建司の書斎

「キリスト者の希望」、「愛を学ぶ」等の著者、故相澤建司の遺稿説教原稿・聖書研究など。

ピラトの有罪判決  ルカ23:13~25

1999-13(1999/3/28)

ピラトの有罪判決  ルカ23:13~25 

 並行記事は、マルコ15:1~5、マタイ27:11~26
 (1)最高法院の議員たち全体は、22:70「おまえは神の子か に対する問いかけに対するイエスの答「私がそれだと言っているのはあなたがただ」を聞いて、イエスを瀆神者として総督ピラトのもとに引いていった、23:1。この理由は、確かに宗教的な事柄についての裁判権ユダヤ人に与えられていたが、ヨハネ18:31、その他の社会的政治的な裁判の権限は総督ピラトが持つていたからだ。さらに死罪に関連した刑の執行はユダヤ人には与えられていなかった、ヨハネ18:31。イエスをめぐる訴訟「メシア僭称の問題」は同時に「王の問題」として「宗教的問題の枠」からはみ出して、すぐれて「政治的な色彩」をおびたものとたくらまれたのた。「王の問題」については「その背後に反乱計画があるとの予断」のもとに総督は必ず介入したという。したがってユダヤ教当局は、イエスの訴訟を《政治的問題》にすりかえるために、ピラトのもとに連行したのであり、しかも「メシア僭称者」としてイエスへの《死罪判決の執行》をピラトにやらせようとしたのだ。
 眼目はイエスの「メシア告白」の問題である。ユダヤ教当局者は「メシア」を「世俗的王」と「政治的翻訳・歪曲」をした、これは間違いではないにせよ「意図的」であった。「メシア」は「膏注がれた者」という意味で王や預言者、大祭司も膏を注がれ、必ずしも世俗的な王と同義語ではないからだ。
 ピラトはユダヤ教当局のこの企てを知り「おまえはユダヤ人の王なのか」とイエスに尋問している、23:3。これにイエスは答えられた「それはあなたが言っていることだ」と。これは半分肯定(フィッツマイヤー)「留保つきの肯定」(プリンツラー)である。イエスの回答が「留保つきであったから」ピラトは有罪判決を出せない。「この人には何の罪も見出せない」4節。ここではピラトがあえて「有罪の根拠がない」と判断した《他の特別の根拠》と想定すべきである。その根拠とは「イエスが王である」にせよ、それは「世俗的な意味での王ではないこと」をピラトがしっかりとはっきりと把握していたという点である(ヨハネ18:36「私の国(王国、支配)はこの世のものではない」は、文脈的にはイエスはこの世的な手段、武器をもってやりとげようする反乱を決してもくろんではいないという意味)。
 ピラトの次の審問、ルカ23:13~25においては、イエスの十字架刑がどのようにして下されたかが述べられている。ここで目をひくのは、《ピラトがイエスの無罪を三度も確認して釈放しようと望んだという点》である「私はこの人に何の罪も見出せない」4節、14後半、15。16「だから、鞭で打たせてから釈放する」22節。この点では、ヨハネ伝とは一致している(ヨハネ18:38「私はあの人には何の罪も見い出せない」19:5、19:12「ピラトはなんとかしてイエスを赦そうとした」)。
 むろん、これらの箇所が、イエスの裁判においてイエスを死罪にした当事者はローマ総督ではなく、むしろユダヤ教当局とユダヤの民衆であることを強調するルカ伝、ヨハネ伝の《護教論》(キリスト教ローマ帝国に敵対する宗教ではないという弁護論)から、書かれたとの解釈もある(コンツエルマン)。
 他方「これらの箇所」は《独自の伝承》(マルコとマタイが知らない)をルカとヨハネは採用したとの解釈もある(レンクシュツルフ)。
 むろんピラトが「公正で高潔な人格者の総督であったからイエスの命を救おうとした」と解するのは、まとはずれである。セヤーヌスの引き立てでピラトは総督に就任したらしいが、皇帝の側近セヤーヌスは有名な「ユダヤ人嫌いであった」。ピラトもまたユダヤ人嫌いでことあるたびに「反ユダヤ的な姿勢をあらわにした」という(ルカ13:1)。
 ユダヤ教当局がイエスを連行してきて手取り早く有罪にさせて、処刑してしまおうと無理な要求をピラトに突きつけた、まさしくこの時点にもピラトは「ユダヤ教当局の企てに反対の行動をとろうとした」(プリンツラー)。「向こうがイエス死罪と主張するなら、こっちはイエス無罪・釈放でいく」というわけである。
 23:21~22「人々は叫んで言った『彼を十字架につけろ、十字架につけろ』。ピラトは三度目に彼らに言った『この人がいったいどんな悪事を行なったというのか。私は死罪にあたるものは何もこの人には見出せなかった。そこでこの人を鞭で打たせて後、釈放したいのだ』。しかし人々は大声をあげて、イエスを十字架につけるようピラトに要求した。そしてその声が勝った」。
 この箇所がいわんとすることは、ユダヤ教当局と居あわせたユダヤ人らが、ピラトの抵抗をにもかかわらず、ひるむことなくイエスの死刑を要求して、ついにその要求をとおした、という点である。

 (2)さてこの受難記事を読んだかぎりでは「イエスの十字架の救済的意味」は把握できない、むしろ弟子たちが「イエスの十字架につまづいた」ことのほうがよく理解できるように思われる。使徒行伝2:23「このお方は神の定められた摂理と予知をとおして(死に)渡されたのだ」つまり十字架の救済的意味は、イエスの死後、イエスの復活によってはじめて明らかにされた。それは復活のキリストの「啓示」によって実現した。
 ルカ伝ではエマオの弟子の話で《復活のキリスト》が弟子たちに「キリストは栄光に入るために、そのような苦しみを受けねばならなかったのではないか」とお話になって、彼らに旧約聖書全体のメシア関連箇所を説明されたとある(23:26以下)。
 言い換えると、十字架のもつ救済的な意味は、イエスの審問記事自体からは明らかとはならないということである。確かにキリスト教は「十字架の宗教」であるが、「キリストが私たちの罪のために死んだこと」(第一コリ15:3)は、「歴史的事件としての十字架」からはわからない。十字架の救済的意味についての「説教」(新約聖書の証言)によってのみ「み子を死に渡された神の御心」(ロマ8:32)が把握される。その点で「十字架の出来事」でイニシアティヴをとっているのは、サンヘドリンでもピラトでもなく、神ご自身である。弟子たちをして逃亡させ、弟子たちがもっていた「イエスへの以前の信仰」を挫折させたイエスの十字架の死を、私たちの罪の贖いのために神がみ子を見捨てたもう救いの出来事として把握するところに、信仰は成立する。したがって「歴史的事件としての十字架」を「そのままでは・目撃では」「救いの出来事」とみなすことはできない。目撃によって十字架が贖いの出来事となるという信仰は、弟子たちの「以前の信仰」にすぎない。十字架についての「説教・証言を聞くこと」こそ、十字架を新たな視点で見なおす贖罪信仰を与えてくれるものである。