建司の書斎

「キリスト者の希望」、「愛を学ぶ」等の著者、故相澤建司の遺稿説教原稿・聖書研究など。

ピラトの審問3  ルカ23:13~25

1999-41(1999/11/14)

ピラトの審問3  ルカ23:13~25

 「ピラトはそれから祭司長らと長老ら、民衆を集めて言っ 『おまえたちはこの人を民衆をあやまらせる者として私の前に引いてきた。そこでおまえたちの前で私がこの人を取り調べたが、おまえたちが訴えた容疑の理由は何も認められなかった。ヘロデも何の罪も認めなかった。この男を送り返してきたのだから。明らかに、この人は死罪に当ることを何もしていない。それゆえ、私は鞭打ちにして釈放することにする』。すると彼ら全員が叫び続けた『この男をかたずける、バラバを釈放してくれ』。ピラトはイエスを釈放したいとのぞんでいたので、再び、彼らに呼び掛けた。しかし彼らは叫び続けた『十字架につけろ、その男を十宇架につけろ』。そこで三度目にピラトは彼らに話しかけた『この人がいったいどんな悪事をなしたのか。私はこの人になんら死罪に当たるものを認められなかった。だからこの人を鞭うって釈放することにする』。
 しかし彼らは大きな声で要求し続けた、イエスは十字架につけられるべきと。そして彼らの声が勝った。ピラトは彼らの要求をかなえることに決定して、暴動と殺人のかどで投獄されていた者を彼らの求めどおり釈放し、彼らの思いどおりにするようにイエスを引き渡した」。
 ピラトの審問の特徴は、すでにみたように、政治的犯罪のみをとりあげるという点にある。そしてピラトは最初に直接審問してみて、イエスの政治的犯罪に対して「無罪」だと裁定した、4節「この人には何の罪も認められない」。
 ここでも再度ピラトは無罪を宣告し、釈放しようと試みた。15~16節。この釈放の試みに対して、サンヘドリンの祭司長らは抵抗して、三度目のピラトのイエス無罪裁定と釈放の試み(22節)をもくつがえした。「イエスを十字架にっけよ」(21,23節)との群衆の大声がピラトの試みを粉砕した。
 すなおに読んでいくと、公正な裁判官ピラトの印象がある。「ルカの護教論」が主張されて、ルカ伝は必要以上に、ローマの官憲を美化して、キリスト教はローマに敵対するものではない、ことを強調していると主張された、コンツェルマン。その論拠としてあげられるのがイエスへの死刑判決である。イエスの死刑判決をピラトはくだしていない「判決を拒否している」、むしろ死刑判決に「もっていった」のはユダヤ教当局者、サンヘドリンらだ、死刑判決はユダヤ人指導者の責任、ユダヤ人の罪責に基づくと。
 しかしながら、はたしてこれは正しいのか。ルカ伝だけでなく4福音書はすべて「ピラトが死刑判決を出した」とは述べていない。「引渡した」。この表現を死刑判決の意味に解釈しているだけである。ピラトはイエスを政治的に無害と認めたようだ。しかしだからといって決して公正な裁判官ではなかったようだ。26~36年の総督時期、幾度もユダヤ人への弾圧をしている、特に36年にサマリアでおきた偽預言者による騒乱では、集団殺戮を行った。サマリア人はシリア総督にピラトの弾圧へのクレイムをつけ、ピラトはローマに召還された。イエスの審問でピラトが見せた行動の根本には「ユダヤ人嫌い」があったようだ。自分の地位が危うくなると、ころりと自分の立場を守るために動く日和見主義者とヨハネ伝はみている。
 ヨハネ伝の記事19:12~16によれば、ピラトはサンヘドリンの「ピラト提訴の脅迫に屈して」イエスを十宇架刑に引き渡したという。「ユダヤ人らはさけんだ、もしあなたがこの人・イエスを赦すならば、あなたはカイザルの友ではない。自分を王とする者はカイザルに反抗する者だ」。これはピラトには恐ろしい恐喝であった。ピラトが反逆者を赦すならば、カイザルの友であることをやめた行為となる。そうならばいつでもカイザルに提訴して罷免させるという暗示であるから。これに対してピラトは切り返す。「これがあなたがたの王だ」。14節はこの反逆罪に問われた者こそお前たちの王だ、すなわち、ピラトは(この無害な人がお前たちの王だとすれば)おまえたちユダヤ人ら全員も国事犯反逆罪に問われる、と彼らに反逆罪の烙印を押して、帝国に対するユダヤ人らの《見せかけの忠誠心》に対して非難し報復した。サンヘドリンはこれに対して、本来の信仰をかなぐり捨てて神聖冒瀆の言葉をはく「私たちにはカイザルのほかには、王はありません」15節。ユダヤ人・サンヘドリンは改めてカイザルへの《忠誠を表明して》、神のみを王とするイスラエルの信仰の伝統を否定したのだ。
 ピラトはユダヤ人らの告発に屈した、「イエスを彼らの思いどおりにするように引き渡した」ルカ23:25。