建司の書斎

「キリスト者の希望」、「愛を学ぶ」等の著者、故相澤建司の遺稿説教原稿・聖書研究など。

ヘロデの前で  ルカ23:5~12

1999-39(1999/10/31)

ヘロデの前で  ルカ23:5~12

 「彼らは主張し続けた『この男はガリラヤから始めてここに到るまでユダヤの国全体で自分の教えによってわが民を煽動してきました』。ピラトはこれを聞くと、この人がガリラヤ人かどうかをたずね、ヘロデの領内の出身と知ると、イエスをへロデのもとに送った。へロデもそのころエルサレムにいた。ヘロデはイエスを見ると、とても喜んだ、ヘロデはイエスにいつか会いたいと望んでいた。またイエスによってなにかの奇跡がなされるのを見たいと願っていたからだ。
 ヘロデは力を尽くして、質問しようと試みたが、イエスは全然答えようとはされなかった。やがて大祭司と律法学者たちがわきに立って、必死でイエスを告発した。そのうちへロデと兵隊たちはイエスに侮辱と嘲笑を加え、豪華な衣を着せて、ピラトに送り返えした。へロデとピラトは以前には互いに不和であったが、二人が友となったのは、この日のことであった」
 
 ここはルカ伝特殊資料、並行記事はない。
 ピラトはサンヘドリンのイエス告発をすげなく却下しなかった。その理由は告発を即時に斥けると、サンヘドリンは面目を失い、思いもよらない反撃をピラトに対してなすかもしれない、サンヘドリンがピラトを皇帝に提訴すれば、ピラトの地位・首はあやうくなるだろう(皇帝への提訴で、ユダヤサマリアを相続した兄アルケラオスはすでに流刑になっていた、6年。この点でピラトは日和見主義者であった。イエス釈放の試みもなすが、他方でサンヘドリンの顔色もうかがう人物であったから。
 ピラトはサンヘドリンの告発内容「この男はガリラヤから始めてここエルサレムに到るまでユダヤの国全体で、その教えによってわが民を煽動してきた」5節、に着目した。そしてピラトは、イエスが「ヘロデの領内の出身」と知つて、イエスの決着をへロデの手に委ねようとした、6節。ローマの法によれば、属州の長(総督)は囚人の審問、判決の後その者の出身の州の長(ここではへロデ) のもとに判決文と共に送り返すこととなっていた。他方総督は秩序を守るためにはいずれの州の出身者であれ審問し判決をくだす権限をももっていた。ピラトはいずれの方法(へロデに囚人を送ることも送らないことも)できた。ピラトは明らかにこのやっかいな件から手を引きたかったのだ、プリンツラ一。折しもユダヤ最大の祭り、過越の祭りの最中で、ピラトが常駐のカイザリヤからエルサレムに出張ってきたように、ヘロデも過越の祭りのためにエルサレムに来ていた、7節。だとすれば、ヘロデへの送りつけは市内にあったへロデの屋敷(ハスモニア朝宮殿)数十分ですんだろう。
 ヘロデは大王の次男、アンティバス。兄と共にローマで教育を受けたという。大王の死後ガリラヤ、ペレアの領主(前4~39年在位)。彼は弟ピリポの妻へロデアと結婚したのを洗礼者ヨハネに批判されて、ヨハネを投獄し処刑した(マタイ14章)。イエスには「狐」と反批判され(ルカ13:32)またへロデはイエスの活動の噂を聞いて「イエスに会いたいと思った」(ルカ9:9、23:8)。彼はガリラヤ湖のそばににテベリアという街を建設して皇帝にへつらった。彼も兄アケラオと同様、追放・流刑になったという。
 へロデはイエスを見ると喜んだ、そして言葉をつくしてイエスに問いかけたが、イエスは何もお答えにならなかった。イエスは冷ややかに沈黙したままであった。その沈黙はここでも静かに苦難に耐える神の僕の(イザヤ53:7)気高い威厳に満ちた沈黙であった、プリンツラ一。同行したサンヘドリンの議員らはへロデにイエスを告発した、しかしへロデはイエスを有罪とは判断しなかった。 へロデがもし有罪とみなしたとしたら、イエスを送還せずに裁判のために留置したろう。15節 「ヘロデも無罪とみた、イエスをわれわれのもとに送り返してきたのだから」。
 ヘロデは兵隊と一緒になってイエスを侮辱したり、嘲笑した(11節)。サンヘドリンが告発した内容についてへロデは何も語らない、ただ一つイエスが「王位僭称者」をうけて、おまえが王だというのか、ヘロデと兵たちの「侮辱と嘲笑」を引き起こした。ヘロデはさらにイエスを晴れ着を着せて、ピラトに送り返した。
 この事件「イエスの送り付けと送り返し」をとおしてピラトとへロデ以前の不仲を解消して仲良くなったという、12節。ヘロデは以前から皇帝ティベリウスと交流があり、特にピラトの配下の兵らが神殿に侵入してガリラヤ人らを虐殺した事件、ルカ13:1以下などはピラトに対するへロデの機嫌をそこねたろう。しかしこの送付・送還をとうして両者の対立は解消したという。
 教会はへロデの大臣クーザの元妻、ヨハンナ、あるいはアンテオキア教会の、ヘロデの幼な友達マナエンなどをとおして「ヘロデとイエスのやりとりについての情報」を得ることができたろう。したがってルカのみがしるしたこの箇所の歴史性を疑うことはできない、プリンツラ一。