建司の書斎

「キリスト者の希望」、「愛を学ぶ」等の著者、故相澤建司の遺稿説教原稿・聖書研究など。

平野の説教(5)  ルカ6:27~36

1998-34(1998/8/30)

平野の説教(5)  ルカ6:27~36

 「しかし(私の)話を聞いているあなたがたに私は言う、あなたがたの敵を愛しなさいあなたがたを憎む者たちに善いことをしなさい。あなたがたを呪う者たちを祝福し、あなたがたを誹謗する者たちのために折りなさい。
 あなたの類を打つ者には他のほうも差出しなさい。上着を奪う者には、下着をも拒否するな。あなたに求める者には誰にでも与え、あなたのものを取り上げた者から、取り返そうとするな。人々から自分にしてほしいと欲するとおりに、あなたがたも人々にもしなさい。あなたがたが自分を愛してくれる者たちを愛したとしても、あなたがたに対してどんな反対給付があろうか。罪人でも自分を愛してくれる者たちを愛するのだから。あなたがたに善いことをする者たちに善いことをしたとしても、あなたがたに対してどんな反対給付があろうか。罪人でも同じことをしているのだ。また取りもどすことを期待してその人たちに貸したとて、あなたがたに対してどんな反対給付があろうか。罪人も同じものを取りもどそうとして、罪人に貸すのだ。しかしながら、あなたがたの敵を愛し、善いことをなし、貸しなさい、決して落胆しないで。そうすれば、あなたがたのほうびは大きく、あなたがたはいと高きおかたの子らとなるだろう。このお方は恩知らずの者にも、悪人にもありがたい(憐れみ深い)お方であるからだ。あなたがたの父が慈悲深いように、慈悲深い者になりなさい」
 ここは、マタイ5章の「山上の説教」と並行記事である。イエスの説教のうちでも、特に「あなたがたの散を愛しなさい」は有名である。
 今回は27~28節。ここで眼目となるのは、「敵を愛せよ」が語られた「文脈」である。「敵」という存在は社会的、政治的、共同体的に闘争している人々に問題となるテーマである。マタイ伝では「敵」との関連で「迫害する者たち」の存在があげられた。ルカでは「あなたがたを憎む者、呪う者、誹謗するする者」が「敵」の存在と結合されている、27、28節。ここでは「あなたがたの敵」とあるから、「個人的な敵」というよりも、「あなたがた・イエスの弟子たち・キリスト者たちの敵」が想定されている。ユダヤ人は徴税するローマ帝国(政治的・民族的な敵)や、たもとをわかったサマリア人(民族的宗教的な敵)、律法を守らない異邦人、取税人、罪人(宗教的、共同体的敵)を敵視しつつ共同体の「体制」を保っていた。この敵視はイエスの宣教にも向けられた。イエスの宣教には律法学者、パリサイ人らの批判と迫害が加えられた。弟子たち、使徒たち、キリスト者たちもすでに迫害を受けていた。イエスの十字架(後30年ころ)、ステパノの殉教とステパノ派のエルサレム追放(35年ころ)、使徒ヤコブの殉教(後42年ころ)、使徒パウロの異邦人伝道への迫害(50年代)、そのパウロ、ペテロの殉教(60年ころ)、などをルカの教会はよく知つていた。そしてマタイ伝の書かれた時期もルカ伝の時期も、教会はいまだ迫害の直中に置かれていた。キリスト者を迫害したのは誰か。ユダヤ当局とユダヤ人である。
 「強い敵」に対する態度については、敵の協力者となる立場、ヘロデ大王や祭司長らおよび取税人の頭など。異邦人の軍事的占領支配と武闘する、熱心党の立場。敵の支配から空間的距離をおいて、仲間のみを愛し外部のすべての者に憎しみを增幅する立場、クムラン教団およびパリサイ人。これに対して、イエスの敵に対する愛敵の態度は初代のキリスト者にも、その後のキリスト者にも、堅持された。「愛敵の戒めは、初代教会の時期、キリスト者のしるし(アイデンティテイー)の継続の、重要な要素であった」ボフオの注解。
 旧約聖書がしるしている悪人に対する神の憎しみをイエスは断ち切られ、禁じられたのだ。特に申命30:7「あなたの神、ヤハウエはあなたを迫害した、あなたの敵とあなたを憎む者とにこれらすべての呪いをこうむらせるであろう」という「敵への憎しみを是認する立場」をイエスは、根底からくつがえしてしまわれた。キリスト者による「戦争協力は政府や新聞報道が国民にまき敵らした《敵国民への憎悪を自分たちの演説・パンフの頒布をもって増幅・伝播するもの》であって、明らかにイエスの戒めに逆らうものだ。日清・日露戦争における主戦論キリスト者、小崎弘道、海老名弾正など。
 28節「あなたがたを呪う者を祝福し、あなたがたを誹謗する者のために析りなさい」で想定されているのは、弟子 キリスト者を迫害するユダヤ教当局や周囲のユダヤ人であるが、この迫害者のために祈れとイエスは要求されている。イエスご自身が十字架上で敵・迫害する者のために祈られた、ルカ23:34。ステパノもそうした、行伝7:60。主の兄弟ヤコブは、死の苦しみにある時、自分を苦しめた者を赦したという(エウセビウスの「教会史」332年、ボフォ)。ヤコブは62年総督フェストの死後起きたユダヤ人の暴動で殉教した。使徒ヤコブは(行伝にあるような殉教をとげたが)自分を裁判所に連行し首を斬った者を赦した、その者はヤコブの語る証言によって後にキリスト者となったという(200年ころの神学者アレキサンドリアのクレメンスによる、ボフオ)。
 いずれにしてもこの愛敵の戒めは「特異なもの」である。「敵を愛することは不可能ではないのか」という問いが昔も現代にも存在するであろう。これについては、二つのポイントがある。一つは「神の助けによってのみ」愛敵や迫害する者のための祈りは実現するということ、自分の力によってはできないということである。神に依り頼む行為が求められるのだ。イエスに従った者の中にこれが実現した例はすでにふれた。もう一つは、キリスト教がイエスの要請・「愛敵の言葉」を無視し不可能とみなして、再びユダヤ教的な「仲間への愛と敵への憎しみ」の立場に固執しそれに留まったとしたら(日露戦争、15年戦争の時期には愛敵の戒めを「愛国心」によって屈服させたキリスト者が多かったが)神の愛の深さと高さは失われ、イエスの十字架の愛も減殺されて、キリスト教は、格調も高貴もなく、神聖さもない「一宗教」にとどまって、世界宗教には発展しなかったろう。
 33~34節は、この戒めが通常の戒めでなく「高価な要請」であることを述べているがイエスの語られた「迫害する者ために祈れ」との言葉がユダヤ教の民族的、宗教的枠を突破させたといえる。そしてこの敵への愛の戒めは初代のキリスト者の共通のしるしとなった点を現代のキリスト者はよくよく考えなければならない。キリスト者の間で真剣に実践されていたから。