建司の書斎

「キリスト者の希望」、「愛を学ぶ」等の著者、故相澤建司の遺稿説教原稿・聖書研究など。

死の中で神に出会う-1

パンフレット2-1

                                死の中で神に出会う

                      -聖書における死についての連続説教-

                                                                                     相澤建司 著
はじめに
 このパンフは死についての連続説教をまとめたものである。これまで2年ほど「死について」礼拝で聖書を学んできた。
 その過程で、死について、広い視点からのアプローチは、必ずしも必要ではないと私たちは考えた。パンネンベルクの「組織神学」(第2巻、1991)などをみると、20世紀の代表的な哲学者、ハイデッカー、サルトルの死の理解も取り上げていて、さすがと思ったが、私たちにはこのようなアプローチは不要であると思った。
 それにしても、これまで「死」についての研究の歴史をみると、きわめてその文献が少ないのに気づく。 古代ギリシャの哲学者プラトンの「パイドン」「ソクラテスの弁明」はそれ自体では取り上げる必要はないが、古代ローマ神学者アウグスティヌスの死の理解(「神の国」、後430年)との関連では問題になるようだ(省略)。またソクラテスが語ったとされる「汝自身を知れ」は、実は哲学的自己省察一般について述べた言葉ではなく、むしろ人間が死ぬべき存在であることに思いをいたせ、という意味であることも今回改めて教えられた一つである。ユンゲルはその著書「死」において、ギリシャから出士した古代のレリーフ、黒地に白い骸骨が長い手を伸して指さす、グノーテイ・セアウトン〔汝自身を知れ〕の写真を掲載しているが、これを見て私は衝撃を受けた。
 私たちの問題意識には「今は亡き人と生きている私たちの関わり」というテーマがあった。キルケゴール(19世紀、デンマークの思想家)は「今なお生きている者が亡き人を愛するとは、その人のことを決して忘れないことだ。ことあるたびに思い出すことだ」と述べている(「愛の業」)。ガブリェル・マルセル(20世紀、フランスの哲学者)は6歳で母と死別した。亡きこの母と自分との関わりを問うことが、自分の生涯のテーマとなったと「自伝」で語っている。彼は述べている、その人が亡くなったからといって、その人を愛することをやめてしまうのは、愛することに絶望した人の行為である。愛する人は別の言い方をする、「私があなたを愛するということは、あなたは永久に死なない、ということだ」と。ここで「あなたは永久に死なない」は、《相手の存在が不滅であるという意味ではない。 むしろ今は亡き相手との絆が不滅である》、私はあなたとの愛の絆を不滅のものとする決意だ、という意味である(「現存と不滅」)。
 聖書における死の理解で難かしいのは、第一に、「罪の報酬としての死」と「被造物性としての生命の終わりとしての死」との《区別を明確に把握すること》である。
 第二に難しい点は、イエス・キリストの十字架の死を「罪の贖い」の視点だけでとらえないで、「私たちの死からの解放としても把握する」ことである。
 第三に、福音書における「受難予告の箇所」(イエスはあらかじめご自分の死の運命を知つておられて、前もってそれを弟子たちに予告された箇所)は、礼拝では取り上げたが、テーマが難しくここでは省略した。
 礼拝で語った分量はもっと多かったが、ここでは約3分2ほどに圧縮した。
 私たちは、旧・新約聖書が死をどのように表見しているか、を探求してきたが、これさえ明らかになれば十分である、と考えた。

                             2005年7月
参考文献
カール・バルト「教会教義学」創造論]Ⅲ/2 第47節の5
「終わる時間」(1948、吉村正義訳参照。引用箇所は必ず原文に目を通した。この死のテーマをどのように把握し表現するかの作業は、バルトの見解との格闘でもあった。現代の代表的な神学者の一人パンネンベルクは、バルトの死についての見解を全体的に受け入れている)。

