建司の書斎

「キリスト者の希望」、「愛を学ぶ」等の著者、故相澤建司の遺稿説教原稿・聖書研究など。

飼い葉桶の幼児  ルカ2:1~7

1996-31(1996/12/1)待降節

飼い葉桶の幼児  ルカ2:1~7 

 「そのころ、皇帝アウグストから帝国全体の人口調査登録をせよとの勅令が出た。これは最初の人口調査登録で、当時クレニオがシリア総督であった。すべての人が登録を受けるために、それぞれ自分の町に出かけた。ヨセフもガリラヤのナザレの町からユダヤの、ベツレヘムというダビデの町へとのぼった。彼はダビデの家の出身、その血統であったからである。すでに身重であった妻マリアと共に、登録を受けるためであった。ところが、彼らがそこにいる間に、マリアは子を産むべき月が満ちて、初子の男の子を産み、おむつをあてて、飼い葉桶に寝かせた。宿には場所がなかったからである」。
 ルカ伝の誕生記事の特徴の一つは、洗礼者の誕生についての長い記事、いわゆる受胎告知の記事が存在するばかりでなく、イエスの誕生が、世界史、ローマ帝国による世界支配という大きな歴史的背景のもとで起きた、としるしている点である。
 一節「人口調査登録」。当時のローマ皇帝、アウグストは(前63~後14)、 カェサルの甥オクタヴィアヌス、カェサルを暗殺したブルタスを倒し、またアントニュウスを破って、ローマの支配者となりアウグストゥスの称号を元老院から贈られた(前27年)、後に初代の皇帝となる。
 アウグストの帝国の「市民への人口調査登録」は、前7年に終ったという(ジュールマンの注解)。この「人口調査登録」は市民のみならず、ローマ帝国が支配するすべての地域、属領に税金を課すための徴税政策で、土地測量、財産登録、課税対象の家族の算定のための身分登録のことであった。外国のローマ帝国の命令で自分たちの土地、財産、住民への課税、登録には当然、多くの抵抗が予想される。行伝5:37にある「人口調査の時ガリラヤ人ユダが民衆をひきいて反乱をおこした」も熱心党ユダによるそのような人口調査妨害の反乱らしい。
 ローマ帝国統治は束方の問題の調整をつねに東方の軍司令官の手に委ねていた。紀元前12年、地方総督スルピキウス・キリニウス(クレニオ)は執政官となり、その後東方遠征やその他東方問題で重要な人物となった。シリアでは彼は時には単独で、時には他の地方総督と共に統治していた。前9~6年は執政官サトルニウスと、6~4年までは地方総督ヴァルスと共に。後4~17年には単独で東方を統治した。したがって東方におけるクレニオは「副王」的支配者で、あった(シュタウフアー「イエス」)。クレニオのシリアにおける人口調査登録は、時として、ガリラヤにおける調査事業と同じく、流血をも辞せずに行なわれたという(シュタウファー、前掲書)。ヨセフスによれば、クレニオの人口調査は、前6年に行なわれたようだ(ジュールマン)。ヴェントラントの注解は前7年説をとっている。しかし、前6年の時点ではユダヤにはまだへロデ大王が存在していた。ヘロデ大王の支配を無視して、クレニオはガリラヤ地方の人口調査、査定を行なったのだろうか。これについてシュタウファーはこうみる、ヘロデ大王は家臣への独裁的な態度のゆえにアウグストによって左遷され、ローマに対してより従属的となった。かくしてクレニオは前12年ローマ領東部における人口調査を追考した。前8年へロデ大王は免職され、前7年、パレスチナに布告(人口調査の)が始まった。そして10年後の後7年に終了したという。
 クレニオのシリア地方徴税の事業は(流血をもいとわない厳しいものであったが)本人の出頭・登録が義務であった。また12才以上の婦人、病人や障害者の女性、出産を控えた女性も出頭を余儀なくする、厳格なものであった。
