移させた町の平安を求め、その町のためにヤハウェに祈れ、その町が平安であれば、あなたがたも平安であるからである』」29:5~7
 エレミヤは先の二つの立場に対して、捕因の民に自分たちの置かれた現実を冷静に受けとめるように要求している。なぜなら捕囚の期間は長いからである。
 「バビロンで70年の年月が満ちる時、あなたがたを顧み、そしてこのところにあなたがたを帰らせるとの約束(24:4以下)を成就しよう」(10節)。
 ここの「70年」は偽りではなかった。ペルシャ王クロスによる捕囚の民への解放は538年、すなわち六〇年後であったから。
 エレミヤは、慎重に斬進的に捕囚期間を引き延ばしていく。オリエントでは家はすぐにも建つ(泥をねって乾燥させてレンガをつくり、それを積み上げるだけだから、一週間単位である)。畑で作物をつくるのは、麦で半年、一年、オリーブ、ぶどうなどでは10年単位かかる、つまり「長い時間」を必要とする。自ら結婚し、子らがまた結婚し孫をもうけるというのは、最低二世代、60年を要する。捕囚はその時期までつづくのだ。それは決して「かりそめの生活」をゆるさない長さである。捕囚の民がその生活を「仮のもの」と見ている限り、その地での地道な暮らし、家族形成はできない。
 エレミヤは捕囚を神によるものとみている、かって彼はネブダドネザルを「神の僕」と呼び(27:6)、エルサレムバビロニア軍が迫った時も「バビロンの王に仕えて生きよ」と説いた(27:17)。捕囚自体についても「私・神が捕らえ移させた」という(4、7、14)。さらにバビロニア人への敵愾心、情しみをとり去れと説いた、それが7節の「その町のためにヤハウェに祈れ」である。バビロンは征服者でありつつ、今や捕囚の民を自分のふところに入れた、捕囚のイスラエル運命共同体である。バビロンのための執り成しの祈りは、生き残りの知恵や、敵との妥協、敵対的相手への柔軟な戦術などではなく、自分たちのために祈ること、またバビロンとの新しい連帯をつくることを意味している。捕囚の民はいまなお未来をもっているからである(ラート「説教と瞑想」)。
 「ヤハウェは言われる、私があなたがたに対していだいている計画を自分でもよく知つている。それは平安の計画であって災いではない。
  あなたがたに未来と希望を与えようとするものである」(11節)
 ここの「未来・アハリート」は、いろいろな意味をもつ。まず、ある事柄の終り、ルター訳は「あなたがたの待望している終りを私は与える」。次に「子孫」、「あなたがたの子孫には希望がある」(31:17)。最後に「未来、希望」。この「未来と希望」とは二つの内容がある。一つは遠い未来の事柄で、14節にある帰還である。もう一つは、いわば近い未来で、13,14前半である。「あなたがたは私を探し求める時、私を見出すであろう。全心をもって求めるならば、私はあなたがたに姿を現す」、捕囚の民がその地でヤハウェに祈り求めるならば、捕囚の地でヤハウェに出会う。これが近い未来である。11節の「希望」は、希望の対象のことではなく、ヤハウェに祈ることで、バビロンとの新しい関わりをもっこと、ヤハウェと出会えるという「希望の行為」をいっている。捕囚期に旧約聖書の編纂があったことはよく知られている。
 エレミヤは、なぜ希望の告知(11節以下)をまずしないで、先に落ち着いた暮らしをせよ(5以下)と告げたのか。それは捕囚の民の精神的な状況にあった。彼らは「信仰なき落胆と信仰なき熱狂」の中にいた。この二つを打ち破ることなくして、彼らはヤハウェに探し求めることをしない。この落胆と熱狂を打破するものは、二世代にわたる落ち着いた暮らしであった。この暮らしが捕囚の民を限りなく、希望をいだく行為に近づける。エレミヤはそう考えた。捕囚の時期も神から見捨てられたものではなく、神に祈る時、神と出会える時である。神は「捕囚の民を恵みをもって顧み、恵みをもって彼らに目を注がれる」(24:4)からである。
 この箇所全体は、なかなか意義のある事柄を告げている。第一に、民に希望をいだかせる条件は、捕囚のヒステリー状況ではなく、落ち着いた暮らし、家族形成であること。
 第二に、希望の行為とはヤハウェに対する祈りであること、その祈りは自分たちの憎しみを取り去る変容をもたらし(その町のための祈り)、かつヤハウェとの出会いを実現する。神は捕囚の中にある民と共にあられる神である。民は捕囚の地においても、神に出会えるのである。