建司の書斎

「キリスト者の希望」、「愛を学ぶ」等の著者、故相澤建司の遺稿説教原稿・聖書研究など。

ガリラヤでの伝道開始  マタイ4:12~17

2003-2(2003/1/12)

ガリラヤでの伝道開始  マタイ4:12~17

 旧約の歴史書の講読と並行して、新約聖書のマタイ伝の講読に取り組みたい。1章から順番にというのでなく、主題的な接近を試みたい。幸いにしてルツの注解EKKが完結したので参照できる(全4巻、1984~2002)。
 イエス・キリストの伝道活動の開始についてマタイ伝は、4四章12節から述べている。「さてイエスは洗礼者ヨハネが引き渡された(塚本訳、牢に入れられた)と聞いて、ガリラヤにもどっていかれた。そしてナザレを去って、ゼブルンとナフタリにある湖畔のカペナウムに行って住まわれた。預言者イザヤをとおして言われたことが成就するためであった、『ゼブルンの地、ナフタリの地、ヨルダン川の向側の湖に沿う、異邦人のガリラヤ。暗闇に住んでいる民は大いなる光を見た。その地と死の陰の地に住んでいるこれらの人々に光が上った』(イザヤ9:1~2)」
 この時からイエスは宣教し始めて、言われた、悔い改めよ、なぜなら天国近づいたからである」。ルツ訳
 ガリラヤの領主へロデ・アンテイパスによる洗礼者ヨハネの捕縛、投獄は「引き渡された」というイエス受難物語の用語が用いられ、ヨハネとイエスの並行を明確にしている。ガリラヤはイスラエルの北部。大王の死後、次男へロデ・アンテイパスが支配していた。イザヤの引用には「異邦人のガリラヤ」とあるが、マタイ伝は、イエスの活動が異邦人の間でなされたとは考えていない。むしろイエスイスラエルのメシアであって、その活動は各シナゴーク・ユダヤ教の会堂でなされ、弟子たちの伝道もイスラエルの外に出ることを禁じられた、10:5以下。復活記事28章において、ガリラヤにおいて異邦人伝道の命令が出されるが、イエスの活動全体が《イスラエルガリラヤ》で起きたとみている。
 15、16のイザヤ9章からの引用について。ゼブルンはガリラヤ湖の西側の地域、ナフタリは湖北側の地域、ヨルダン川の向側は文字どうりヨルダン川東岸で、8:28以下のガダラの惡鬼追放、14:22以下、湖上を歩く奇跡、16:5以下、19:1のぺレアの言及に出てくる。
 「異邦人のガリラヤ」はおそらくガリラヤ北部地方で「異邦人のガリラヤ」と、これに対し南部と湖畔地方は「ユダヤ人のガリラヤ」と呼ばれたという。
 さらに引用の「暗闇に住んでいる民」「死の陰の地に住んでいる人々」は誰を指しているのかは難しい。まず「暗闇に住んでいる民」については、前722年アッシリアによって滅亡させられた北王国イスラエルの人々を意味する、「暗黒」とは自分たち独自の歴史を喪失したこと、ラート、暗黒は抑圧、捕囚、迫害をも意味したろう。これと異なり、マタイ伝の意味については、教会史で「暗闇に住んでいる民」はユダヤ人のガリラヤ、他方「その地と死の陰に住む人々」異邦人のガリラヤを指していた、という。両者とも、あるいはアッシリアに、あるいはローマに支配されていた。
 「大いなる光は律法ではなく、キリスト、彼の福音の輝きである」と解釈された。光はメシアを意味するはずだ。マタイ伝はイザヤからの引用を預言の成就とみている。
 17節の「その時」は、イエスのカペナウム(湖の北端の町)居住の時点。この町は、自分の町、9:1、取税人マタイ、ペテロの家もあった、8:14。
 「天国」はマタイ伝特有。「近づいてきた」については、数十年にわたって論争された。イギリスのドッドは「実現した終末論」すなわち神の国はすでに到来した、と強調した。マタイ12:28のイエスの悪霊追放においては、神の国はすでに到来したと述べている。他方アルバート・シュヴァイッアー(徹底的終末論)、ルツらは「神の国はまだ到来してはいないが、そこまで近づいている」と解釈している。ドッドの解釈には神の国の将来性、終末論的視点(クロノロジーを超えた要素、新しい世の到来)が欠落している。