建司の書斎

「キリスト者の希望」、「愛を学ぶ」等の著者、故相澤建司の遺稿説教原稿・聖書研究など。

井上良雄著「戦後教会史と共に」読後感想(4)

1996講壇1(1996/3/31~1996/6/16)

井上良雄著「戦後教会史と共に」読後感想(4)

 「キリスト者平和運動の過去・現在・未来」(一九六三)において、井上氏は「戦時中の日本の教会の過ち」について「信仰と政治の二元論に似たものが、戦前・戦中を通じての日本の教会の基調のようなものをなしていた」、結果として「国家や政治の問題をキリスト者の信仰の問題として考え教会の責任として考える用意が欠けていた」と分析している。この二元論は井上氏によれば、戦時下のキリスト者においては「福音のために」と「平和のために」との奇妙な乖離となって現われ、キリスト者の通念として「キリスト者の奉仕を超時間的なものに限定する」ことになったという。
 敗戦直後、「無教会のある有力な指導者が、戦争中のご自分の態度を釈明して『自分は《福音のためにはいつでも死ぬ覚悟》をしていた。しかし《平和のために死のう》とは思わなかった』と語られたと聞きました。私は《福音のために》ということと《平和のために》ということとの《分離》こそ、戦前・戦中にかけての信仰的に真面目な日本のキリスト者のありのままの心持を最も典型的に示すものだ、と考えています」。
 井上氏の著書の中で、私はこの部分の分析に一番感動した。戦時下のキリスト者の問題性を鋭くえぐり出しているからだ。
 しかし私の考えは少し異なる。拙著でしるしたように、一五年戦争の開始以後、「平和のために」戦ったキリスト者柏木義円矢内原忠雄らのみであった。他方「福音のために」戦った者がどれほどいたのであろうか。井上氏のいう「無教会の某指導者」(可能性として塚本虎二氏かもしれない)の発言「福音のためにいつでも死ぬ覚悟をしていた」については、私は少し言いたいことがある。
 国家によるキリスト者に対する神社参拝の強制(一九三二年)や、太平洋戦争開始以後の「天皇帰一精神」という天皇イデオロギーキリスト者は完全に屈伏してしまった。その屈伏の形は「政治的」のみならず「信仰的」屈伏でもあった。神社参拝(偶像礼拝)強制、天皇帰一精神は侵略戦争ための思想統制であった。国家側からの攻撃は「福音のために・平和のために」の統一した形でやってきたのだ。キリスト教信仰は「日本的キリスト教」すなわち「天皇帰一精神・天皇イデオロギー」によって変質・歪曲され、主イエスよりも現人神天皇キリスト者は拝んだ。その状況は「血を流すほどの抵抗」(へブル一二:四)すなわち「福音のために死ぬ覚悟」が求められるものであった。
 「福音のために死ぬ覚悟をする」という信仰的抵抗の立場は、もし貫徹されれば結果的に「平和のために」という政治的な抵抗でもありえたのだ(浅見仙作)。井上氏の見解「福音のためにと平和のためにの分離論」は事実当たっているにしても、「平和のために」ばかりでなく「福音のために」戦い抵抗するキリスト者が決定的にいなかったのだ。したがって「戦時中の日本の教会の過ちの根源」を探るならば、井上氏の見解「信仰と政治の二元論」もあげられるにしても、私は別の表現で「国家と宗教の視点の欠如」と言いたい。国家権力と信教の自由のからみ、自分が信ずる信仰告白のゆえに、国家権力の命令(神社参拝、天皇崇拝、すなわち「神社非宗教論」)に抵抗するというキリスト者エートスの欠落を「戦時下教会の根源的過ち」とみたい。
 井上氏はこの論文で、赤岩牧師の共産党入党宣言(一九四八)に関連して、赤岩牧師の立場を紹介しているが、これは資料的にも貴重である。赤岩氏は「イエスが神の言葉、神の啓示、信仰の対象」であると承認しつつ「私たちが生きるのに必要な知識を他のもろもろの教師から期待することは、决してイエスに対する裏切りではありません。私はマルクスが指示した唯物史観的な歴史の把握は、大局的にみて、真理だと認めざるをえません。キリストを信じる者がマルクスの真理に学んだとしても、それは何の沽券にもかかわるはずはありません」と述べたという(「キリスト教文化」)。
 赤岩氏の立場は、井上氏からみると「信仰のことは聖書に、社会のことはマルクスに聞けばいい」との見解であって、現実に日キ平にもこの立場の人がたくさんいた。しかしこの立場は「戦前・戦中の日本の教会の基調であったあの二元論の亡霊」であって、戦時下の教会が政治的には保守的、赤岩氏などは進歩的の違いこそあれ「福音の理解、信仰の姿勢において、両者に本質的なちがいがない」とされる。
 井上氏はこの二元論の根本問題「イエスの主権の範囲」を指摘する。「二元論によって証しされるイエスは、教会という小さな宗教的世界の主であっても、エペソ書(一:二〇以下)『神は万物をキリストの足の下に従わせた』と語っているような大いなる主ではありません。二元論は救いを単に魂の救いに限定し、キリスト教を単に一つの宗教に堕落せしめてしまいます」。
 井上氏は一九六三年に日キ平を退会するが、その理由について四つほどあげている。
 まず、二元論をめぐる赤岩氏らとの見解の相違(これは「原理問題」と呼ばれた)、第二にソ連の核実験に対する見解の相違。
 第三に、いわゆる「綱領問題」。綱領の冒頭の部分「われわれは、政治的・社会的領域においても主イエス・キリストの支配があらわとなるように決断し行動することが、キリスト者の責任であると信じる」に関連して、井上氏は「((政治的・社会的領域においても主である) イエス・キリストの支配が…」との解釈を主張したようだ。このへんについて、私は詳しい内容は知らないのだが。これに対して二元論の立場の人は井上氏の見解を「バルト神学を運動に押しつけるもの」と批判し、かつ「政治的・社会的領域においても」を「主イエス・キリスト」にかけないで「主イエス・キリストの支配が《あらわとなる》」にかけ、さらに「政治的・社会的領域においても」の後に「句点を入れること」を求めたようだ。「政治的・社会的領域においても、主イエス・キリストの支配があらわとなるよう…」(「一点論争」と呼ばれた)。
 第四に、見解の根本的相違は「キリスト者とはどのような者かということについての理解のちがい」にあったという。
 井上氏は「キリスト者の実存とは何か」を問い、第一ヨハネ三:一以下を引用する
 「われらは神の子と称せられる。すでに神の子たり。…愛する者よ、われら今神の子たり。後いかん、いまだ顕れず。主の顕れたもう時、われらこれに似んことを知る。われらその真の様を見るべければなり」。
 井上氏はキリスト者の実存はすでに主の十字架と復活において確立されているが、しかしながら、私たちの「終りの日」における有様がどのようなものであるかは私たちの目にはまだ隠されている。「すなわちキリスト者の実存とは『すでに』と『いまだ』という二つの事実の間にはさまれ存在だということができます。……そのような『すでに』と『いまだ』の間を歩む旅人が、キリスト者だということ」だと。
 そしてこのキリスト者の実存規定はキリスト者平和運動にも妥当するという。

(未完終了)