②E・ユンゲル「死」(蓮見和男訳、1971)。

③W・パンネンベルク「キリスト論要綱」
(第7章、イエスの死の救済的意義について、1964)。

④W・シュラーゲの論文
新約聖書におけるイエス・キリストの死の理解」。

⑥塚本虎二の葬儀説教集「死に勝つ」 はこの種のものの白眉である。繰り返し読んだが私は打たれた(初版1935、1992年第9刷のロングセラー)。

⑦ルター「詩篇九〇篇の講解」(1536、金子春勇訳)。この文献はキリスト教史の碩学・石原謙氏が死ぬまで「座右の書」としたもので、そのつもりで目をとおした。


本文中、『』は引用における原著者の強調。《》は筆者の強調、あるいは重要な内容と考えた箇所の強調。()〔〕は小コメント。
 前回は、信教の自由をめぐる近代教会史「心の中ばかりで信じること かないません」(A5版32ページ)を印刷・配布した(2002年11月)。2年に1冊程度出したいと願ってきたが、それからもう3年もたってしまった。前回のパンフは表紙が少し厚すぎて体裁がよくなかった。今回はもっとよいものにしたい。

 

 

目   次

はじめに
Ⅰ 旧約聖書における死についての見解
  死の定義
   人が死ぬ理由
   すべての人が死ぬ
  死者は神ヤハウェから切り離される
  生命を超えるもの
  幸せな死を迎えた者たち
  特別な生命の終焉一エリヤ、モーセの死
II   新約聖書における死の理解
  「第二の死」の視点
  キリストの十宇架の死
  エマオの弟子たち
   苦難の僕
   木にかけられた方
  贖罪の場所
   贖い金
   父によるみ子の放棄
  み子のご自分の引き渡し
   バルトの死の見解
  眠りとしての死
  死からの解放
   被造物性としての死
  被造物性へのパウロの見解
   被造物性へのバルトの見解

Ⅲ ルターの死についての見解
  「死に対する準備についての説教」
   贖罪論
    「詩篇90篇講解」

Ⅳ  死の中で神に出会う

 

Ⅰ 旧約聖書における死の理解

死の定義
 私たち現代人は、「死の定義」というとすぐに医学的な定義、心臓、呼吸、脳波の停止の三条件がそろうと、それを死と呼ぶようだ。しかしこのような医学的な定義のみが唯一のものではない。この定義に決定的に欠落しているのは、人間を「ベッドや大地の上に横たわっている一個の存在」としてのみ見ており、その人間が「社会的な存在」であること、すなわちアリストテレスの「政治学」がいう、ゾーオン・ポリデイコン(社会的生命存在)を見落としている点である。
 ドイツの神学者ユンゲルは、死の定義を「死とは人間のあらゆる関係の喪失の総体である」と言っている(「死」1971、蓮見和男訳)。先の死の医学的定義よりも、あらゆる関係を喪失すること、とのこの死の定義のほうがはるかに的確である。
 「あらゆる関係の喪失」という場合、親、伴侶、息子や娘、親族、友人、仕事仲間、なじみある自然環境、町並み、などとの別離があげられる。「自分の死が近い」と思っている人々にとって、今まで意識もしなかった周囲の光景がまったく別様に映り、自分に迫ってきて、なんとも美しく感じられる、という(高見順「死の淵より」)。ゾシマ長老が語る、若くして亡くなった彼の兄、マルケールの死を前にした姿も印象的である(ドストエフスキー「カラマゾフの兄弟」)。古代ローマ神学者アウグスティヌスの母モニカが彼ら息子たちに遺した遺言も、私たちの心に響く。「私を故郷でなく、このイタリアの地に余儀なく埋葬することなどに、心をわずらわせないでおくれ。それよりもたった一つお願いがある。どこにいようとも、主の祭壇のもとで私のことを想い出しておくれ」(「告白」9巻11章、後400年、山田晶訳)。