 4節にある「ヨセフがユダヤのべツレヘムにのぼった」は土地への徴税のため、その土地の所有者の子孫はすべて権利の登録を課せられたためである。妻マリアを同伴した「すでに身重であった妻マリアと共に、登録を受ける」は、家族や使用人の登録のためでありいわゆる人頭税(今日の住民税)の徴税を目的としたもの。ヨセフとマリアは「ガリラヤの町ナザレからのぼった」とあるから、彼の故郷はナザレであって、決してべツレヘムではない。ベツレヘムはョセフの家系・祖先の出身地である。
 ここには誕生するイエスの「メシア性」について、三つのポイントがしるされている。ーつは、ヨセフをとおして、イエスが「ダビデの家系に属すこと」。むろん、これはマタイ伝一章が強調したポイントでもあった。メシアは「ダビデ家の出身者」という期待が存在したのだ(サムエル下7:12以下)。もう一つは、ミカ5:1、マタイ2:3~6にあるように、イエスが「メシア誕生の地、ダビデの町、ベツレヘムで生まれること」。ベツレヘムダビデの出身地であった(サムエル上17:12)。
 6節「ところが彼らがそこにいる間に、マリアは月満ちて、初子の男の子を産んだ」。ここでは「初子」は強調されている。この表現は、イエスが「ダビデの血続の初子」としてメシア継承者であることを示している。イエスのメシア性の第三ポイントである。6節後半「(幼子を)布にくるんで飼い葉桶の中に寝かせた」においては「飼い葉桶・ファトネー」が強調されている。この「飼い葉桶」は幼子の貧しさやのけ者にされることだけを意味するものではない。「飼い葉桶」は現代人が知つているような木製の桶ではなくて、土を打ち固めた土製のものという解釈がある(シュタウファー)。いずれにしても粗末なものである。1:32以下で預言された、幼子の称号「その子はいと高き者の子と呼ばれ、神は彼にダビデの王位を与え、彼は永遠にヤコブの家の王となる」とは全く対立して、この飼い葉桶の幼子にはメシア的な輝きが存在しないようにみえる。したがってメシアが粗末な飼い業桶に寝かれているといっ事実は、一つの逆説、把握しがたき神の救いの計画、幼子の存在の神秘を表現している。マタイ伝の降誕記事は、ヘロデ大王による幼児虐殺をしるしているが(2:16以下)、ルカのしるす「飼い葉桶」もある種の「十字架」を象徴していよう(ヴェントラント)。
 7節には「彼らとって宿には全く場所がなかったからである」。この宿「宿屋・カタルマ」(協会訳は「客間」、ルタ一訳は「宿泊所」)はいくつかの意味をもつが、宿泊専用の宿屋ではなく、私的個人の家の一部屋のことで、客の接待、ご馳走のためのもの(ルカ22:11)。イエスの時代には貧しい人の家はほとんど一部屋の家で、生活のすへてがそこで営まれ、またしばしば家畜・羊、馬などもそこに入れなければならなかった。したがって、この宿屋は御手製の馬小屋や当時よく用いられた近くの洞穴に柵、戸を取り付けた場所をも示していた(ヴェントラント、イエスは馬小屋で生まれた、という伝承があるが)。そのような部屋での滞在は、母と子にとっては、不安や危険がともなった。幼子は家畜に踏まれたり、絶えず傷つけられる危険にあった。
 かつ幼子はおむつをしていた。すなわちち、絵画やクリスマスのキャロルで表現されたようなもの「巻き毛のやさしい幼子」「愛をただよわす神のようなロ」について、ルカ伝の降誕物語は何も語っていない。ル力の降誕物語は、イエスの「人間性を減少させること」にいささかも関心をもっていないのである。
 幼子の飼い葉桶のベッドのみならず、この「誕生の場所」にしても、イエスの苦難の先取りのようにみえる。