建司の書斎

「キリスト者の希望」、「愛を学ぶ」等の著者、故相澤建司の遺稿説教原稿・聖書研究など。

来臨の遅延3 日本における再臨待望1

2002-3(2002/1/23)

日本におけるキリストの来臨への待望の実例

内村整三、中田重治の再臨論
 欧米で第一次大戦が行なわれていた最中、日本の教会においては、1918(大正7)年いわゆる再臨運動が起きた。無教会の内村鑑三、ホーリネス教団の創立者・中田重治(1870~1939)、木村清松(1878~1958)がその推進者であった。東京、関西を含めて全国的に講演会、伝道集会が開かれた。このうち内村の再臨論については、個人誌「聖書乃研究」およびこの運動での講演集、単行本「キリスト再臨問題講演集」(1918・大正7、全集、第二四巻所収)によって知ることができる。
 「パウロの説くところの《甦り》とは、身体の復活なることは『葬られ』云々の語[第ーコリント15・4、キリストの埋葬]に徴して明白である。<霊的復活にあらずして肉体の復活である>(強調、内村)。…しかるに多くのキリスト者は今日はたしてこの事を信ずるや否や。近代におけるキリスト教歴史の大家レーキ教授の復活論に日く『そもそも復活の信仰の起源はマグダラのマリアがキリストの墓に香物を献げんとしておもむきたる時その墓の空虚なるを発見したるに始まる。しかるにマリアはヒステリー症の婦人にして粗忽のあまり墓を誤って空虚な墓を見舞ったのである』と。はたしてしからばキリスト教はもと1病婦の錯誤の上に築かれたものに外ならないのである[ルナンの「イエス伝」と同類の見解]。学者の説おおむねかくのごとし。…パウロヨハネやべテロの説きたるキリスト教の根本教義は《肉体の復活》にあったのである。<アリマタヤのヨセフの献げし墓の空虚なりし事を信ぜずしてキリスト教の信者と称する事はできないのである>」(「キリストの復活と再臨」1918、全集第二四巻、強調<>内村、《》筆者。引用は適宜ひら仮名に変えた)。また内村は再臨運動への反対論者(内村は海老名弾正らを想定している)に対して、ドイツの教理史の碩学A・フォン・ハルナックの見解をつきつけた、
 「初代のキリスト信者は福音と再臨とを同一視せり。キリストの再臨を離れて福音あるなし。しかして彼らはこの信仰の変更せられん事に大反対を表せり。ゆえにもし現時の学者にして再臨説中より一、二の真理を抽出し、しかして再臨その事を信ぜざらんか。これ初代の信仰を蔑視するものにほかならず。単純なる初代の信者にとりてはかくのごとく重大なる問題は他に存ぜざりしなり」(フォン・ハルナック)。
 そして内村はキリストの復活の中に私たちの《罪の赦し》の証しを見ている、
 「パウロの論じたるごとく、復活は罪の赦しに関する唯一の確実なる証明である。何となれば罪の証拠は死にあり。ゆえにもし罪を赦されなば必らず死したる体は復活せざるべからず。しかるにキリストは復活したまえり。我らもまた彼に倣いて[ならいて]復活せしめらると、これ初代信者の信仰であった。しかして復活を信ずる者にとりて再臨は難問題ではない、復活昇天せるキリストの再来はもっとも信じやすき真理である」(前掲評論)。
 内村は、聖書に基づいて再臨を説いたが、他方で再臨論の《脱線》については警戒している。その脱線とは、第一に、何年何月何日にキリストが再臨するといった類いの解釈、内村はこれを否定した(「余がキリスト再臨について信ぜざる事共」、前掲書)。第二に千年王国説(キリアスムス)を黙示録のとうりには受け入れない、と内村はいう。
 「黙示録20:6『彼ら(信者)は神とキリストの祭司となりキリストと共に千年の間王たるべし』とある記者の言葉を文字そのままに解することはできない。…信者がキリストと共にある年限の間王たるべしと云うは、再びこの地に現われてその政権を握ることであるか、すこぶる疑問である。再臨その事が超現世的事実である。その結果として現世そのままの統治が行なわれようとは思えない」。
 内村と同様、宗教改革後のルター派カルヴィン派双方は、「前千年王国説」の黙示録20:6に基づく《復活した信仰者らがキリストと共に千年間支配するとの部分》を「ユダヤ人的教説」「ユダヤ人的夢」として「排撃」した(「アウグスブルク信仰告白」第17条、1530)、「第二スイス信条」第11条、1566。モルトマン「神の到来」から引用)。さてイギリスのD・ホイットニー(1638~1726)は「後千年王国説」を主張して、教会がますます盛んになって全世界が悔い改めるところまで発展して教会が勝利を得て,千年期となり《その千年期の後にキリストが再臨する》と説いた。これは歴史的千年王国説と同じ立場である、それによれば、千年王国は、例えば、キリストの昇天から始まる(アウグステイヌスは千年王国をキリスト昇天から再臨までの教会の時とみなしたという)、あるいはローマ皇帝コンスタンティウス帝の324年(覇権確立の年)から始まる、《その千年王国の後に》キリストの再臨があると解釈された(モルトマン、前掲書)。他方米国の福音派根本主義者・ファンダメンタルにおいては「前千年王国説」が受け入れられてきた。「前千年王国説」は、黙示録20章に依拠する。この立場は、まずキリストの再臨があって、その後に千年王国が実現する(千年王国の《前》に再臨がある)とみる。中田重治は、アメリカの福音派、W・E・フラックストンの「主は来りぬ」(1909)を翻訳出版(「全集」第4巻)。「キリストが来たって、この世をきよめ、よみがえりの根拠の上にその王国を樹立したもう時までは、この罪に呪われた地上に千年王国を立てるなどということは失敗に帰するのみである。それゆえキリストが再臨したもうその時までは、千年期なるものはないのである」(フラックストン、前掲書、中田訳)、これに依拠して中田は 「前千年王国説」の立場を支持した、後述。