建司の書斎

「キリスト者の希望」、「愛を学ぶ」等の著者、故相澤建司の遺稿説教原稿・聖書研究など。

ロマ書、政治的権力との関係 1  ロマ13:1~2

1998-4(1998/1/25)

政治的権力との関係 1  ロマ13:1~2

 「すべての人は上に立つ《権力》に《臣従す》べきである。というのは神に由来しないいかなる権力も存在しないし、また存続しているものは神によって設立されたからだ。それゆえ、権力と対立する者は神の備えられたものに反抗し、そして対立する者たちは自らに審判を招くに至るだろう。というのは《支配者ら》は善き業に対しては決して脅威ではなく、むしろ惡しき業に対して脅威となるからだ。あなたは恐れるために権力を必要だと欲するのであろうか」。
 1節「上に立つ権力」の「権力・エクスーシア」(複数形)は、さまざまな意味を持つが、第一に「悪魔的天使的な力」の意味、第一コリ15:24「キリストはすべての支配とすべての《権力》と力を減ぼし」、コロサイ1:16「位も、主権も支配も《権力》もすべて御子をとおして造られた」、2:10、15、エペソ1:21など。第二に「権力者、政府当局・官意、国家権力」の意味。ここはおおむね「国家権力」の意味。ルタ一訳「国家権力・0brigkeit」、バルト訳「官意・Beamte」、松木、ミヘル、ケーゼマン、ヴィルケンス訳「権力」。協会訳「権威」はどこか抽象的であいまい。この訳語では「支配者たち」(3節)「剣を帯びている」(4節)との結合も弱い。
 「臣従する」も訳が難しい。ルタ一がこの語を「臣従する」と訳したが、その意味は臣下として従う、という意味になってしまう。これでは「従属して服従する、屈伏する」の意味合いが強くなると、バルトはこの訳語はよくないと批判した。一般には確かに「従属する、屈伏する、服従する」の意味はある。「従う・ピュパコエオー」が自由意志から服従することを指すのに対して、この用語は、神の立てられたこの世においてある秩序を保つこと、この秩序を軽視すると共同体の生活が破壊される、そういった秩序をたもつことを意味する、そういう意味での「服従」のこと、ケーゼマン。言い換えると、一般的な服従の意味よりも、「従属して服従する」に意味合いが強い。第一ペテロ2:13。ケーゼマンは敢えて「臣従する」と訳したが、ヴィルケンスは「従順であれ」と訳した。
 注日すべきものとしてゴルヴィッアーの解釈がある。彼は第一に、キリスト者は国家権力に「どのような限界に至まで服従すべきか」を問い、その回答として使徒行伝5:29の言葉を上げている 「人は人間よりも神により服従すべきである」。
 第二に、ここでパウロが語っているのは、「従順」一般ではなくむしろ「従属・服従」である、という。
 (キリストに服従する、エペソ5:24、神の律法に、ロマ8:7、神に、第一コリ15:28、ヤコブ4:7。この世の権力に、テトス3・1、第一ペテロ2:13。主人に同2:18、テトス2:9)。
 この用語には教会員が愛にもとづく譲歩、妥協の意味での従属、服従の意味がある。「彼らと共に労苦する人々に《互いに従いなさい・仕えなさい》」第一コリ16:16、「キリストへの畏れの心をもって互いに《仕え》合いなさい」エペソ5:21。この箇所を手がかりにしてゴルヴィッアーは、この用語を「仕える」と翻訳する。
 第三に、パウロがこの「服従せよ」で考えていたのは「けして奴隷的、順応的、臆病な臣従ではなく、むしろ、神が私たちをすえられたその場所に、目覚めて、勇気をもって、忍耐強くとどまり続けること、権力者に対して生きた自己責任的な知識をもち、彼らに対してしかりを言うのみならず、くりかえし勇気をもって苦しみを覚悟で、否を言い、彼らに反対し、服従の拒否をすることである」。
 ゴルヴッイツアーのこの解釈は、ひときわすぐれている。
 1節後半で、服従の「根拠・理由」が示される。「神に由来しないようないかなる権力も存在しないし、存続しているものはすべて神によって設立されたからだ」。
 イスラエルにおいても、神に召され選ばれないような王たちは存在しなかった、ダニエル2:21「神は王たちを廃位させ、王たちを立てられる」。異邦人の王キロスも神の日的達成の道具「神の僕」とされる、イザヤ45:1以下。パウロも同じく、地上の支配者・権力者を神的な起源をもつものとみなしている。「神に由来しないようないかなる権力も存在しない」。ここはむろん権力の《神的な根拠づけ》と解釈できるが、《神的限定づけ》とも解しうる、ダニエル2:21。神に逆らう国家権力はそもそも存立しえない、神はそのような権力を減ぼされる、という限定づけである。この「権力」は国家権力、皇帝、官憲、総督などのことであるが、 この権力の背後に神が存在したもうという主張、言い換えると「神への畏れ」に基づいて「政治的権力への畏れ、服従」を命じるパウロの見解は、きわめて傾向的、政治的である。
 「権力が神に由来する」との主張は、いわゆる人間集団による「革命」の思想、権力の悪政を告発して、この権力への服従を拒絶し、人間集団によってこの政権を断罪してこれを転覆する、革命という思想と対立する。ここでの「服従」は「反乱や革命を起こさないという意味である」(カール・バルト)。現在の権力に対抗して、「正義を立てることは私たちの権限ではない『正義を立てるはわが権限である』(申命32:35)からだ」(バルト)。
 2節。したがって、「政治的な権力に対立する者は神が備えられたものに反抗する」すなわち《神に反抗する》ことを意味する。そして反逆者は法的な罰を受けるばかりでなく神の最後の審判で有罪判決と罰を受ける、とパウロはいう。これは明確な《反熱心党的な発言》である。
 パウロが当時どのような《教会的な状況》を念頭において、この1~8節を書いたかは必ずしも明らかではない。はっきりしているのは、ローマのユダヤ人の集団に不穏な状態があって、後49年クラウデイウス帝がローマからのユダヤ人追放令を出した事実である(アキラとプリスキラも追放された、行伝18:2)。しかしこれはローマのユダヤ人社会に関わる問題であって、キリスト者集団の事柄ではなかった。(ネロのキリスト者迫害はパウロの死(60年ころ)の後64年ころであった。さらに皇帝崇拝を拒否した者に対するドミティアヌス帝(81~96)のキリスト者迫害は90年ころのことである)。
 第一に、ローマのキリスト者が熱心党的な運動に共感する傾向をもっていたとする推定には根拠が見出せない、ヴィルケンス。パウロの死後、64~70年にユダヤ戦争が始まったのだが、ローマ総督フェリクス(52~60)は、ユダヤの熱心党の反ローマ運動に対して厳しい弾圧政策をとった。55年ころ熱心党の指導者は4000人の刺客集団で反乱をこころみて弾圧された(行伝21:38)。このような熱心党の反ローマ運動はユダヤ人の中に広がって「ユダヤ戦争の前史的状況」を呈していた(石井晴美)。ユダヤ人と異邦人からなるローマの教会に《反ローマ的な気分》があったとはしるされていないが、パウロがどのようなものであれ、ユダヤ人(やキリスト者)の熱心党的、反ローマ的気分傾向に対して、2節で断固として批判したことは確かである。