建司の書斎

「キリスト者の希望」、「愛を学ぶ」等の著者、故相澤建司の遺稿説教原稿・聖書研究など。

イエスの十字架と絶望(一)&(二)

1999講壇3(1999/11/14~1999/12/26)

エスの十字架と絶望(一)&(二)

ゲッセマネの夜
 「やがて彼らはゲッセマネと呼ばれる場所に来た。イエスは弟子たちに言われた『私が祈り終るまで、ここで坐っていなさい』。そしてイエスはべテロとヤコブヨハネを伴っていき、《悲しみ不安になり》始めて、彼らに言われた『私の心は減入って死ぬほどだ。ここにとどまって、目を覚ましていなさい』。そして少し進んでいって、地にひれ伏し、できることなら、この時が自分の前を通りすぎるようにと祈って、言われた『アバ、父よ、あなたはすべてが可能です。どうかこの杯を私から取り去ってください。しかし私が欲することではなく、あなたが欲することがなりますように』」 (マルコ一四:三二~三五)。
 この箇所は、ゲッセマネにおけるイエスの苦難をしるしたものであるが、ここにはイエスの特有の「絶望の体験」が表現されている。特に「悲しみ不安になって」は「言いようのない悲しみと不安を表現している」(ローマイヤーの註解)。また「私の心は滅入って死ぬほどだ」(三四節)は、ヨナ四:九「私は悲しみのあまり死ぬほどだ」(七〇人訳)に由来して絶望的な人間の状況を示している(ヨナ四章参照)。先の「どうかこの杯を私から取り去ってください」(三六節)の嘆願は、先に言及したように神に聞き入れられなかった。先に引用したが、ヘブル書はこう述べている「キリストはその肉の時期には、死の力から救うことができるお方に、 強い叫びと涙をもって嘆願と懇願をささげられた。そして《彼の不安のゆえに、それは聞き入れられなかった》」(五:七、ハルナックやブルトマンの読み方)。「神への恐れ・敬虔・ユーラベイア」をハルナックは「不安」と訳した(ミヘルの註解)。
 この箇所と関連してパスカルはこう語った「イエスが嘆かれたのはこの時一度しかなかったと思う。だがこの時には、極度の苦しみにもはや耐えられないかのように嘆かれた『私の心は滅入って死ぬほどだ』」。「イエスは人間の側から仲間と慰めを求められる。だがイエスはそれを得ることができない。弟子たちが眠っていたからである」。「イエスは世の終りまで苦悶されるであろう。その間、われわれは眠ってはならない」(「パンセ」五五三、田辺保訳)。
 モルトマンも次のように述べている、
 「ゲッセマネの物語は(マルコ一四:三二以下、並行)イエスが死んだ折の恐ろしい神の蝕(Gottesfinsternis)を反映している。…
 イエスは弟子たちにご自分と共に目を覚ましているように訴えた。またイエスは当時祈りにおいて神と一つなるために、しばしば彼らから離れて一人になられた。…苦難の杯を自分から過ぎ去らせてほしいとのイエスの祈りは神によって聞き入れられなかった。ここではイエスと神との交わりは破れているように映る。それゆえ弟子たちは悲しみで深い眠りにおちたのである。神と弟子たちとから《見捨てられて》イエスは大地に伏した。ただ大地のみがイエスを支えた。
 イエスご自身は神から引き離されて、自己否定をとおしてのみ(神との)一つであることを固執したもう。すなわち『私の願いでなく、あなたの願いのままになりますように』(マルコ一四:三六)。ゲッセマネにおけるイエスの拒絶された願いをもって、イエスの最後にまで至る《神の沈黙》が始まる。『人の子が神なき者らの手に渡される時がきた』(マルコ一四:四一)」(「イエス・キリストの道」、《》の強調は引用者)。
 神の御子としてであれ、イエスの嘆願が神によって拒絶されたという点は、自分の心からの嘆願が神によって拒絶された人々の体験と類似点がある。長期の入院患者などが時折味わうことだが、自分の嘆願にもかかわらず間近に迫った自分の死が逃れようもなく確実であるとか、自分が日常生活もままならない障害者となる定めが確実になるような体験、言い換えると、自分からその運命を免れさせてほしいとの嘆願が聞きとどけられることなく、自分の死や障害者となる定めが不可避的となるといった絶望的な体験との類似性を、ゲッセマネのイエスに見出すことができる。「自分がその運命を免れさせてくだいさいとの嘆願、その運命が不可避的であることが明かとなる絶望的意識への転回」「ゲッセマネからゴルゴタ(死)への道は、希望からの訣別である」(ドロテア・ゼレ「苦しみ」)。この希望への訣別と類似したもの(同質ではなく明らかに相違しているが、きわめて類似したもの)パウロが用いた「ホモイオーマ・同じ姿」が存在する。ロマ六:五「私たちがキリストに結びつけられて、キリストの死と同じ姿になるならば、…」。かすかな希望から絶望へのこの運命の転回を経験をした人は、自分と類似した体験をなされた「キリストの中に自分が見出される」(ピリピ三:九)と感じとっている。ヘブル書は「イエスご自身試練にあって苦しまれたからこそ、試練の中にいる人々を助けることができる」(へブル二:一八)と語る。この「イエスによる助け」は、自分たちだけでなく、イエスも希望から訣別して絶望を味わわれたお方であることを知り、希望からの自分の訣別を受け入れることができる、という意味である。

