建司の書斎

「キリスト者の希望」、「愛を学ぶ」等の著者、故相澤建司の遺稿説教原稿・聖書研究など。

辛苦の中で  哀歌3:21~29

1996-20(1996/9/15)

辛苦の中で  哀歌3:21~29 

 哀歌は預言者エレミヤのものではないが、エレミヤが活動を断った直後の、バビロニアによるエルサレム崩壊(前587)の状況におけるエルサレムの人々の苦悩について歌っている。「哀歌」とは嘆きの歌の意味である。国家の滅亡の運命は、ヤハウエを信じる者の信仰的苦悩と危機をもたらした。例えば「私は彼(神)の怒りの杖をとおして苦しみに会った人である。彼は私を駆り立てて、光の中ではなく、闇の中に導かれた。…彼は私の肉体と皮とをなえさせ、私の骨を砕かれた。辛酸と辛苦をもって私を囲み、取り巻かれた」(哀歌3:1、2、4、5)。国家滅亡は、「神の怒りの杖」、人間存在の危機、辛苦として把握されている。
 「あなたが私の魂から平安を取り去られたので、私は幸福を忘れた。私は考えた、わが支え、ヤハウェに対するわが望みはついえ去った、と」(3:18、19)。詩人はこう嘆いている。しかし、21節以下では驚くべき帰結が引き出されている。
 「しかし私は《次のこと》を思い起こす。ヤハウェの恵みは絶えることがなく、その隣れみはつきることがないことを。《それゆえ私は望みを抱きたい》。ヤハウエの憐れみは明ごとに新しく、彼の真実は偉大である。わが魂は語る『ヤハウェは私の分け前である』と。《それゆえ私はヤハウエに望みを抱く》。ヤハウエは、ご自身に望みを抱く者、ご自身を探し求める者に、恵み深い。ヤハウェの助けに黙して望みを抱くことは善いこだ。若い時期に、人がくびきを負うことは、善いことだ。ヤハウェが人にくびきを負わせる時、彼は一人すわって、沈黙せよ。彼の口をちりにつけさせよ。《おそらく》まだ望みがある」(3:21~29)。
 用語的にみると、「望みを抱く・イッヘツール」が21、24、26節に、また「望みを抱く・キーヴァー」が25節に、「希望・ティクヴァー」が29節に出てくる。
 注目しなければならないのは、ここで希望を抱く根拠が二つ述べられている点である、「それゆえ私は望みを抱く」(21節)、「それゆえ私はヤハウェに望みを抱く」(24節)。21節においては、希望の根拠は「ヤハウエの恵みは絶えることがなく、その憐れみはつきることがない」とある。哀歌の詩人はイスラエルの歴史における「出エジプト」、シナイ山での神の憐れみ、苦しむ個人への神の憐れみの出来事(アブラハムヤコブなど)、救済史を「想起した」(21節)。過去の出来事への「想起」を出発点として、その視点から現在の国家の滅亡とそのもとにある個人の辛苦の状況を見なおした。そこに彼が発見したのは、「神の憐れみ」は、今ここでのエルサレム崩壊の直中にあっても、なお「つきることがない」。むしろ驚くべきことに「朝ごとに新しく」生きた現実となっている。神のこの慈しみを彼はあらためて確信することができた。そしてこれが彼の希望の根拠となった。「それゆえ私は希望を抱く」21節。政治的な危急にあって神の慈しみを新たに認識し体験することは、人間的には「終わり」に見えても、人間が体験する新たな神の恵みは、彼に世界も人生も決して「終わっていないこと」むしろ異種の新しい将来の開始を告げるからである。
 もう一つの希望の根拠は24節で「ヤハウェは私の分け前である」とある。この「ヤハウェは私の分け前」は、イスラエルがカナンの土地取得した時の、各支族に土地を分割したおり、祭儀に仕えるレビ族だけは土地が与えられず、その代わりにヤハウエへの供え物の一部が彼らに与えられた。それで「ヤハウェへの供え物」その端的な表現「ヤハウエがあなたの分け前、嗣業である」(民数18:20)、「ヤハウェが彼の嗣業」(申命10:9)という独特の伝統がつくられた。このレビ人特有の表現「ヤハウェは私の分け前」は、供え物という物質から離れて、精神化されて神を支えとする生き方、苦境にある人々が「神を避け所とする」という思想に発展し、さらにヤハウェへの信頼の表明、「外的な生活環境によっては傷つけられることのない、また決して失われることのない、ヤハウェと共にある生」と解釈された(フオン・ラート)。詩篇16:5、73:26 など。