族長ヤコブの証言
 旧約聖書の指導者は自分に死が近いと悟った時、どのようにふるまったかについて、族長ヤコブに言及したい。ヤコブは、アブラハムの孫、イサクの息子である。ヤコブはパレスチィナに飢饉が起きた時、食料を求めて遠いエジプトに一族と共に移住していた。その地で彼に死が迫ってきた。彼は息子ヨセフに自分の亡骸をエジプトの地でなく、故郷カナンにある「祖先たちの墓」マクペラの洞穴に埋葬してほしいと強く要望した(創世記47:29以下。拙著「キリスト者の希望」67以下)。折りしも息子ヨセフが自分の息子マナセとエフライムを伴ってヤコブに面会に来た。「ヤコブは力をふりしぼって、床〔とこ〕の上に起きあがった」(創世48:2)。彼の目は老齢のために衰え、もはや物を見ることができなかった。ヨセフは父に息子二人を祝福してほしいと申し出た。しかしヤコブはヨセフの思惑に反して、右の手を弟エフライムの頭に、左手を兄マナセの頭の上において祝福した。ヨセフは父に「兄弟の順番」を取り違えています、と指摘した。ところがヤコブは「弟は兄よりも大いなる者となるであろう」と予告した(48:19)。ヤコブは視力が衰えたために、兄弟の順番を取り違えたのではない。むしろ弟エフライムの優越性を洞察し兄弟の順番の将来的な逆転をよみとったのだ。それからヤコブは言った「私はやがて死にます。しかし神はあなたがたと共におられて、あなたがたを先祖の国に導き帰されるであろう」(48:21)。ヤコブは《自分の生涯の終わりを悟った時、神の約束を証言するようになる》(H・W・ヴォルフ「旧約聖書における人間像」)。
 旧約聖書は死を「神との関係の喪失」神から切り離される出来事と把握している。
 旧約聖書の死についての見解をみてみたい。
 新約聖書ヨハネ黙示録には「第二の死」という見解が出てくる。「第二の死」とは人間が死後において投げ込まれる「火の池」を意味している(「死も黄泉(よみ)も火の池に投げ込まれた。この火の池が第二の死である。生命の書に名がしるされていない者はみな火の池に投げ込まれた」黙示録20:14以下)。第二の死は「死の中の死、永遠の滅びである」。旧約聖書は人間の死をこの視点でみている(カール・バルト創造論」47節)。

人間が死ぬ理由
 人間はなぜ死ぬのだろうか。楽園におけるアダムとエバに対する、蛇の誘惑の言葉、神によって食べることを禁じられた「禁断の木の実」を食べると、あなたがたは神のように善悪〔すべて〕を知る者となるであろう(創世記3:5)は、《人間の有限性を超える試み》とみなされた。「終わりなき存在でありたいとの願望は、人間が神によって創造されたという被造物性への反逆である」(ゴルヴィッツァー「曲がりくねった木まっすぐな歩み」)。
「人間は自分の被造物としての限界を超えて、神のような生命を得ようと試みることによって、神に対する服従から抜け出してしまった」(フオン・ラート「旧約聖書神学」I)。アダムの場合、いわゆる禁断の木の実を取って食べてはならない、それを食べるとあなたはきっと死ぬ(2:17)、すなわち食べることの禁止命令は彼の死をもって《威嚇されていた》。彼は神の戒めを破ったので、当然神からの刑罰として死ぬ定めにあった。「あなたは私が命じた木から取って食べたので、…ついに土に帰る」(3:19)。
アダムが神の禁令を破ったことで、彼は《神ご自身から離反したのだ》。「神との交わりが生命である」(ゴルヴィッツアー、前掲書)。
 「わが民は《生ける水の源である私》〔神〕を捨て、自分で水溜を掘った。その水溜はこわれた水溜で、水を保つことができない」(エレミヤ2:13)。人間は神から、神との交わりから離反することで、生命の源からも、《生命から離反した》。これが人間を死に至らせる。
 「死は自分とは無縁の権威からくだされる刑罰などではなく、むしろ死は罪人の本質的な帰結として罪自体の本性にある。死は罪の結果として人間に介入してくる。死は神から切り離されることである」(パンネンベルク「組織神学」Ⅱ 8章「罪、死と生命」)。