男性の弟子たちの逃亡と絶望
 イエスユダヤ教当局の者たちによって捕縛されたきっかけは、弟子のイスカリオテのユダがイエスを裏切ってユダヤ教当局に金で売ったためであった。マタイ二八:一四以下とルカ六:一六にある「イスカリオテのユダ」の別の読み方は「シカリオス(刺客)のユダ」。さらにマタイ一〇:四「カナナイオス(熱心党)のシモンとユダ」の箇所をクルマンらは「熱心党」をユダにもかけて読む(「ペテロ」、「イエスと当時の革命家たち」)。これらの根拠から「ユダを熱心党員とみる解釈」は根強い。プリンツラーは、ユダが裏切った理由を、イエスをローマ支配からの独立を目指す政治的メシアとユダは誤解していて、その誤解がわかった時点でイエスを裏切ったとみる(「イエスの裁判」)。
 ペテロら弟子たちもイエス捕縛の時点でイエスを見捨てて逃げ去ったが(マタイ二六:五六)べテロだけはその後の事態を知ろうとして、連行されるイエスに遠くからついて行って大祭司の官邸の庭に入り込んだ。しかしその庭で火にあたっていた時、女中や使用人たちに「あなたはイエスと一緒だった」と詰問されて三度にわたって「いやそんな人は知らない」とイエスを否認し、外に出て激しく泣いた(同二六:六九以下)。ペテロのイエス否認については、レンブラントの絵「ペテロの否認」(上野の西洋美術館)やバッハの「ヨハネ受難曲」における有名な「ペテロ否認のアリア」(第一九曲、歌エルスト・へフリガー)もある。このアリアはべテロの否認についての「重要な注解」といえると考える。
 これらの事実、ユダの裏切り、弟子たちの逃亡、ペテロのイエス否認は、イエスの受難において(男性の)弟子集団が崩壊したこと、彼らの深い失望、信仰の喪失を物語っている(女性の弟子たちについては後述)。
 「弟子たちの逃亡の中に見られる挫折によって明らかとなるのは、イエスの死という断絶によって彼らの信仰が一時的に失われたということである」「(シュラーゲの論文「新約聖書におけるイエス・キリストの死の理解」)。

十字架上での叫び
 さて「イエスがなぜ十字架につけられたか」については、二つの把握の仕方がある。一つは生前のイエスの活動の帰結である「歴史的な(geschichtlich)イエスの訴訟」として、イエスの十字架の死はユダヤ教の律法理解から見ると「涜神者」、ローマ帝国によるユダヤ支配という政治的文脈では「反乱指導者」(十字架刑はローマの逃亡奴隷あるいは国家に対する反逆罪の被告への処刑方法であった)。神との関わりでは「神に見捨てられた者」と解釈できる(モルトマン「十字架につけられた神」、この文献の特に「十字架に至るイエスの道」、原書の一一九以下の三〇ページを原文で読んだ時感動を覚えた)。
 もう一つはモルトマンのいう「終末論的にみた(eshatologishe)イエスの訴訟」すなわち復活の光に照らしてみた「神の定めによる苦難と死」「贖いの死」としてのイエスの十字架の把握である。
 注目すべきは、このうちの「神に見捨てられた者としてのイエスの死」というポイントである。これまでイエスの十字架をユダヤ教当局との衝突、ローマ帝国の総督による十字架刑の視点、いわば宗教的政治的文脈でのみ十字架を理解する立場、あるいは、イエスの十字架の死が《その同時点で罪の贖いの出来事であったとみる解釈》すなわち史実を信仰の対象とする誤った立場は、いともたやすく十字架についての神学的把握である「神に見捨てられた者イエス」のポイントを欠落させてきた。そして弟子集団の絶望の体験も軽視されてきた(ルカ伝、ヨハネ伝では弟子たちの逃亡記事はない)。
 モルトマンが指摘しているように、四つの福音書のうちでルカ伝ではイエスの十字架上の最後の言葉は「父よ、私の霊をあなたに委ねます」(ルカ二三:四六)とあって、これはユダヤ教の義人が死に臨んだ折りの敬虔な祈りの言葉である(詩篇三一:五)、またステバノの殉教における言葉でもあった(使徒行伝七:五九「主イエスよ、わが霊をお受けください」、ステパノの最後の言葉が逆にイエスの最後の言葉に移された可能性があると、シュナイダーの註解はみている)。
 ヨハネ伝ではイエスの十字架における最後の言葉は「すべてが成就した」(一九:三〇)とあって、十字架の死はすでにイエスの活動の完成とされている。
 したがってルカ伝とヨハネ伝には神に見捨てられた者としてのイエスの十字架の視点は存在しない。イエスに対する弟子たちのつまずきも強烈なものではない。
 これに対して、マルコ、マタイではイエスは十字架上で「わが神、わが神、どうして私をお見捨てになったのですか」と叫んで死んだとある(マルコ一五:三四、マタイ二七:四六)
 「もしこの恐ろしい言葉が実際上イエスの死の叫びにおいて聞かれなかったとしたら『あなたはどうして私をお見捨てになったのですか』という言葉はキリスト教界にはほどんと根づくことはできなかったであろう。ずっと後になってへブル書はこの思い出を『キリスト《神から遠く離れて[ギリシャ語、コーリス・テウーは「神から見捨てられて」とも翻訳できる]》私たちすべてのために死を味わわれた』(二:九)と確証している」(モルトマン「イエス・キリストの道」)。 続