建司の書斎

「キリスト者の希望」、「愛を学ぶ」等の著者、故相澤建司の遺稿説教原稿・聖書研究など。

パウロの復活理解3

2000講壇2(2000/4/16~2000/7/30)

復活と希望 パウロの復活理解(四)
 ヨハネ21:2以下、16:32が暗示しているように、弟子たちがエルサレムから逃亡して故郷のガリラヤにもどって、もとの仕事をしていた時「よみがえったキリストはべテロに顕現された」。それはべテロが偶然ひとりきりでいた時の出来事であったと推定できる。この顕現をきつかけにしてべテロは再び集めた。それからこの12人は復活顕現に出会ったと思われる。復活したお方が12人に委託された事柄についてパウロは何も語ってはいない。しかし復活顕現の眼目はまさしくこの委託にある。
 キリストが復活顕現においてべテロに委託されたのは《教会指導》であった「私の羊を飼いなさい」(ヨハネ21:15以下)。「あなたがもどってきたら、あなたが兄弟たちを強めてやりなさい」(ルカ22:32)。「あなたはべテロ・岩である。私はこの岩の上に私の教会をたてるであろう」(マタイ16:18)。
 これに対して12人が託されたのは世界伝道であった「行ってすべての国民を弟子とせよ、父と子と聖霊の名で洗礼を授けよ」(マタイ28:19)、「父が私を派遣されたように私も全権をもってあなたがたを派遣する」(ヨハネ20:21)「罪を赦されるための悔い改めがその名においてすべての国民に説かれる」(ルカ24:48)。
 500人以上の兄弟への顕現、第一コリ一五六。パウロはこの「500人以上の兄弟」で原始教会のメンバーを考えていたことは確かである。この箇所は一兀来定形的伝承にあったものではなく、パウロ自身が書いたものだ。ではこの500人はいつごろの時点の集団を指しているのか。
 行伝1:15「そのころ、ペテロは兄弟たちの真中に立って、語った。集まった人々の群れはおよそ120名であった」は、エルサレムの原始教会の初期の段階の集団の数をいっているらしい。復活のキリストについての、使徒たちによる新しい使信の宣教の結果生まれたのが、この500人の集団である(グラースは500人への顕現はマタイ28章にあるガリラヤの山の出来事と解釈した)。
 この顕現が起きた時、教団はすでに500人よりも大きくなっていた。主は当時500人もの教団全体に顕現した、とパウロは言っていない。むしろ特定のこの教団の大きな部分が主の顕現に出会った、これはおそらく礼拝の集まりの時だろう。
 ドブシュツツ(「復活祭と聖霊降臨」1903)以来、500人への顕現は、行伝2章の聖霊降臨と同一視されてきた。
 しかしこれに対して、グラースは500人への顕現は聖霊降臨の前ではなく、むしろそれより後に起きたという。復活顕現には、ペテロの場合には教会指導の委託、12人・使徒たちには世界伝道の委託がなされたが、この500人以上のキリスト者への顕現には何の委託も与えられなかった点は注目すべきである。
 この500人のキリスト者について、パウロは述べている「彼らのうち大部分は今なお生きているがしかし数人の者は眠りについた」と。ポイントは前半の「大部分は今も生きている」にではなく、後半の「数人は眠りについた」にある(コンツェルマン注解など)。復活顕現に出会ったこのキリスト者集団は生き証人としていつでもどこででも証言できる、というのがパウロの言いたいポイントではない。では500人以上の顕現の目撃証人のうち「数人が眠りについた」という点にポイントがある、ということはどういうことなのだろうか。聖書学的な研究や注解はこの点をあまり突っ込んで掘り下げていないようだ。これに対して、カール・バルトは「死人の復活」の中でこのポイントに「神学的解釈」をもって取り組んだ。少し長いが引用したい。 続

復活と希望 パウロの復活理解(五)
 「それはなんと顕著なことであろうか、主を見た人々が死んだとという事実である。彼らはイエスの死が神の力によって見出した答[復活]を見ていたが、彼ら自身の死に対する答を見てはいなかった。これはどうにも我慢ならない状態ではないだろうか。もし彼らがイエスのよみがえりにもかかわらず、やはり『眠につく』ほかなかったのなら、ほかの500人兄弟やそのほかの証人たちも、彼らの時の来れば、実際単純に『眠につく』以外にないとすれば、その場合、復活した方の顕現は、彼らにとってはその他多くの体験のうちの一つであり、やがては死とともに実に決定的に片づいてしまう、数多くのいわゆる人生体験の一つであったのか。それがこういうものであるとしたら、。もしそうであるとすれば、もしイエスの復活がただ一回限りの奇跡にすぎず、神が人間に対してなす奇跡の啓示でなかったとすれば、もし『キリストはよみがった』といわれるべきだけで、『死人の復活』といわれるべきでないとすれば、その場合には実際あの奇跡も真実ではないし、キリストもよみがえられなかったし、その時私たちが今こんなに親愛の情をこめて『眠についた者たち』と呼んでいる人たちも実際滅んでしまっているのであろう(18節)。なぜならその場合生も死もひとしく無意味であるからだ」(バルト、前掲書, 山本和訳)。
 ここにみられるように、バルトは、すでに実現したキリストの復活といまだ実現してしていないキリスト者の復活との異質性に着目ししつつ、他方でキリストの死人からの復活が、キリスト者の将来的な復活の根拠となる、すなわち《すでにといまだとの強い関連性》を強調している。しかもキリストの復活の前提として《死人のよみがえり》という概念を受け入れるように、パウロはコリント教会に迫ったとバルトは解釈した。
 従来の聖書学的研究ではここまでポイントを掘り下げてはいなかった。12節に述べられた「死人のよみがりを否定するコリント教会のキリスト者」は、「密儀教的祭儀によって不死性を与えられたと信じていた」という(コンツェルマン注解)。パウロはたとえキリストの復活顕現に出会った者といえども、キリストの来臨以前に「眠りについた・死んだ」という事実を指摘することで、コリントのキリスト者に彼らの死の事実を指し示しかつ死人のよみがえりの希望を指し示すことで眠りについたキリスト者がやがて「死人からよみがえる」希望をもあわせてここで強調した、とバルトは解釈した。この解釈をみて聖書学的な解釈・注解の不十分さを私は痛感した。
 ヤコブへの顕現。これは500人への顕現の後に起きた。ヤコブは初めから新しい教団に所属していたのではなく、むしろ教団がすでに大きな集団を包括していた時、はじめてそれに所属したようだ。考えられるのは、ヤコブへの顕現は回心の意味を持つていなかった点だ。むしろ彼は教団に入って後に、あげられた自分の兄弟イエスを知つたのだ。行伝1:14が天にのぼるイエスについてしるしているが、「彼らはみな女たちとイエスの母マリアと彼の兄弟たちと心を一つにしてひたすら祈っていた」。家族がイエスの生前息子で兄を理解することなく、対立していた点は福音書のいくつかの箇所で明らかだ(マルコ3:31~35五など)。「イエスの母と兄弟らが来て、人をやってイエスを呼ばせた、彼のまわりに群衆がすわっていて彼にいった、あのようにあなたの母と兄弟姉妹らが外であなたを探しています。誰が私の母、兄弟か。イエスはまわりにすわった人々をみていわれた、ここに私の母、兄弟らがいる、神のみ心を行なう者こそ私の兄弟、姉妹、母である」。ヨハネ19:25~27は母マリアを十字架のもとに立たせた。 続