すべての人間がやがて死ぬ
 「私たちにおのが日を数えることを教えて、知恵の心を得させてください」(詩篇90:12)。ここの「おのが日を数える」とは、あとどれくらい自分の余命があるかを考えるという意味ではない。むしろ自分が死ななければならないことを熟慮する、という意味である。その死の時がいつであるか誰も知らない。ヒゼキヤ王(前700年ころ、南王国ユダの王)の祈りのように「私はわが一生の真っ盛りに〔世を〕去らねばならない」場合もある(イザヤ38:10)。「私たちはみな死ななければならない。地にこぼれた水が再び集めることができないのと同じである」(サムエル下14:14)。ヨブ記は言っている「雲が消えてなくなるように、陰府〔よみ〕にくだる者は上がってはこない。彼はその家に帰らず、彼の所も彼を知らない」(ヨブ7:9~10)。「数年たてば、私は立ち去り、もどってくることはない」(16:22)。とにかく死者たちは生ける者たちの交わり、共同体から抜き去られ、締め出されている。死者を「生ける者の地で見い出すことは決してできない」(28:13)。

死者はヤハウェから切り離される
 旧約聖書は死について、神ヤハウェとの関係において把握して、「死者を神ヤハウェのみ手、その勢力圏から決定的に締め出さた者」とみている(ユンゲル 前掲書)、死者はヤハウェとの関係を断ちきられた存在である(ヴォルフ、前掲書」)。
 詩篇88:3~5「わが魂は悩みに満ち、わが生命は陰府(よみ)に近づいた。私は墓に連れていかれる者のうちに数えられ、無力な人のようになった。わが生命は、死者たちの間にあって、撃ち殺された者のように、墓に横たえられた。あなた(神)は彼らを心にとめられず、彼らはあなたのみ手から切り離されてしまったのだ」。
 死者が神との関係を絶ち切られた点について、詩88:10以下はさらに続ける、
 「あなたは死者たちのために奇跡を行うだろうか。あるいは影のような者たちが起きあがってあなたに信仰を告白するであろうか。墓の中であなたの恵みが語られるだろうか、あなたの真実が死者たちの国で語られるだろうか。暗黒の中であなたの奇跡が、あなたの義が忘れの国(陰府)で告げられるであろうか」。ここでは死者たちの世界には、神のみ業、その恵みの告知も、神讃美も信仰の告白も、まったく入り込むことができない、と歌われている。
 詩115:17には「死者たちはヤハウェを讃美しない。沈黙の世界にくだる者もそうだ」とある。先のヒゼキヤ王の祈りにもこうある。
 「陰府はあなたに感謝しない。死もあなたを讃美しない。墓にくだる者はあなたの真実に希望をいだくことはない。ただ生きている者のみ、生きている者のみ、今日私のするように、あなたに感謝することができる」(イザヤ38:18以下)。
 死、死者の場所は「音のない所」であり(詩94:17、115:17)、「暗い所」(88:6)であり、「天上や地上」に対して下界「陰府」と呼ばれ(詩6:5など多数)。墓である(詩28:1、イザヤ38:18など)。このほか茫漠たる荒野(砂漠)も死と死者の場所である。そこに足を踏みれることは限りなく死の脅威にさらされることを意味したからだ。
 「イスラエルが死を空間的なもの、ある『領域』として理解していたことは全く疑問の余地がない。例えば、イスラエルが荒野を死(シェオール)とみなしたことことからもそれは明らかである」(フォン・ラート 前掲書)。
 私たちは平穏な老年期に至って木が朽ち果てるように、死を迎えることができるとは限らない。ヒゼキヤ王のように、「一生の真っ盛りに死に取り囲まれてしまう」かもしれないのである(イザヤ38章)。死者の国は私たちの外側にある静的な領域などではではない。むしろ圧倒的な力をもって私たちに襲いかかり、私たちを脅かすものである。

