建司の書斎

「キリスト者の希望」、「愛を学ぶ」等の著者、故相澤建司の遺稿説教原稿・聖書研究など。

500人への顕現  第一コリント15:6

2000-17(2000/5/21)

500人への顕現  第一コリント15:6

 「そののちキリストは500人以上の兄弟に同時に現れた。彼らのうち大部分は今も生きているが、しかし彼らのうちの数人が眠りについた」

 パウロはこの「500人以上の兄弟」で原始教会のメンバーを考えていたことは確かである。この箇所は元来定型的伝承にあったものではなく、パウロ自身が書いたたものだ。ではこの500人はいつ頃の時点の集団を指しているのか。
 行伝1:15「そのころ、ペテロは兄弟たちの真中に立って、語った。集まった人々の群れはおよそ120名であった」は、エルサレムの原始教会の初期の段階の集団の数をいっているらしい。復活のキリストについての、使徒たちによる新しい使信の宣教の結果生まれたのが、この500人の集団である(グラースは500人への顕現はマタイ28章のガリラヤの山の出来事と解釈した)。
 この顕現が起きた時、教団はすでに500人よりも大きくなっていた。主は当時500人もの教団全体に顕現した、とパウロは言っていない。むしろ特定のこの教団の大きな部分が主の顕現に出会った。これはおそらく礼拝の集まりの時だろう。
 ドブシュッツ(「復活祭と聖霊降臨」1903)以来、500人への顕現は、行伝2章の聖霊降臨と同一視されてきた、グラース。
 しかしこれに対して、グラースは500人への顕現は聖霊降臨の前ではなく、むしろそれより後に起きたという。復活顕現には、ペテロの場合には教会指導の委託、12使徒徒たちには世界伝道の委託がなされたが、この500人以上のキリスト者への顕現にはなんの委託も与えられなかった点は注目すべきである。復活顕現に出会っても、重要な委託を与えられなかった人物には、エマオ途上の弟子クレオパ(ルカ24章)の例がある。
 この500人のキリスト者について、パウロは述べている「彼らのうち大部分は今なお生きているが、しかし数人の者は眠りについた」と。ポイントは前半の「大部分は今もいきている」にではなく、後半の「数人は眠りについた」にある(コンツェルマン注解)。
 復活顕現に出会ったこのキリスト者集団は生き証人としていつでもどこでも証言できる、というのがパウロの言いたいポイントではない。では500人以上の顕現の目撃証人のうち「数人が眠りについた」ポイントはどういうことなのだろうか。聖書学的な研究や注解はこの点をあまり突っ込んで掘り下げていないようだ。これに対して、カール・バルトは「死人の復活」の中でこのポイントに「神学的解釈」をもって取り組んだ。少し長いが引用したい。
「それはなんと顕著なことであろうか、主を見た人々が死んだという事実である。彼らはイエスの死が神の力によって見出した答「復活」を見ていたが、彼ら自身の死に対する答を見てはいなかった。これはどうにも我慢ならない状態ではないだろうか。もし彼らがイエスのよみがえりにもかかわらず、やはり『眠りにつく』ほかなかったのなら、ほかの500人兄弟やそのほかの証人たちも、彼らの時の来れば、実際単純に『眠りにつく』以外にないとすれば、その場合、復活した方の顕現は、彼らにとってはその他多くの体験のうちの一つであり、やがては死とともに実に決定的に片づいてしまう、数多くのいわゆる人生体験の一つであったのか。それがこういうものであるとしたら、もしそうであるとすれば、もしイエスの復活がただ一回限りの奇跡にすぎず、神が人間に対してなす奇跡の啓示でなかったとすれば、もし『キリストはよみがえった』といわれるべきだけで、『死人の復活』といわれるべきでないとすれば、その場合には実際あの奇跡も真実ではないし、キリストもよみがえられなかったし、その時私達が今こんなに親愛の情を込めて『眠りについた者達』と呼んでいる人たちも実際滅んでしまっているのであろう(18節)。なぜならその場合生も死もひとしく無意味であるからだ」(バルト、前掲書、山本和訳)
 ここにみられるように、バルトは、すでに実現したキリストの復活といまだ実現していないキリスト者の将来的な復活との異質性に着目しつつ、他方でキリストの死人からの復活が、キリスト者の将来的な復活の根拠となる、すなわち《すでにといまだとの強い緊張関係と関連性》を強調している。しかもキリストの復活の前提として《死人のよみがえり》という概念を受け入れるように、パウロはコリント教会に迫ったとバルトは解釈した。
 従来の聖書学的研究ではここまでポイントを掘り下げてはいなかった。12節に述べられた「死人のよみがえりを否定するコリント教会のキリスト者」は、「密儀教的祭儀によって不死性を与えられたと信じていた」という(コンツェルマン注解)。だとすれば「彼ら」は熱狂主義者であって「主の日がすでに来た」(第二テサ2:2)とみなし、「(キリスト者の)復活はすでに起きた」(第二テモテ2:18)と考えたことになる。パウロはたとえキリストの復活顕現に出会った者といえども、キリストの来臨以前に「眠りについた・死んだ」 という事実を指摘することで、コリントのキリスト者に彼らの死の事実を指し示しかつ死人のよみがえりの希望を指し示すことで、眠りについたキリスト者がやがて「死人からよみがえる」希望をもあわせてここで強調した、とバルトは解釈した。この解釈をみて聖書学的な解釈・注解の不十分さを私は痛感した。