建司の書斎

「キリスト者の希望」、「愛を学ぶ」等の著者、故相澤建司の遺稿説教原稿・聖書研究など。

貧しい者の希望(二)

1999講壇1 ( 1999/9/4~1999/10/24 )

貧しい者の希望(二)

 ディベリウスの引用つづき「しかしイエスの説教とそれによって起こった運動は《終末論的希望の復興》をとおしてこの貧困に新しい力を供給した。捕囚期の救済の終末論は、諸国民の秩序の転倒、貧しいイスラエルが高くされ、その敵の滅びを宣教したが、イエスの福音は、ユダヤ教の黙示文学的な貧しい者の文献、エチオピアエノク書九四章と同じように《社会的な秩序の転倒、貧しい者への救いと富める者への滅びを約束した》(ルカ六・二〇以下)。富める者は神なしに生きている者とみなされた(ルカ一二・一六以下、一六・一九以下)。しかしこの《社会的な秩序の転倒への希望》はプロレタリアによる転倒に支えられていたわけではない。というのはイエスとそれに属す者とは(富める者たちへの)憎しみの力や貧しい者の集団的な力からではなく、すべてを神の力から期待したからである。この世を変えるのは人間ではない。むしろ神の国が天から到来するのだ。神の国の説教は革命的ではない。それは黙示文学的だからだ。宣教者イエスがご自分に属す者たちと共に貧しい生活をされたとすれば、それは徹底した禁欲にも、またプロレタリアートの意識を強調することにも基づくものではない。イエスは人々から援助されることがあったしまた客として招かれることもあったからだ。その場合、決定的なのはまたして《黙示文学的待望》である。イエスはこの世の経済的機能に積極的に関与することなく生きておられた。世の終りを予見され、この貧しい生活がガリラヤの社会環境、帰依者との友人づきあいのおかげで決してみじめでもプロレタリア的になることもなかったからである」(「ヤコブ書注解」強調引用者)。
 さてディベリウスが「貧しい者」という概念用語を旧約聖書ユダヤ教の背景に立ち入って「敬虔な者」と同義語であることを指摘した点、またイエスの貧しい者への祝福が「社会的な秩序の転倒を約束した」と主張した点、イエスの運動が「終末論的な希望の復興」すなわち神の国到来への希望を復興させて、貧しい者に新しい力を与えたと指摘した点、他の人があまり取り上げない、プロレタリアによる社会変革の問題と(否定的にせよ)関連づけた点、などは高く評価される。ルカ一・五一~五三「神は心の思いの高ぶる者を追い散らし、権力者をその位から引き下ろし、低い者を高くし、飢えた者を宝で満たし、富める者を空手で追い帰される」。ルカ六・二〇~二六、貧しい者への祝福と富める者へのわざわいの告知。
 次に、デイベリウス自身は貧しい者を「メシア的敬虔主義者たち」と主張したが、どうも納得がいかない。イエスの貧しい者に対する祝福は、ユダヤ教の世界観と断絶する新しさをもっていて「社会的秩序の転倒への希望」をもたらすものであったにちがいない。ところがディベリウスの主張する「メシア的な敬虔主義者」はユダヤ教の敬虔な者たち・アナヴィームの伝統に属す人々である。イエスが「彼ら」に近づき祝福されたとしても、ユダヤ教の指導者・律法学者やパリサイ人の憤激の原因とはならないしイエスの宣教・説教のもつ「新しさ」とはならない。経済的に貧乏であって(経済的疎外)、しかも律法を守ることがないのでユダヤ教からも疎外されていた人々、とにかく「宗教的社会的に落ちこぼれていた人々」にイエスは接近されたにちがいない。「疲れている者、重荷を負っている者はすべて私のところに来なさい。私が休ませてあげよう」(マタイ十一・二八、ここの「重荷を負う」は守れないほどの律法を課せられてそれを守ろう苦しむこと)。もちろんイエスがもう一つの集団「取税人と罪人」(彼らは決して経済的に貧乏な人ではなかった)となされた食卓の交わりはユダヤ教の宗教や社会を根幹から揺るがす衝撃力をもっていた。マタイ九・十一「大勢の取税人や罪人も来て、イエスや弟子たちと食卓に同席していた。パリサイ人はこれを見て弟子たちに言った『なぜあなたがたの先生は取税人や罪人と一緒に食事をするのか』」。ディベリウスの解釈にはイエスのふるまいにあった「新しさ」が読み取れない。
 ボルンカムもデイベリウスの見解を不確かな想像と批判している。
 さらに貧しい者とは誰かを考えてみよう。「貧しい者」の意味を明らかにする過程でポイントとなるのは、貧しい者を宗教的な概念として把握するか(その場合「貧しい者」は限りなく「敬虔な者」という意味になりユダヤ教との断絶面が希薄となる)、それとも社会的概念として把握するかである(その場合限りなく貧しい者は「貧困な階層」という意味になり、プロレタリアによる社会変革の理論との相違点が問題となる)。この視点からさらに検討したい。

