建司の書斎

「キリスト者の希望」、「愛を学ぶ」等の著者、故相澤建司の遺稿説教原稿・聖書研究など。

最高法院での審問  ルカ22:66~71

1999-37(1999/10/17)

最高法院での審問  ルカ22:66~71

 「夜が明けると、民の長老たち、祭司長ら、律法学者らが集まり、そしてイエスは最高法院の前に連れ出された。彼らは言った『おまえはメシアなのか、私たちに言ってみなさい』。イエスは答えられた。『私が言っても、あなたがたは信じないだろう。私が質問してもあなたがたは答えないだろう。しかし今より後、《人の子は力ある神の右手に座すであろう》』。そこで皆の者が言った『では、おまえは《神の子》なのか』。イエスは言われた『私がそうだと言っているのはあなたがただ』。そこで彼らは言った『これ以上どんな証言が必要であろうか。私たちは彼自身の口からそれを聞いたのだ』」

 66節によれば、会議は翌朝開かれたという。 他方マルコ14:53以下によると、最高法院の審問は捕縛・連行の夜、行なわれている。71人の議員うち23名で会議は成立したので夜の審問も可能であったという、プリンツラ一。
 「民の長老たち、祭司長ら、律法学者ら」というのは、最高法院・サンヘドリン議員・71人の構成メンバーである。最高法院は行政、裁判を行なった。総督はある程度の自治と兵役免除を認めていた。総督が取り上げる訴訟は、反逆罪の案件(ローマへの納税拒否王を名乗ること・政治的煽動)のみであった。
 マルコ伝は議員のうち大祭司カヤパの名をあげているが、ここ66節にはふれられていない。「祭司長ら」というのは大祭司の経験者たち、アンナスの名は知られている。彼らは「神殿頭」(大祭司の補助者で、当時はカヤパの義兄ヨナタンらしい、イエスの補縛にも守衛長を派遣したようだ)と神殿管理者などを司どった 派閥的にはサドカイ派
 「民の長老たち」は金持の地主階級、信徒。アリマタヤのヨセフが知られている。彼はエルサレムの街の外に庭園つきの土地をもっていてイエスを埋葬させた。イエスの死刑判決に同意しなかったという。ルカ23:51。しかし公然とは死刑反対をとなえなかったようだ。
 「律法学者ら」は主にパリサイ派、階級的には小市民層。議員70名のうちサドカイ派(に属す祭司長と長老ら)とほぼ同等の勢力をもっていた。パリサイ派はイエスの活動に敵対的反応を示した、イエス捕縛のくわだても彼らであった、ヨハネ7:32。ヨハネ伝はサンヘドリンの議員らの多くはイエスを信じたが、会堂から追放されるのを恐れて、またパリサイ派をはばかって公然とは告白しなかったという、ヨハネ12:43。また議員でありながら、夜イエスのもとに訪れたニコデモの名が知られている、ヨハネ3章。さらにこの派の議員としてはガマリエルの名も知られている、行伝5:34以下。ただし二コデモとガマリエルは、イエスの死刑判決に異議を主張してはいない。
 マルコ14:55によれば「サンヘドリンはイエスを死刑にするためにイエスに不利な証言を見つけようとしたが、見つからなかった」。手でつくった神殿をこわして、手でつくったのではない別の神殿を3日のうちに建てるとの証言も出されたが、証言が合わないので採用されなかった。これは明らかに瀆神罪(レビ24:16)をねらったもの。イエスの反律法的行動、罪の赦し(ル力5:20)安息日問題(6:5)は問題とされていない。
 ルカ伝はいきなりイエスのメシア性についての審問に入る「おまえがメシアなのならそうだと私たちに言ってみなさい」67節。マルコ14:61「おまえは《ほむべき方》の子、メシアなのか」。「ほむべきお方」はむろん神の言い換え。マルコ、ルカ、マタイともこの審問の頂点となるポイント。コンツエルマンは、ユダヤの法では王位僭称者がメシアを主張しても犯罪にはならなかったという。  130年ころの革命家バル・コクバは自らメシアと名乗ったが、瀆神罪で告発されることもなく、有名なラビ・アキバからメシア王、ヤコブの星という称号までもらったという。しかし当時はローマの総督による支配という別の政治的状況があった。言い換えると、支配された側ユダヤ民族にはローマ帝国からの民族解放を実現する「政治的メシアの登場に対する熱い待望」があった。イエスが活動の中でこの政治的メシアと混同されるのを嫌い「メシアと呼ばれるのを避けた」一因である。
 カヤパ(おそらく議長)がこの会議で目論んでいたのは、公正な裁判ではない。むしろ証人や本人の供述から「メシア僭称の証言」を引き出し、それによってイエスに死刑判決をくだすことにあった。始めから「予断と中傷の企て」があったのだ。ルカ伝はこのポイントに集中しており、他の証言・偽証部分をカットしている。
 カヤパの審問「おまえはメシアなのか」に対して、イエスは答えられた「今より後、《人の子は神の右に座すであろう》」69節。「人の子」は単に「私」の意味だけでなく旧約聖書のメシア証言、ダニエル書7章にあるように「メシア称号」である。「神の右に座す」は詩110:1から由来。そこも「王の詩篇」でメシア証言の箇所。この「今より後」は「イエスの再臨はまだまだ長いことそこまでいきつかない」の意味で再臨遅延の言葉である、コンツエルマン。マルコ14:62のイエスの答え「私がそれだ。あなたがたは、人の子が力あるかたの右に座り、天の雲にかこまれて来るのを見るであろう」。「私がそれだ」は神顕現の定型表現。
 瀆神罪の問題については、イエスが罪を赦す力を主張されたこと(ル力5:20)は通常「神聖冒涜・瀆神罪」にあたる。最初の殉教者、ステパノの場合「イエス・人の子が神の右に立っておられるが見える」と言ったので(行伝7:56)瀆神罪とみなされて、集団リンチ的に石で殺された。
 イエスは明確にメシアであることを認められたことに対して、大祭司は、議員らが今「冒涜を聞いた」(マルコ14:64)と瀆神罪の判定をくだした。
 サンヘドリンはさらにたたみかける「ではおまえは神の子なのか」。イエスは答えられた「私がそれだと言っているのは、あなたがただ」70節。この答えはあまり決定的でない肯定の答と解釈されている、プリンツラー、グニルカ。
 マルコ14:63ではイエスの返答に大祭司は自分の着物を引き裂いた悲憤慷慨のパフォーマンスをしたという。そしてサンヘドリン満場一致で「死罪の判決」を出したという。ルカ伝はこの点を省略している。イエスは「暴虐な裁き・裁判によって取り去られた」イザヤ53:8。