地上的な生命を超えるもの
 旧約聖書にも私たちが一息つけるような箇所がある。
 詩63:3「あなたの恵みは、生命にまさる」。ここでは神ヤハウェとの絆、交わりは、神の真実のゆえに死によっても断絶されることがない、との静かな確信が表明されている。
 詩49:15「神は私の生命を救い出し、さらに私を死者の国から《取り去ってくださる》」。「取り去る」は、自分を陰府から地上の世界へと救出するという意味ではない。むしろ陰府でも地上世界でもない第三の、別の、神との交わりが成立する領域へと《移行してくださる》との意味である。
 詩73:23~24「私は常にあなたと共にある。あなたは私を右手で保ってくださる。あなたは御計画どおり、私を導いてくださり、その後私を栄光へと《取り去ってくださる》…たとえ私の肉と魂が滅びようとも、神は常に私の《分け前》である」。ここでも「取り去る」は旧約学者ラードによれば、ヤハウェによる《別の、栄光ある神領域への移《》の意味で、旧約聖書はエノク、エリャの例をとおしてこのような「移行・携挙」を知つていた。「分け前」は神ヤハウェとの、死によっても破壊されることのない強靭で強固な絆の意味である(フオン・ラード、前掲書)。

幸せな死を迎えた者たち
 旧約聖書は5人だけ、いわば例外的に「祝福された死」を迎えた人物をあげている。
 「アブラハムは善き老年期に至り、老いて年が満ち、息を引き取り死んだ」(創世25:8)、「イサクの全生涯は180歳であった。
イサクは息絶えて死んだ。 すなわち年老い、 よわい満ちてその同族に合わせられた(35:28以下)、「ヨブは老いて、年満ちて死んだ」(ヨブ42:17)、歴代志上29:28「ダビデは高齢に至り、年も冨も誉れも満ち足りて死んだ」、歴代志下24:15「(祭司)エホヤダは年老いて、年が満ちて死んだ」(エホヤダは南王国のヨアシを王位につけ、後見人として活動。バールの祭壇をこわしヤハウェ信仰を復興させた祭司)。

特別な生命の終焉ーエリヤ、エノク(省略)、モーセの生涯の終焉
 旧約聖書はこれらの三人だけ、通常と異なった生涯の終焉を迎えた。
預言者エリヤ
 エリヤは、前860頃、北王国で活動した、イスラエルの最初の預言者である(「キリスト者の希望」68以下)。エリヤはエリシャを自分の後継者とした、列王紀上19:l9以下。エリアの「生涯の終わり」は、弟子エリシャの派遣、権威、力が直接的に啓示される形をとっている。眼目となるのはエリヤの生涯の終わりが《死という形ではなく、死とは異なる形の生の消滅であった》という点である。「エリヤの別離はエリシャの日の前で、エリヤの死すべきものがその生に飲み込まれてしまったということである」(バルト前掲書)。エリヤのこのような終焉をエリシャや他の弟子たちは知っていたようだ。彼ら二人がヨルダン川のほとりに立った時、「エリヤは外套を取ってそれを丸めてそれで水を打つと、水は二つに分かれたので、二人は乾いた土を歩いて渡った」(列王下2:7~8)。エリシャは師に向かって懇願した「どうぞあなたの霊の二つの分を私に与えてください」。エリヤは答えた「もし私が《取り去られる》のをあなたが見るならば、その願いはかなえられ、そうでないならば、願いはかなえられない」(列王下2:9~10)。
 二人が進んで行くと「火の馬に引かれた火の戦車が現れて、二人を分けた。エリヤは風の中を天に上っていった。エリシャはこれを見て叫んだ、わが父よわが父よ、イスラエルの戦車よ、その騎兵よ。しかしもうエリヤは見えなかった」(列王下2:11~12)。「ここでの眼日はエリヤが(陰府に下ったのではなく)火の馬、火の車に乗せられて天に上ったということ、エリヤの別離、彼の時間的な終わりである。ヤハウェご自身がエリヤの生の内容と目標として、またエリヤの生の終わりとして登場なされた、という点である」(バルト)。エリシャは自分に与えられたエリヤの外套を取り上げさえすればよかった。エリシャの仕事は今こそ始まる。彼はその外套でヨルダン川の水を打ち「エリヤの神はいずこにいますか」と叫んだ。すると水は二つに分かれたので、彼は渡った。エリシャはエリヤの霊を受け継いだのだ(列王下2:13以下)。エリヤが行った奇跡(8節)をエリシャも行った(14節)。ここにエリヤの神がいましたもうたのだ。

