建司の書斎

「キリスト者の希望」、「愛を学ぶ」等の著者、故相澤建司の遺稿説教原稿・聖書研究など。

病人の希望(二)

1999講壇2(1999/10/31~1999/11/14)

病人の希望(二)

マグダラのマリアへの癒し
 マグダラというのはイエスの出身地ガリラヤ地方のガリラヤ湖西岸の町。当時マリアという名は、イエスの母マリア、ベタニアのマルタの妹マリアなどあまりに多い名であったため「マグダラ出身の」という表現で他のマリアと区別された。
 マグダラのマリアがイエスによって病気を癒されたとの記事はマルコ二八:九「彼女は以前七つの悪鬼を追い出していただいた」にある。
 ルカ八:一~三「その後イエスは町から町、村から村へと巡回して、神の国の福音を宣教し伝えられた。そして一二弟子がイエスに随伴した。また悪霊や病気を癒していただいた数名の女性たち、すなわち(七つの悪霊を追い出していただいたマグダラ出身の女性と呼ばれたマリア)、ヘロデの財政管理者クーザの妻ヨハンナ、スザンナ、その他多くの女性たちも一緒であった。女性たちは自分たちの財産をもってイエスに(仕えた)」。
 マグダラのマリアについてここでは「マグダラ出身の女性」とある。「この町は商業が盛んであった。大規模の漁業と魚の加工が住民に仕事を与え、繁栄と変化をもたらしていた」(モルトマン・ヴェンデル「イエスをめぐる女性たち」一九八〇)。マグダラは当時「淫らな町として悪名をはせていた」(シュナッケンブルクの註解)はマリアをルカ七章の「罪の女」と混同させる以外の意味はない(カトリックではこの傾向が強い)。
 またこのマリアの「七つの悪霊を追い出していただいた」とは、悪霊憑き、現代におけるてんかん、意識錯乱、欝病などの精神疾患の病気のことで「七つの悪霊・ダイモニア」はその疾患が重い症状であったことを意味する(レンクシュトルフの註解)。当時の病人の常として彼女は、家族、親族、共同体の人びとから疎んじられ軽蔑もされていたろう。病人はモルトマンの次の引用文が妥当する「病気であるとは、社会的障害、愛情の喪失、孤立を意味する」。社会的偏見は彼女を家族や友の交わりにおいても疎外され呪われた存在として自分の人生に対する嘆きと愛に対する渇望、社会に対するルサンチマン・憤激を抱いていたであろう。
 マリアはイエスによってその病を癒された。モルマン・ヴェンデルはマリアの癒しについて次のように「解釈」している、
 「癒し自体を思い浮かべてみよう。この癒しは他の癒しと対応した経過をたどったであろう。すなわちイエスはマリアの手をとり、おそらく抱いて立たせてやった、熱病のべテロのしゅうとめや悪霊につかれた人になさったように。イエスはマリアに話かけられた。マリアのほうでは手の感触によってイエスの存在の近さと接触とを感じ取った。イエスが話かけられたことで、彼女から悪霊憑きが落ちた。彼女は再び自分自身となり、感情も、決断も自由に解き放たれ、再び自由に周囲の世界を経験し、自由に喜び、新たに生きることを学ぶようになれた。しかし、彼女はもとの生活環境にはもどらなかった。自分の故郷マグダラと家庭を捨てたのだ」(「イエスをめぐる女性たち」)。
 さて先の箇所でマグダラのマリアらの女性たちがイエス一行と「一緒にいた」とはイエスの巡回の《伝道旅行に同行した》との意味。
 「病を癒してもらった女性たちは、イエスに対する感謝の気持ちをイエス一行に同行し、世話することによって表した」(レンクシュトルフの注解)。モルトマン・ヴェンデルが指摘したように、マリアもクーザの妻ヨハンナも家庭も故郷も捨てたことは明らかである。彼女らが弟子として「イエスに従った」からである(マタイ二七:五五)。イエスの癒しの記事において病気を癒された者がイエスに従う例はきわめて少ない、全く新しいことであった(レンクシュトルフの註解)。他にイエスに従ったのは盲目を癒されたバルテマイぐらいである(マルコ一〇:四六以下)。マリアらがイエス一行に加わったのは、それまでの「宿痾による絶望の人生」が「病苦から解放されて希望の人生に変えられた」からであろう。
 マリアらが「自分の財産をもってイエスに(仕えた)」との箇所は重要である。「自分の財産」という場合、女性たちが自分の財産を持っていた、という意味となる。エレミアスは女性たちがみな自分の財産を自由にできる「寡婦」であったとみなしている(「イエスの宣教」)。「ヘロデの家令クーザの妻ヨハンナ」については、クーザガリラヤの領主へロデ・アンティパス(大王の次男)の「財政管理者・エピトローポス」つまり大臣であった。「ヨハンナは大臣の妻でありヘロデの宮廷に属す女性であったが、夫と宮廷生活を捨てた」(モルトマン・ヴェンデル)。それゆえヨハンナは経済的に豊かで自分の財産も持っていたと推定できる。
 マグダラのマリアは富を持っていた。少なくともこの二人の財力を証明するのが次の「仕えた・ディアコネオー」という用語の意味で、この用語には多様な意味がある。「給仕をする、食事などでもてなす」との意味がある(ルカ二二:二六以下など)。レンクシュトルフはこの箇所をそう訳す「食事の世話をした」と。しかしこの用語は「経済的な配慮をする」との意味があって、この箇所も「マリアらは自分たちの財産をもってみんなを経済的にまかなった」と解釈すべきである。塚本訳「みんなをまかなった」は適訳である。「おそらくマリアはかなり年配で、かっては結婚していて彼女の財産はその結婚に由来するものであった。そしてその財産をもって彼女はイエスの運動を援助した」(モルトマン・ヴェンデル)。マリアのこのようなイエスへの奉仕は、イエスの十字架、死、埋葬に至るまで続く。そして復活のイエスの顕現に出会った最初の人物はこのマグダラのマリアらであった(マルコ、マタイ、ヨハネ)。
 イエスが身障者、病人、精神疾患の者を癒されたことは、イエスが彼らの希望を実現されたばかりでなく、イエスご自身が彼らの希望となったことを物語っている。