 哀歌の詩人にとって、カナンの土地取得という神の恵みの出来事を告げる「ヤハウェは私の分け前」すなわち「ヤハウェと共にある生」神を支えとし神を避け所とする人生、生活は、今ここにある危機、エルサレム崩壊によっても傷つけられることなく、存立している、という。それで彼は「それゆえ私はヤハウェに望みを抱く」と告白したのだ。
 したがって、ここでの希望の根拠は二つとも、イスラエルにおける「過去の救済の出来事」に依拠している。希望は一般に将来的なものであって、現在の苦しみからの解放、神の将来的な救いへの待望を含んでいるが、現在苦境にあるものが、将来に、あるいは神に希望を抱くことを可能にするのは、過去における神の救済の出来事「神の恵みの不滅性、神との不滅の絆」を「今ここで想起すること」によってである。希望はこの想起によって可能となり、かつ終わったと思われた将来が眼前に開けていく。
 さて29節「彼の口をちりにつけさせよ。《おそらく》なお望みがある」における「ちりに口をくける」は、詩人が置かれた苦しみの中で一人沈黙をとおすこと、いきりたつことなく、身を低くしてこの苦しみを受け入れて、拒絶しないことを意味している(ワイザーの注解)。たとえその状況がどれほど望みなきものに映ろうとも「《おそらく》は希望である」(ワイザー)。しかし一見した限りでは「おそらく」は21節以下で表明された希望の度合いを《弱めている》ようにみえる。「おそらくなお望みがある」という言い方は、希望の「現実性」ではなく、希望の「残されたかすかな可能性」を示していると感じられるからである。しかし決してそうではない。
 「おそらく」は、神の自由と主権による将来に対して、自己決断ではなく、神の決定・導きに自分を委ねること、神に対して自分の身を低くする、謙虚さを表現している。
 「おそらく」が希望のニュアンスで述べられた箇所が他にもある。「惡を憎み、善を愛し、門で公義を立てよ。そうすれば、万軍の神、ヤハウェは《おそらく》ヨセフの残りの者を憐れむであろう」(アモス5:15)。預言者アモスはここで人々が神の律法、特に貧しい者を虐げるなとの戒めを実践するならば、神の憐れみが与えられる希望もある、と語つている。「ユダ(南王国)の家は、私(神)のくだそうとしているすべての災いを聞いて、《おそらく》おのおのその悪い道から立ち帰るだろう。そうすれば、私は彼らの咎と罪を赦そう」(エレミア36:3)。哀歌の詩人はむろん預言者におけるこの「おそらく」の用法を受け継いでいる。
 では、「それゆえ私はヤハウエに希望を抱く」(24節)という「希望の現実性」から「おそらくなお望みがある」(29節)という「希望の可能性」への移行は、詩人の希望の主体的な確信の度合いの「後退」なのだろうか。眼目は、希望の「対象」ではなく、いかにして希望を抱くか、希望を抱く主体的な行為にある。29節の「おそらく」は先にみたように「あいまいさ、不確実さ」のニュアンスがある。だから、もし希望の実現が、希望をもつ主体がどれほど希望の実現を確信しているかに「依存する」のであれば、「私はャハウェに望みを抱く」(24節)から「おそらくなお望みがある」(29節)への移行は、「おそらく」が希望の「もち方の弱さ」を示すものとみなされるから、「後退」を意味することになってしまう。ハイデッガーの発言「希望の構造にとって決定的であるのは希望が関連している当のものの《到来的な》性格にではなく、むしろ《希望を抱くこと自体の実存論的な》意味にある」(「存在と時間」)の立場からは、「後退」の方向に解釈される。しかしながら、希望の実現は、希望を抱く主体の確信の度合いに依存しているわけではないから、そういってよければ、希望の対象の将来的な性格に依存している、といえる。すなわち、希望の実現は、ヤハウェの自由な裁量、決断に依存している。すなわち希望の実現は、その人の希望実現の確信の強さによって招き寄せられるわけではない。希望を抱く主体の側でいえることは、神がこの希望をかなえてくださる、ということだけである。この謙虚な姿勢における神信頼の言葉が、29節「ちりに口をつけよ。おそらくなお望みがある」である。