建司の書斎

「キリスト者の希望」、「愛を学ぶ」等の著者、故相澤建司の遺稿説教原稿・聖書研究など。

「キリストの十字架の死」についての解釈  ルカ24:8~27

2005-1(2005/4/10)

「キリストの十字架の死」についての解釈  ルカ24:8~27

  (1)イエス・キリストの十字架の死の《時点》では、その死の意義はイエスの弟子たち、随伴者たちには全く理解されなかったようだ。始めのうちイエスの十字架は弟子や随順者には《衝撃、とまどいと、失望、落胆、絶望》しか与えなかった。弟子たちがエルサレムから故郷ガリラヤへ逃亡したきっかけとなったのは、このイエスの十字架の事件であった。ガリラヤへの逃亡でないにしても、エルサレムからの脱出もあったであろう。
 エマオの弟子たち、クレオパとその息子は西方12キロくらいにあるエマオという村を目指してエルサレムを退去した(ルカ24:13~14)。この記事によれば、イエスの十字架刑という出来事の意味を彼らが全く理解していなかったこと、さらに「ほんとうに私たちは、この方こそイスラエルの民を贖ってくださる人だと望みをかけていたのに」(24:21)の箇所は、何の希望もいだけないこの弟子たちの状況を示唆している。他方この記事はイエスを十字架につけるべく動いたユダヤ教当局、サンヘドリン(最高法院)の大祭司たち、長老、律法学者、それに彼らによる死刑宣告とその刑の執行について述べてはいるが(24:20)、しかし「イエスの十字架刑についての記述自体」は、イエスの十字架の死の意味を彼らがつかむことには決してならなかったことをも示している。
  ガリラヤに逃亡したペテロら弟子たちは、ほかでもないそのガリラヤにおいて、イエスの復活顕現に出会った(マタイ28:16以下、ヨハネ21:1以下)。
 ルカ24:13以下で重要なのは、二人の弟子たちには見知らぬ旅人の姿をした復活のイエスが「メシア〔キリスト〕は〔王的な〕栄光に入るために、そのような苦しみを受け《ねばならなかった》のではないですか」(24:26、「ねばならかった」は神の摂理を意味する)と語られた点である。イエスの十字架刑に失望落胆して、エルサレムを後にした弟子たちに、復活のイエスが《ご自分で弟子たちの目を開けてキリストの苦難について旧約聖書が証言していることを理解させねばならなかったのだ》(シュラーゲの論文「新約聖書におけるイエス・キリストの死の理解」)。言い換えると、出来事は時間的な流れからみると「十字架から復活へ」と推移したが、イエスの十字架の意味を認識するには、「復活から十字架へ」という逆の時間の推移(時間の流れ・クロノスを切り裂く終末論的な時・カイロスの介入)が不可欠であったのだ。
  復活のイエスによる「旧約聖書による証言」という箇所では旧約聖書の具体的な箇所はあげられていない。このような「旧約聖書による証言」という場合ポイントは、証明自体ではなく、むしろ独自的な《主張》にある。その主張を受け入れること、信じることにある。教会史では、イエスの苦難と死を解釈するのに、イザヤ53章を手がかりにした。特に53:4において前半の「われらは思った、彼はおのれの罪科のために神に打たれると」は後半で視点が逆転した「あにはからんや、彼はわれらの罪科のために神に砕かれたのだ」