長血の女性の癒し
 マルコ五:二五~三四「一人の女性がいて、この人は一二年間長血をわずらって、多くの医者からさんざん苦しめられて、全財産をついやして何のかいもないばかりか、かえってますます悪くなってしまった。この女はイエスのことを聞いて、群衆の中にまじって後からイエスの衣にさわった。『あの方の衣に触りさえすれば、私は癒される』と思ったからである。するとすぐに血の源はかれて、彼女は業病がなおったのを体に感じた。するとすぐイエスは自分自身から力が出ていったのを体に感じられ、まわりの群衆を振り返って言われた『私の衣に触ったのは誰か』。弟子たちが言った『ご覧ください。群衆が押し寄せているのに、誰が私に触ったのかと言われるのですか』。イエスはこのことをした女性を見つけようとして、まわりを見回された。その女性は自分に起きたことを知っていたので恐れおののきながらイエスの前にひれ伏し、ありのままを話した。イエスは言われた『娘よ、あなたの信仰があなたを癒したのだ。平安あれ、さようなら、病苦から解放されて元気でいなさい」(ペシュ訳)
 この女性のこれまでの苦しい病気との闘いは三つのポイントでしるされている。第一に「一二年間、長血であった」。「長血」はレビ一五:一九、二五以下では、女性の場合の「流出」とある。「女にもし、その不浄な時のほかに多くの日にわたって血の流出があれば、その汚れの流出の間、その女は汚れた女である」二五節。ここでの長血は、子宮からの出血の病気のこと。レビ一五章によると、この女性の触れる者(もの)(マルコ五:二七)はすべて「祭儀的に汚れる」のであるから、この女性は一二年間も家族や共同体から交わりを遮断されてきた。神殿にちかづくこと、過越の祭りに参加すことなどができない、という意味で「一二年間」の病気は彼女の苦しみの長さとひどさを物語る。他の例では、幼い時からおしの霊にとりつかれた息子(マルコ九:二一)、一八年間病気の霊につかれた女や八年間中風の人(ルカ一三:一一、行伝九:三三)など。
 第二に、この女性が病気を癒そうとした試みはすべて失敗したーー多くの医者にかかって苦しい治療をうけた、しかし何の効果もなく病気は悪化した。ベン・シラ一〇:一〇に「長患いは医者の手におえない」とある。当時のユダヤ教では医者の存在をよきものとは見ていない(ぺシュの注解)。
 第三に、この女性は財産も使い果して、何の甲斐もなかった。
 二七節には、この女性がイエスのもとに来た動機や行動が述べられているーー「イエスのことを聞いて」はマルコ一:二八「イエスのうわさはたちまちガリラヤ全地方に広まった」 (続)