建司の書斎

「キリスト者の希望」、「愛を学ぶ」等の著者、故相澤建司の遺稿説教原稿・聖書研究など。

ロマ書、キリストの模範 1  ロマ15:1~6

1998-17(1998/4/26)

キリストの模範 1  ロマ15:1~6

 「ところで《強い者》は弱い者の弱さを担い、自分を喜ばせることをしない、義務が私たちにはある。私たちのうちのひとりびとりは、善のために、建徳のために隣人を喜ばせるべきである。というのはキリストも自分自身を喜ばせず、むしろ聖書にこう書いてあるように、『あなたをそしる者のそしりが私の上に降りかかった』からだ。
 これまで書かれたことすべては、私たちの教えのために書かれたのであって、忍耐と聖書による慰めによって、私たちが希望に固執するためである。どうか忍耐と慰めの神が、あなたがたをキリスト・イエスにつき従いつつ、互いに一つ思いになって、それによってあなたがたが一致して一つ声をもって私たちの主イエス・キリストの父なる神を賛美するようにしてくださるように」ケーゼマン訳。
 1節の勧告「強い者は弱い者の弱さを担う義務、自分を喜ばすことをしない義務」は、キリストご自身のふるまいを根拠にして勧告されている、3節。「弱い者の弱さを担う」社会、集団、共同体は「すぐれたもの」であり、「強さ」をもったもの、である。逆に「弱い者の弱さ」を担わなで彼らを排除する集団は、未熟で、冷たいものである。
 3節「キリストご自身は自分を喜ばすことをなさらなかった」。そして詩69:9「あなたをそしる者のそしりが私にふりかかった」の引用は、初期キリスト教におけるメシア的な解釈であって、この「私」はイエスをさしている。神を誹謗する者のそしりがイエスにふりかかったと。眼目はイザヤ53章にあるような、イエスが他者の咎を担うというのではなく、むしろ十字架において神に逆らう者の誹謗に耐えることにある、マタイ27:39~43など。イエスの自己放棄的な謙遜の心でなく、イエスの受難の姿、この耐える姿、これが引用の意図である。このようにキリストはご自分を喜ばせなかったと。
 4節。「これまで書かれたことすべて」は、1:2の「神が預言者たちをとおして聖書の中で予告したもの」の意味。「教え」の内容は詩69:9に引用が示すところの、キリストの苦難のこと、キリストの苦難において示された死に至るまでの神への服従と忍耐の模範のこと、ピリピ2:5以下。「聖書の与える忍耐と慰め」(協会訳)は、翻訳的には「聖書による」を「慰め」だけにかけて「忍耐と聖書による慰め」と読むこともできる、ケーゼマン。「聖書による忍耐と慰め」 の読み方では、「聖書による教え」は、私たちが聖書から「忍耐と慰め」を受けて「希望に固着する」のに効果あらしめる、という意味になる。後の「忍耐と聖書による慰め」の読み方では、「忍耐」はキリストの苦難における模範が示すもので、ピリピ2:8「キリストは死に至るまで、しかも十字架の死に至まで従順であった」。第二テサ3:5「主があなたがに神の愛と《キリストの忍耐》をもたせてくださるように」。このキリストの忍耐を《模範として》キリスト者に「忍耐」への呼びかけをパウロはしている、ヘブル11:26「キリストゆえのそしりをエジプトの宝にまさる富と考えた」。この「忍耐」は「希望から生まれ」(第一テサ1:3「キリストへの希望の忍耐」つまり希望から生まれる忍耐)、また希望へと働きかける(5:4「患難一忍耐一練達一希望」)、さらにまた「聖書による慰め」は私たちが希望に固着するようにと寄与する、という、ヘブル11章参照。結論的には5節の「忍耐と慰めの神」という表現で明らかになる。「希望」の内容は明確にはしるされていないが、この希望の内容は7~13で示されている、《ユダヤ人と異邦人からなる教会の一致である》ケーゼマン。
 5~6節はローマ教会のためのパウロの執り成しの祈り。「忍耐と慰めの神」は明らかに4節をうけて、4節では「忍耐」はキリストの忍耐を模範とすることで、他方「慰め」は聖書から与えられるとされたが、ここでは「忍耐と慰め」は神からくる神の賜物であるとパウロはいう。パウロの執り成しの内容は、キリスト者の一致であるーー「一つ思いになる」「一致して」「(強い者と弱い者とが)一つ声でもって」。異邦人キリスト者ユダヤキリスト者、強い者(律法や規定から自由にされたキリスト者グループ)と弱い者すなわち食物規定にこだわるキリスト者グループが、互いに受け入れ合い、信仰理解の違いを乗り越えて、「キリストにつき従いつつ」声を合わせて、父なる神を賛美するようになる、神賛美はキリスト者個人の人生の目的であるが詩146:2「私は生ける限り主をほ
めたたえる」、民族、思想習慣、信仰理解を異にするキリスト者の集団が、一致して、一つ声をもって神賛美をする、これがパウロのローマ教会のための執り成しの祈りのポイントである、同時にこれは、4節にある「希望」の内容である。