モーセの死
 モーセの死には相反する二つの要素が共存している。一つは彼が神に背いたゆえの、審判として彼が死んだという点であり、もう一つは彼が神に祝福された死を迎えたという点である。
 神に課せられたモーセの使命は、エジプトの奴隷とされていたイスラエルの民をその地から脱出させてカナンの地に導くことにあった。死が近づいてきた時、モーセは民に言った「私は今120歳になった。私はもう自分の職務を果たすことができない。またヤハウェは私に言われた『あなたはヨルダン川を渡ることはできない』と」(申命記31:2)。また32:48以下では彼の死についてこう記されている。
 「あなたはアバリムの地にあるネボ山〔死海の北端の10キロにある海抜800メートルの見晴のよい山〕に登りなさい。…あなたは登っていくその山で死に、祖先に連なるであろう。それはあなたがチンの荒野メリバデ・カデシの泉で、イスラエルの人々のうちで私に背いたからだ」。
 モーセはカナンへの荒野の放浪の途上メリバで、水の欠乏に民が苦しんだ時、神の指示で杖で岩を打って水を出して民、家畜に飲ませた(民数20:3以下)。続いてこうしるされている。「ヤハウェモーセとアロンに言われた、あなたがたは私を信じることをせず、イスラエルの人々の前に、私の聖なることを示さなかった。それゆえあなたがたはこの会衆を私が彼らに与える土地に導き入れることはできない」(民数20:12)。この「メリバの水」の奇跡の記事において《モーセの何らかの罪が示唆されているが》、それが具体的には述べられていない。フォン・ラートは後代の人々が遠慮して本文を修正したからだとみる(「申命記註解」)。
 モーセの死についてはこう述べられている「ヤハウェの僕モーセヤハウェの命令によってモアブの地で死んだ。《ヤハウェモーセをべト・ぺオルの近くのモアブの地にある谷に葬られたが》、今日に至るまで誰も彼が葬られた場所を知らない」(申命記34:5以下)。人々はモーセの死にも、埋葬にも立ち会っていないのだ。
 バルトはモーセの死について解釈している、
 「またこうも言われている、『モーセの目はかすむことがなく、気力は衰えていなかった』(申命記34:7)。このようなわけでモーセの生の限界が日にみえるようになり、この限界のところで神の裁き、墓、陰府も見えるようになる。モーセも死んだのだ。しかしモーセは十分活気に満ちた者として死んだのだ。《彼がその限界を踏み越えて、最早存在しなくなった時、神ご自身が彼の埋葬者となられたのだ》。また神ご自身が介入なさって、その限界(死)に対して明らかに《自然的な形が再び与えられ》、モーセの墓は見つけることができなかった。《この人間と死の運命との平和》は、神ご自身をとおして全イスラエルにとって注目すべき仕方で目に見える形ですえられた」(前掲書、774)。
 バルトの解釈にあるように、モーセの死は決して通常のものではない。第一に、モーセは確かに死んだのであるが、その埋葬は神ご自身によってなされたこと、第二に、彼の死が「自然的な形」をとったこと、によってである。