建司の書斎

「キリスト者の希望」、「愛を学ぶ」等の著者、故相澤建司の遺稿説教原稿・聖書研究など。

井上良雄著「戦後教会史と共に」読後感想(2)

1996講壇1(1996/3/31~1996/6/16)

井上良雄著「戦後教会史と共に」読後感想(2)

 戦後特に東ヨーロッパにおいて共産党政一確が次々に誕生した状況のもとで、教会の指導者たちは、教会・キリスト教共産党政確や共産主義にどのような態度をとるべきかという問題に直面した。東欧の指導者たちはバルトの意見を強く求めて、バルトもそれに応答した。私たちの記憶には東ドイツの教会指導者ハーメル、チェコ神学者ロマドカなどであるが、その一つとしてバルトが書いたハンガリーの改革派の教会の指導者べレツキー宛ての手紙「福音と共産主義」(「福音と世界」一九五二年一〇月号) である。バルトは四八年にハンガリーに招待されていた。カトリック陣営が共産党政権に原則的に抵抗を決めたのに対して、プロテスタントのべレツキーはむしろ共産党政権との協調と、共産主義に関する確信を「キリスト教の使信の一部、一つの信仰箇条にしようとしている」ようだ。これに対してバルトは手紙でべレツキーの「脱線」を指摘したようだ。このバルトの手紙について、赤岩栄牧師がまず書評「信仰的判断と科学的判断」を書き、井上氏も赤岩氏とは別の立場からこの書評「ただキリストの福音にふさわしく」(一九五二)を書いた。周知のようにこのようなやりとりは日キ平における理念問題、信仰と社会的実践の根幹をなしている。
 井上氏はすでに発表されていた赤岩氏の立場を要約して紹介している。赤岩氏は一九四九年に共産党入党宣言をして世間を驚かせていた。赤岩氏は書評の中でこうしるしているという。
 「私が共産主義に賛成するのは、『地球は動く』という中世の発言と同様な歴史的必然の洞察からの発言ですから、それを信仰箇条の中に入れたりする必要は毛頭ないのです」。つづけて赤岩氏はバルトとの違いについて言及する。
 「バルトと私との違いは神学にあるのではなく、ただ独占資本主義も共産主義もどちらも悪いと考えているバルトの判断と独占資本主義よりは少なくとも共産主義の方がずっといいし将来性があると認めている私の判断との間にあるのです」。
 井上氏は、赤岩氏の書評に対して、キリスト者平和連動における「信仰と社会的実践の問題の正しい解决」のために、この評論を書いたという。
 井上氏はまず、バルトと赤岩氏との違いを神学の違いでなく社会主義の評価の違いとみなす赤岩氏の見解について、両者は「信仰と社会的実践、教会と国家の問題」に関して「神学が違う」と主張する。その場合、井上氏はバルトにあっては(バルトの論文「キリスト者共同体と市民共同体」)、教会には教会が味方すべき国家の姿の一定の「線と方向」があり、それの基準はただ一つ「その国家体制が神の国を指し示しているかどうか、福音にふさわしいかどうかにかかっています」。したがって例えば、独占資本主義体制と共産主義体制とどちらがよいか判断する基準にしても赤岩さんが言うように「どこまでも社会科学的視点」によるのではない、「バルトにとっては、教会の問題と国家の問題、信仰と社会的実践の間には、ベレツキーにおけるような直接的な結びつきがあってはならないが、しかしこの両者の関係は赤岩さんにおけるように、あれはあれこれはこれというような関係かといえば决してそうではなく、そこにはやはり一つのいわばディアレクテック(弁証法的)な架橋が存在するわけである」と述べている。
  赤岩牧師が「信仰的判断」が「科学的判断」に口をはさんではならない例として「地動説」を引き合いに出している点について、井上氏は自然科学的な真理を「共産主義の真理性」の例証とするのはおかしいと批判して、その理由として共産主義が、地動説のような精密科学ではなく「一つの世界観、イデオロギー」だ主張する。そして井上氏はバルトの見解に従って、世界観、イデオロギーというものは、人間が神の言葉をいまだ聞かないか、あるいは最早聞かない状況、聖書が霊(ガイスト)と呼ぶその霊のない世界において起こるものであり、このイデオロギーを《信仰と並んだいま一つの立場や基準とすることはできない》と語る。
 キリスト者平和運動において、共産主義にもとづく社会科学的なものを排除したというのが、井上氏の見解の特徴である。これは四〇数年経過した今日でもきわめて「新鮮に」感じられる。
 一九八九年のベルリンの壁崩壊、東欧の社会主義政権の崩壊、ソ連邦の崩壊のあたりから、歴史は大きく変化してきたと私は感じている。この変化を「冷戦構造の消滅」とみなすかどうかは別として、私たちの中で「社会主義政権や社会主義イデオロギー一般」が民族の解放、社会的な矛盾の解決、人権の確立、平和の実現の方法論として決して「よいものだ」というイメージがなくなったと思える。私はソルジェニーツインの「収容所群島」を読んだ時(七八年ころ)その記述が真実だとしたらソ連は崩壊するなと感じたが、十数年後にはソルジェニーツインの予言は的中したことになる。この歴史的変化のもとで、従来の赤岩氏らのいわゆる「二元論」すなわち信仰的判断と社会科学的なものを媒介する立場」あらためてみなおす必要を私は強く感じている。しかし、私たちの先達にはこの見直しが必要であるとか、見直しを実践するとかを考えている人はないようだ。
 「赤岩さんに問う」(一九六三年)という井上氏の論文では、赤岩氏の見解が紹介されている。それによれば赤岩氏は「キリスト者平和連動に神学的基礎づけを不可欠と考えられる井上さんと、そんな基礎づけはは平和運動に邪魔であると考えるぼく」と書いたという(「指」一九六三年五月)。そして赤岩氏や氏の考えに近い人々は「平和の福音的な根拠づけ」を「空論」と呼び、大切なのはその空論の論議よりも「山積する実際問題の論議」だ、平和運動をするのは「キリスト者としてではなく人間としてだ」と主張したという。
 キリスト者の平和連動の「神学的基礎づけ」という問題は、古くて新しいテーマである。決して「空論」ではないと私は考える。
 この基礎づけでふまえるべきポイントがいくつかある。第一に、井上氏は強調してはいないが一五年戦争のもとでのキリスト者の戦争協力という過去の罪責を信仰的神学的に総括する点である。これは戦後五〇年経過した今日でも依然として不十分である。日本のキリスト者平和運動の原点としてこれを把握すべきである。宗平協においては、このポイントは相当ふまえられていると思われるが、日キ平においてはこのポイントはかなりぼやけているようだ。
 もう一つは、東欧、ソ連社会主義政一確の崩壊をもって、プラハのCPC(キリスト者平和会議)も消滅した。すなわち日キ平における「二元論」の一方の、社会科学的な理論も徹底的な再検討を求められる点である。(続)