建司の書斎

「キリスト者の希望」、「愛を学ぶ」等の著者、故相澤建司の遺稿説教原稿・聖書研究など。

井上良雄著「戦後教会史と共に」読後感想(3)

1996講壇1(1996/3/31~1996/6/16)

井上良雄著「戦後教会史と共に」読後感想(3)

 「赤岩さんに問う」(一九六三)において、すでにみたように論争点の一つは、井上氏がキリスト者平和運動には「神学的根拠」を不可欠としたのに、赤岩氏のほうはそれを不要とした点であった。井上氏は、キリスト者が「十字架につけられて、この世は私に対して死に、私もこの世に対して死んでしまった」(ガラテヤ六:一四)をふまえると、キリスト者平和運動をすることはそれほど自明な事柄ではないという。「私たちがこの地上でしなければならないことは、このこと、イエスが世界の主であり勝利者だという事実を、それをまだ知らぬ《この世の人々に証しする》ということです。私が主の復活と再臨の間に歩むキリスト者として、すでにすべてのことが終った (十字架と復活において)にもかかわらず平和運動などにたずさわることを許されている、またたずさわらなければならないと考えるのも、やはりそのような主が私たちに期待される『証し』のためです。したがって《私たちが平和運動をするということは、福音の証しをせよという神の戒めに対する新しい服従の決断として》であります」。それゆえ井上氏は、キリスト者平和運動の中で、この一点、世界の主イエス・キリストの支配に対する証しという点、それゆえ日キ平の「綱領」にも「世界の主であるキリスト」の文言を明記することに固執してきたと語る。
 この井上氏の見解は、今日においても、すなわち東欧、ソ連邦の崩壊、冷戦構造の変化、プラハキリスト者平和会議の分解、日本のキリスト者の全体的組織的な運動が停滞して各個のキリスト者のさまざまな活動、天皇の下血報適や天皇大嘗祭の国費支出、代替りに対する抗議「宗教法人法・改正」 への反対運動のみがなされている状況、それゆえキリスト者平和運動の新しい理論づけが求められて状況において、きわめて示唆にとむ、聞くべき基本的な見解だと私は考える。
 井上氏は言及しないが、この「キリスト者の証し」の論点は、きわめてアクチュアルでありキリスト者の戦争責任はこの証しにおいて決定的な罪を犯した点にあったーーキリスト者はキリストの支配に従わずに、むしろ天皇制国家の支配に従って、偶像礼拝、戦争協力の罪を犯し主に従う道よりも、臣民の道をキリスト者は歩んだからである。
 この見解を「バルト神学によるもの」との赤岩氏の批判に答えて、井上氏はイエスは主なりという告白が「初代の教会以来の教会の中心的な信仰告白」であり、バルメン宣言やドイツの教会闘争もそこから生まれたもので「私たちの運動が代々の教会の戦いに連なるものでなければ、むなしい」と考えると反論している。言い換えると、キリスト者平和運動が「代々の教会の戦い」からかけ離れた意識のもとで、ただただ民主、平和諸勢力に「宗教の分野」で連なることの位置づけ、のもつ不十分さを井上氏は把提しているのである。
 「赤岩さんに問う」は一九六三年に書かれたもので、井上氏が日キ平を退会する時期のものであるが、この時期のもう一つの評論が「キリスト者平和運動の過去・現在・将来」である。これは一六ページにわたる長い論文である。
 「キリスト者平和運動の過去・現在・未来」(一九六三)において井上氏は、戦後のキリスト者による平和運動をふりかえって述べている「戦後のキリスト者平和運動は、クエーカーの方々を中心としたパシヒィストの団体である『日本友和会』と『キリスト者平和の会』と大体においてこの二つの団体によっていとなまれてきました」。そして日キ平の創立時の状況、一九五一年、朝解戦争の最中にこの会ができたのは、一つには「第三次大戦に対する危機感によるもので、何とかして第三次大戦を阻止したいという願いからこの会も出発した」という。もう一つは、この会の成立にはキリスト者独自の意識が強く作用していた点で、それは「太平洋戦争中の(これは今日の言い方では「15年戦争」の意味だと考えられる、相沢)日本の教会のあり方に対する反省あるいは批判という、いわば教会的な動機もあった」という点である。会の発足時の声明には、すでに引用した次の部分がしるされていた「われわれキリスト者のおかした過ちは、…それ(平和)のために身をもって戦わなかった所にあった」。
 今考えてみて、戦時下の日本の教会のあり方への「反省」はきわめて重要だと思う。その理由はいくつかあるが、とりわけ井上氏のいう日キ平創立の「教会的な動機」がもっともクリアーになるのは、この「教会の戦責の問題」だということ。教会の戦責問題は、キリスト者をたえず、日本のプロテスタント教会の過去、過去の過ちを見つめさせることで、教会との過去、現在のつながりを意識させる。戦後五〇年たってもその問題が神学的、信仰的に解明しつくされたとは到底言い切れない。現在においても教会の戦責問題は、過去の事柄ではない、現在と将来のテーマである。これをぬきにして敗戦以降の五〇年の課題に突入することはできない。戦責問題に取り組むならば、結果的に、キリスト者の運動の二本足の一方はたえず教会共同体を踏みしめていることになる。したがって「諸教会から浮いて他のほうをみている運動」に陥ることが避けられる。また井上氏が強調した日キ平の運動の「神学的な基礎づけ」も、たえず意識したテーマであり続ける。キリスト者平和運動の神学的な基礎づけとなるのは「キリスト者の証し」にある。これを無視して、ルターの「二つの王国」論のように、この世に対するキリストの主権を承認しないで、この世をカイザルの支配の領域とのみ承認し、キリスト者はこの世で単に「市民的な正義」を打ちたてるために運動するということになると、その運動は教会から離れたものとなり、「キリスト者の証し」のファクターはその運動から消えていく。
 日キ平の運動から、この「教会的な動機」が希薄となり、戦責問題がふまえられなくなるとその運動は「市民的な運動」と限りなく同じものとなって、存在の意義も希薄となる。教会の戦責問題から日キ平の運動が始まった点を改めて井上氏に教えられて、私はありがたいと思った。
 井上氏は(他の評論ではほとんど言及していないが)、ここでは「戦時中の教会の過ちの根源を(信仰生活における二元論)」と把握している。井上氏はルターの「二王国説」、教会と国家、信仰と政治の二元論に言及し、結果的に「信仰は私的な性格のものとなり、公けの事柄はその自立性にゆだねられた。キリスト者の奉仕が超時間的な事柄に限定された」とルターの「二王国説」を批判し、次いで、ドイツ教会闘争の意義を展開した。(続)