建司の書斎

「キリスト者の希望」、「愛を学ぶ」等の著者、故相澤建司の遺稿説教原稿・聖書研究など。

復活について  マルコ16:9~16

1998-16(1998/4/19)

復活について  マルコ16:9~16

 「イエスが週の第一日目、朝早く、復活させられた時、イエスは最初にマグダラのマリアに現われなさった。イエスはかつて彼女から七つの悪霊を追放したのであったが。このマリアはイエスと旅していた人々が泣き悲しんでいるもとに行ってこのことを告げた。彼らは、イエスが生きておられて、マリアによって《見られた》ことを聞いたが、そのことを《信じなかった》。その後、イエスは二人の弟子が田舎へと旅している折り、違った姿で出現された。二人はとって返して、このことを残りの弟子たちに告げた。しかし彼らも二人の言うことを《信じなかった》。そのあとで、十一弟子たちが食卓についていた時にイエスは出現された。そして彼らの不信仰と心の通なさを責められた。イエスが復活されて《見られた》人々のいうことを彼らが《信じなかった》からだ。そして彼らに言われた『行って、全世界の、すべての人間に福音を宣教しなさい。…』」ローマイヤー訳。
 この箇所はマルコ伝の付録の部分であるが、なかなか興味深く示唆するところが多い。一番興味があるのは、イエスの復活顕現が明確にしるされていて、その顕現に出会った者が仲間にその顕現を告げ知らせているのに、仲間や弟子たちが《イエスの復活顕現を信じなかつかた》という点である。
 イエスの復活顕現が《最初に》マグダラのマリアに対してなされた点は、マタイ28:9以下、ヨハネ20:11以下が伝えている。マリアはこの顕現について「イエスと旅した人々」つまり十一弟子よりも数の多い、イエスの伝道旅行の仲間に告げた。「イエスは今も生きておられる。そしてマリアによって《見られた》」。「生きておられる」は復活して生きておられること、ルカ24:23「あの方は生きておられる」。「見られた」は受身形で、復活顕現の主体が神であること、神啓示を意味する。
 これに対する仲間集団の反応はマリアの知らせを「信じなかった」。「信じない」はルカ24:11では空虚な墓を、41節では復活顕現を弟子たちが「まだ信じられずに怪しんでいると」。
 第二の顕現は「田舎へと旅をしていた二人の《弟子》たち」に対してである。弟子がどこへ向っていたかはしるされていないが、ルカのエマオの弟子たちの話(ルカ24:13以下)を想起させる。「違った姿でのイエスの出現」をもって、二人の弟子は復活のイエスを「旅人」と解したかもしれない。二人の弟子の顕現についての知らせをも《残りの弟子たちは信じなかった》。マルコ伝は復活顕現へのこの《不信》を合計三度も繰り返して強調している。イエスの復活の時点では、イエスの復活顕現が弟子たちの強硬な不信のまとになっていた点を強調するこの見解は、私たちに少なからず驚きである。
 ヨハネ伝は弟子の一人トマスの復活への不信を伝えている(ヨハネ20:24以下「私はその手に釘のあとを見なければ、私の指をその釘の場所に差し込まなければ、手を脇腹に差し込まなければ、決して(イエスの復活を)信じない」)。
 実はマタイ伝もこの強烈な不信を述べている。マタイ28:16「さて十一人の弟子たちはガリラヤに行ってイエスに命じられた山に登ってイエスに会って拝した。《しかし疑う者もいた》」協会訳。 この翻訳では復活のイエスに出会った弟子たちの「一部分の者が復活を疑っていた」ことになる。塚本、ローマイヤーなども同じである。NTDのE:シュワイツアーもグニルカも「しかし数人の者は疑っていた」と訳す。これに対してザントの注解のみがここを直訳する「彼らはイエスに出会って拝した。《しかし彼ら全員は疑つていた》」。
 マルコ伝は第三の弟子たちへの復活顕現において、復活のイエスが弟子たちを叱責・非難されたとしるしている「彼らがイエスが復活されたのを見られた人々をいうこを信じなかったからだ」と、16:14。ここであげられている「彼らの不信仰と心の頑なさ」とは、彼らが人間的な知恵・理性にとどまっていて、神のなされる新しい創造・啓示「イエスにおける死の克服」という前代未聞の神の業を受け入れないこと。叱責・非難も強い表現。
 ではこのようなイエスの復活への疑い・不信はどのように乗り越えられたのであろうか。
 ヨハネは弟子たちの「ガリラヤ逃亡」についていう「あなたがたが散りじりになって、自分の家に帰り、私を一人ぼっちににする時が来る、いやもう来ている」ヨハネ16:32。イエスの弟子たちはガリラヤに帰って行って、弟子であることをやめてしまった。
 しかしながら彼らは復活の顕現に出会ってエルサレムに連れ戻される。根本的に引っくり返った体験、十字架で死にたもうイエスが生きて自分たちに出会われた体験においては、自分たちが根本的に変化させられている。ここで語られている復活顕現との出会いの体験は、明らかに実存変革にほかならなかった。そのような経験が、失望と不安のゆえに生命からがらガリラヤへ逃げて行かせた弟子たちを、エルサレムに引き返させて、キリストを宣教するために、生命も惜しまない使徒へと変えたのである(モルトマン「イエス・キリストの道」)。
 マルコ伝は「この問題」をどうしるしているのか。「行って、全世界のすべての被造物に福音を宣教しなさい」16:16。イエスの復活顕現の中心ポイントは世界伝道の命令であったとしるしている。そしてマルコは弟子たちにはイエスの名による惡霊の追放、病人の癒しの賜物も与えられる、と述べている、17節。世界伝道の命令はマタイ、ルカでも共通している。「行って、すべての国民を弟子とせよ、彼らに洗礼を授けよ」28:18、ルカ24:47「罪を赦させる悔い改め(の福音)がその名においてすべての国の人に宣教される、エルサレムから始まって。あなたがたはこの(主の苦難と復活との)証人である」。言い換えると、マルコ伝は弟子たちが「どのようにして復活顕現への疑いを乗り越えたか」については述べていないが、復活したイエスの世界宣教の命令そのものが弟子たちの疑いを乗り越えるものと見ている。マタイ伝もそうだ。どのようにしてか。マルコ16:20「彼らは出ていって、いたるところで宣教した。そして主は(彼らと)共に働いて、いろいろな徴をともなわせることで彼らの言葉を強められた」。

 復活の主ご自身の力が使徒たちの宣教の業の正しさを証明されたのだ。これはとりもなおさず、復活顕現の真実性・現実性を証明するもの、復活への疑いを解消するものであった。イエスによる宣教と奇跡の業は今度は使徒たちによって継続されたばかりではない、使徒たちは自分たちの活動の中に主イエスが共に働いておられることを知ったからだ。

 (復活については、パウロの第一コリント15章のみが重視されて、福音書の復活記事が軽視されるという傾向がいまだに存在する。これは主にドイツの神学者たちの責任である。しかしルカ24章のエマオの弟子、ヨハネ20章のマグダラのマリアへの顕現記事は、最古の伝承であるばかりでなく、内容的にも特に重要だと思う。)