建司の書斎

「キリスト者の希望」、「愛を学ぶ」等の著者、故相澤建司の遺稿説教原稿・聖書研究など。

主を愛せよ  申命記6:4~9

2002-42(2002/12/29)

主を愛せよ  申命記6:4~9

 「イスラエルよ、聞け。われわれの神、ヤハウェはただ一人の方としてのヤハウェである。あなたは心をつくして、精神をつくし、力をつくして(全心で、全霊で、全力で、ラート訳)ヤハウェを愛さなければならない」。
 「主」という語の翻訳については、直訳で以後「ヤハウェ」としたい。ドイツの信徒向けの注解書がこの訳語を用いているし、関根訳は一貫してこの訳語を用いている。「主」という訳語の原語は、「アドナイ」があり、それと混同される。ギリシャ語訳は「キュリオス・主」を当ているが。ここは神の固有名詞なのでヤハウェが的確であると考える。
 「ヤハウェを愛しなさい」の箇所はよく知られている、マタイ22:37、マルコ12:33など。この言葉は申命記の中心的なものである。
 この前半「ヤハウェはただ一人のヤハウェである」は、解釈が難しい。まず、ヤハウェのみがわれわれの神である、と解釈できる。この解釈は、カナンの地のバール崇拝、すなわちカナンの豊穣の神々、バール、アシュタルテなどの多神教を前提として、その中でヤハウェのみがわれわれの神だ、と言っているとの解釈である。
 第二に、エルサレム神殿ヤハウェ礼拝との関連で、具体的には、ベテル、シケム、ギルガル、ヘブロンなどの聖所でもヤハウェ礼拝がなされていたが、ソロモン王によって神殿が建てられた、前960年ころ。申命記記者たちは、各聖所で従来なされていたヤハウェ礼拝をエルサレム神殿でのそれに集中しようとの動きがあって、特に先のヨシア王の宗教改革で、前620年頃ヤハウェの礼拝場所を集中すること、「ヤハウェの名を住まわせるために、ヤハウェは場所を選ばれるであろう。あなたがたはそこにすべての物をもっていかなくてはならない」12:11。ヤハウェの名を住まわせる、は契約の箱を安置する場所のこと。各聖所において土地の神々、自然宗教的な、バール化されたヤハウェ崇拝の純化、従って唯一のヤハウェとは、エルサレム神殿で礼拝されるべき方が唯一のヤハウエである、との解釈である。
 使徒パウロは愛をもっぱら隣人愛と解釈したが、ロマ13:8以下、これに対してイエスは一番大切な戒めとしてあげられたのが、この箇所である。マタイ22:37~40。
 申命記の主題はこの「神への愛」を中心に据えている。
 この神への愛は、民の側の「自発的なもの」とは考えられない。なぜか。申命6章にしても、イスラエルへのヤハウェの愛についてしるしている。ヤハウェは先祖アブラハム、イサク、ヤコブに約束されたカナンの土地取得の約束を果たされる神であり、10節以下、また先祖をエジプトの地、奴隷の家から導き出された神であり、12節、5:5、15など。さらに、この神は今民の中に臨在したもう、「あなたのただ中にいますあなたの神」15節。「ヤハウェは地の面にいるすべての民の中からあなたを選び、ご自分の宝の民とされた」7:6。これらの箇所はイスラエルに対する神の恵み・愛が『先行していた』ことを強調している。したがって、この神への愛の命令は、応答、感謝としてのものである。
 ここで大きなテーマとなるのは、この神への愛が命じられた状況である。この勧告を受けた民は真実に神を愛してきた民ではなかった点である。ホレブにおける神との契約は、民の側から幾度も破られた。神への愛が自発的に起こる程、彼らは真実な民ではなかったのだ。ヤハウェを愛せよと命じられて愛した民ではなかったのだ。