第二に、ローマイヤーの貧しい者の解釈
 ここでは貧しい者は最初のキリスト者を意味するという。
 「イエスの時代にはアナヴィーム(貧しい者たち)という表現は、社会的な階層ではなく、ガリラヤで広まっていた宗教的な運動、外面的には極めて貧困であるにもかかわらず、神の言葉を頼りにし神の律法を守り、神の約束を待ち望んでいた人々の運動を意味していた。実際イエス自身も最初のガリラヤの帰依者と共にこの運動の中から出現された。《このアナヴィームと同じ名を最初の原始キリスト教の信仰者はもっていた》。貧しい者へのこの祝福の言葉は、この運動を終末論的な教団へと高め、その教団に《貧しい者》の名を与えるようになった」(「マタイ伝註解」)。
 この解釈では貧しい者がユダヤ教のアナヴィーム、貧しい者・敬虔な者との連続性が強調されている。パウロは確かに「エルサレムの貧しい聖徒たち」と言っているが(ロマ一五・二六)、エルサレム教会の全キリスト者を貧しい者と言ったのでなく、そのうちの一部の人「エルサレムの聖徒のうちの貧しい者」と述べたのだ(ヴィルケンス注解)。
 ローマイヤーの解釈では、イエスのこの祝福のもつ新しさ、ユダヤ教との断絶面が、また先の社会的秩序の転倒の要素も明らかでない。

第三に、ボルンカムの解釈
 「イエスが語られた貧しさや卑賤は、いつも根源的な意味をもっている。《貧しい者や不幸な者とはこの世からは何も期待できないで、すべてを神に信頼している人々であり、また神に自分を投げ出して神の前に乞食として生きている人々である》。祝福を受けている人々を結びつけるのは、彼らがこの世の可能性の限界に突き当っていることである。貧乏人はこの世の仕組みに合致しないので、この世にそぐわない。悲しんでいる者(ルカ六・二一)はこの世から何の慰めも受けない。屈辱を受けている者(同六・二二)この世から価値を認められない。飢えている者、渇いている者(ルカ六・二一)は神だけがこの世で彼らに約束する義なくしては生きられない」(「ナザレのイエス」)。
 ボルンカムの解釈における貧しい者は「神に自分を投げ出す」「すべてを神に期待する」など《ユダヤ教の敬虔な者》としても十分通用する。エチオピア・エノク五八・二「幸いなるかな、あなたがた義人たち、選ばれた者たち。あなたがたのほうびは栄光あるものとなるからである」。この解釈のように貧しい者と敬虔な者とを同一視することはできない。これでは貧しい者は、デイベリウスが主張したアナヴィームと同一になってしまう。律法主義的なユダヤ教によっては「もはや神に自己を投げ出すことも神に何かを期待することもできずに絶望している人」をボルンカムは見ていない。またこの解釈では「社会的な秩序の転倒への希望」といった社会的射程も欠けているので、イエスの祝福の新しさも読み取れない。

第四に、用語の問題。
 イザヤ六一・一にある「《貧しい者に喜びのおとずれを告げ》」(=マタイ十一・六)において「貧しい者たち」はへブル語「アナヴィーム」が用いられている。この用語にはいくつかの意味があって、第一に自分の土地を全く所有していない人の意味。「貧しい者」(レビ一九・一〇、申命一五・一一)、社会的弱者イザヤ三・一四では「乏しい者や寡婦(かふ)」との並行で「貧しい者」、五八・七「飢えた者・裸の者」との並行で「貧しい者」。第二に、宗教的な用語法で敬虔な者を指して「悲惨な、貧しい」の意味。イザヤ四九・一三「主はその民の貧しい者を憐れまれる」、詩篇九・一八、一〇・九、一四・六「主は貧しい者の避け所」、六八・一〇など。第三に、「従順な、謙虚な、柔和な」の意味。詩篇七四・一九「あなたに属《貧しい者》の生命を永遠に忘れないでください」、ゼカリア九・九のルター訳「見よ、あなたの王はあなたのもとに来る。彼は義人であって救済者、《貧しく》、ろばに乗る」(ここの「貧しく」はマタイニ一・五では「プラウス・柔和な」、とある)(ゲゼニウス「ヘブル語辞典」)。