建司の書斎

「キリスト者の希望」、「愛を学ぶ」等の著者、故相澤建司の遺稿説教原稿・聖書研究など。

イエスの復活と希望  復活の史実性(一)

2000講壇1(2000/1/30~2000/4/9)

エスの復活と希望  復活の史実性(一)

 人間の希望は、人間の死によつてついえ去ってしまうという逃れようのない難局をもっている。この難局を突破する希望の形としては、ヨブの希望があった。そして死によってもついえ去ることがない希望がキリスト教の希望である。なぜならこの希望は死を超えた希望であるから。死を超える希望とは死人の復活を根拠としている。それゆえ私たちはまず死人のよみがえりである、イエスの復活を取り上げる。これは大きなテーマである。
 さて宗教改革の時期においては、キリスト者は聖書に書いてあるとおりに復活の出来事は起きたと信じていた。しかしながら現代のキリスト者はこのような素朴な信仰を持てなくなり、聖書の復活記事にもっと歴史的批判的な目で読むようになった。そこで復活の出来事をどのように把握するかがあらためて問題となった。
 復活の記事について「史実的方法」(トレルチ「神学における史実的方法と教義学的方法について」)が適用された結果「復活の出来事」は従来「教義学的方法」によって主張されたものが大きくぐらついたようにみえる。
 特にドイツ語の「史実的・historisch」という用語が私たち日本のキリスト者を悩ませてきた。厳密に学問的に復活記事を読み、研究することに慣れていない者にとって「キリストの復活は史実的な出来事ではない」という主張(バルト、ブルトマン)に出会うと《復活の出来事それ自体が否定されたかのように思えて》、悲しい気持になってくるからだ。大体「歴史、史実」という用語が難しい。
 「史実的、歴史的」という用語のうち「historisch・史実的」というのは、近代の歴史学の研究(史実的)方法によって確認できる歴史的出来事のことで《史実・Historie》と表現される。「gesichtlich・歴史的」というのは、バルトによれば、史実として確定できることよりも、はるかに確実に時間の中で起きた出来事のことで《歴史・Gesichte》 と表現される。
 「イエスのよみがえりの歴史(Gesichte)はこのような出来事の一つである」(カンペンハウゼン「空虚な墓」の蓮見和男氏の訳注)。
 したがって、先のバルトやブルトマンの見解「キリストの復活は史実的な出来事ではない」は、復活の出来事を《否定したのではなく、むしろ復活は史実的な出来事として確認できない》と主張したのだ。これはいくつかのポイントを明らかにした。
 第一に、復活の出来事を「史実的な出来事」とみる見解(パンネンベルクはこの立場だ思うが)の吟味の必要。
 第二に、復活の出来事のテーマを「私たちの存在の外部で起きたもの」ではなく、私たちの「内部・心の出来事」に転調させること、復活を「復活信仰」のテーマ(ブルトマン)や弟子たち・キリスト者の実存の変容、すなわち絶望した弟子たちが、生き返ったように希望に満ちた存在に変わったとのテーマのみに転調させることは問題である。
 第三に、復活についての聖書の記事を、パウロの第一コリント15章のみに限定して、福音書の復活記事を過小評価することは問題である。この過小評価の傾向は従来のドイツの神学に著しい。その傾向はやはり福音書の記事が「史実的な出来事として確認できない」とみなしたからだ。
  さて「イエスの復活は史実的出来事である」と主張する現代の唯一の神学者パンネンベルクの見解をみてみよう。
 「歴史家(聖書学者)は原始キリスト教の成立に導いた復活の出来事の歴史的な関連を再構成する義務を負っている。その場合、歴史家がどのような可能性を考慮するかは、むろん自家薬篭中の《現実性の理解》に依存している。歴史家が<死人は復活しない>という確信をもって自分の研究にとりかかるならば、前もつてくキリストは復活しなかった>(第一コリ15:16)という事柄が結論となってしまう。他方復活の希望について黙示文学的な待望に真理の内容を認めるとすれば、歴史家は伝承の状態の特別の事情が別の説明を示唆しない限り、復活の出来事の経過を再構成するための可能性を考慮するにちがいない。後者[復活顕現を弟子たちの空想として心理学的に説明する試み]は当てはまらないことはすでに見てきた。したがって(復活の)出来事の経過を再構成する場合イエスの弟子たちの幻視(Vision)についてばかりでなく、復活したイエスの顕現につても語るという可能性が存続する。その場合、人は弟子たち自身と同じように、象徴的な言語で語る。しかし別の説明の可能性が確実でないことがはっきりした時には、このような言語をとおして示すことの助けをかりて、その出来事の経過を理解することは、弟子たちにも私たちにもさしつかえないことだ。この意味で《イエスのよみがえりは史実的な出来事として特徴づけることができよう》(強調、筆者、以下同)。原始キリスト教の成立が、他の諸伝承を除いて、パウロの場合復活したイエスの顕現に基づいているとすれば、現にある伝承に対するあらゆる批判的な吟味をしたうえで、死人からの復活という終末論的な希望の光で考察されるならば、その場合には、そのように特徴づけられるものは、たとえそのことについて詳細は何も知らなくても、史実的出来事である。さらに終末論的な待望の言語によってのみ表現しうる出来事は、史実的に起きたもの》として主張することができる」(パンネンベルク「キリスト論綱要」第三章第四節、イエスの復活の史実的問題性)。
 ブルトマンやカール・バルトの、復活の出来事は史実的ではないとみなす立場と比べると、パンネンベルクの立場は重要である。
 例えばブルトマンはこう述べている「キリストのよみがえりとしての復活日の出来事は決して《史実的な(historisch)出来事ではない》。史実的な出来事として把握できるのは、初代の弟子たちの復活日信仰だけである。歴史家にとって復活日の出来事は、弟子たちのヴィジョン(幻)的体験に還元されてしまうであろう。キリスト教の復活日信仰は史実的な問題には関心をもたない」(「新約聖書と神話論」)。
 カール・バルトもこう述べた。「イエスのよみがえりは、その生と死に関わる他の出来事と並ぶ《史実的な》範囲の出来事ではなく、イエスの史実的な生全体が神にその根源をもつことにおいて非歴史的である」(「ロマ書講解」)。
 「とにかくイエス・キリストの復活は史実として把握されない」。「イエス・キリストのよみがえりは人間的空間と人間的時間の中で、客観的な内容をもつ世界内的、現実的な事件として生起した限りでは、イエスの死と十字架と同じような意味で生起した。…イエスのよみがえりは、普遍的な人間の歴史として時間の直中で生起した。この特別の歴史の経過の直中でイエス・キリストは弟子たちに出現された。ご自分を死人から復活した方、もはや死によって脅かされない方として啓示された。この歴史が生起したこと、これが使徒的ケーリグマ・宣教の内容である」(「教会教義学」)。 続