建司の書斎

「キリスト者の希望」、「愛を学ぶ」等の著者、故相澤建司の遺稿説教原稿・聖書研究など。

パウロの復活理解1  第一コリント15:3~4

2001-21(2001/5/13)

パウロの復活理解1  第一コリント15:3~4

 キリストの死、埋葬、よみがえり(3~4節)
 グラースの「聖書学的な解釈」は確かにすぐれているが、どうもそれだけでは「緒論的な印象」が強く、テーマの解釈の点で「何かもの足りない感じ」がする。もっとテーマを掘り下げた「神学的解釈・講解」を私は強く求めた。幸い第一コリント15章については「ルターの講解」と「バルトの講解」とがあって、各々翻訳も出ている。
 バルトは、キリストの復活を「史実的な事実」と呼び、この史実的な事実において「歴史の限界が浮かび上がってくる真理」「歴史が歴史の限界から見られた」ものと解釈している。
 「…しかしなかんずく『キリストはよみがえらされたこと』(4節)は、この箇所の《史実的な》説明に対してたいへん厄介な疑惑を喚び起こす。…この節は単なる修辞学的・弁証的話法として解することはできない。12~28節全体の意味は、確かに《イエスの復活というこの史実的な事実・historisches Faktum》がほんとうに『死人一般の復活』[12節]と共に立ち、共に倒れるという意味である。それの現実性(Wirklichkeit)あるいはとにかくそれの認識が、明確な仕方で、一つの普遍的真理(それの本質上決して歴史の内部ではなくて)より精確にいえば、ただ《あらゆる歴史(Geschichte)の限界に、死の限界においてのみ浮かび上がってくる真理とは一体いかなる種類の史実的な事実(historisches Faktum)であろうか》。いずれにせよそれはこの普遍的真理そのものでもなく、同様に3~7節でパウロが一種の《史実的証明》をしようと欲するといったような事実でもない。……ここではむしろ、この『彼が葬られたこと』において発言の機会をえた歴史が、一方では『彼が死んだ』で、他方では『彼はよみがえらされた』で表現された歴史の《限界》から《見られたのだ》。しかも歴史の《中で》歴史の《限界が見られたのだ》。またこれが決定的なことだが、一方の側『キリストが死んだこと』(3節)からばかりでなくーーただキリストの死だけでは、歴史の限界が見えてくることにはならぬであろうーー他方の側『神がキリストをよみがえらせたこと』(15節)からも見られたのだ。これこそ証言の《内容》であり、かつこの証言の《根源》はまさしく幾重にも重畳せる『彼は現れた』である」(バルト「死人の復活」山本和訳、強調引用者)。
 「よみがえらされた」はむろん受身形であって、キリストは自らよみがえったのではなく、あくまでも「神がキリストをよみがえらせた」のだ(15節)。それがこの受身形の意味であり、これは通常、神的受身形といわれる。したがって「キリストがよみがえらされた」(4節)も「キリストは死人の中からよみがえらされた」(12節)も、キリストの復活はすべて神の行為であると、告げているのだ。
 ところでバルトはここでイエスの復活を「史実的な事実・historisches Faktum」と呼んだが、その少し後では「史実的な事実・historishe Tatsache」と言い換えている、
 「『キリストが私たちの罪のために死んだこと』と「『キリストが三日目によみがえらされたこと』、この2つは聖書にしたがって《史実的な事実・historische TatSache》として主張されている。しかし《どんな種類の史実的な事実なのだ》。[その史実的な事実というのは]この終りのことであって、歴史が終る時にのみ終りうるようなわれわれの罪の終りのことだ。またそれはこの始めのことであって、新しい世界が始まる時と所でのみ始まりうるような新しい生命の始まりのことだ」。
 バルトはさらに続けて今度はそれを「歴史的な神の事実」と呼んでいる。
 「神の行為としての復活は、目がいまだ見ず、耳がいまだ聞かず、人の心がまだ思いそめなかったものであり、外面的でも内面的でもなく、主観的でも客観的でもなく、神秘主義的でも心霊主義的でもなく、また月並みな《史実的なもの・historisch》でもなく、むしろ《歴史的な神の事実・geschichtliche Gottestatsache》である。この神の事実そのものは<啓示>のカテゴリーにおいてのみ把握できるものである。しかし他の<いかなる>カテゴリーにおいても把握できない」([歴史的な神の事実」は山本訳では「事件史的神の事実」とある)。
 この「啓示のカテゴリー」の導入によって、バルトはトレルチの主張した「史実的な方法」すなわち《類推、事件の同質性、蓋然性》によっては、キリストの復活を把握できないと主張したのだ。