建司の書斎

「キリスト者の希望」、「愛を学ぶ」等の著者、故相澤建司の遺稿説教原稿・聖書研究など。

イエスの十字架と絶望(五)

1999講壇3(1999/11/14~1999/12/26 )

エスの十字架と絶望(五)

最高法院での審問
 話が相前後するが、最高法院での審問、ピラトの審問を取り上げたい。
 「人々はイエスを捕らえて、大祭司カヤパのもとに引いていった。そこには律法学者、長老たちが集まっていた。…祭司長らと最高法院全員は、イエスを死刑にするために、イエスに対する偽証を探した。しかし偽証者は多く出たにもかかわず、証拠を見つけることができなかった。最後に二人の偽証者はいった『この人は、神殿を壊して三日以内に建てることができる、いったと』。そこで大祭司が立ち上がってイエスにいった『おまえは何も答えないのか。この人たちはおまいに不利な証言をしているではないか』しかしイエスは沈黙しておられた。大祭司はいった『生ける神に誓って私たちにいいなさい《おまえは神の子、キリストなのか》』。イエスは大祭司にいわれた『それだといっているのはあなたがただ。私はあなたがたにいう、今より後(人の子が力ある方の右に座り天の雲に乗って来る)のをあなたがたは見るであろう』。そこで大祭司は上着を引き裂いていった『神を冒瀆している。これ以上どんな証人が必要であろうか。今あなたがたは神聖冒瀆を聞いた。あなたがたはどう考えるか』。彼らは答えていった『この人は死罪に相当する』」(マタイ二六:五七~六六、ザント訳)。
 この記事の目撃証人には後にキリスト者となったアリマタヤのヨセフがいると考えられる。彼も最高法院・サンヘドリンの議員であったからだ(プリンツラー「イエスの裁判」)。「大祭司カヤパ」は最高法院の議長、前の大祭司アンナスの娘婿。大祭司はローマ総督に任命されたが、多額の賄賂が用いられたようだ。カヤパの任期は後一八~三七年と二〇年近くにわたり祭司政治家として老練な外交手腕を発揮したという。「祭司長ら」とは歴代の祭司長の経験者で、特にアンナスの影響力は絶大で、歴代の祭司長は彼の息子たち孫たちが独占していた。彼らの立場は保守的貴族で、サドカイ派に属し、神殿での祭儀とその財産管理が職務。彼らはモーセの律法を墨守し、旧約聖書の解釈の伝承、霊の存在、復活の概念などは否定した。彼らは最高法院の重要メンバーであった。
 「律法学者」は主にパリサイ派に属し、階層的には小市民層、議会ではサドカイ派(祭司長らと長老たちからなる)とほぼ同等の勢力。パリサイ派はイエスの活動全般に終始敵対的反応を示し、イエス逮捕の計画も彼らのものであった(ヨハネ七:一二)。ヨハネ伝は、サンヘドリン議員の多くはイエスを信じていたが、ユダヤ教の会堂から追放されるのを恐れて、またパリサイ派をはばかって公然とは告白しなかったと伝えている(ヨハネ七:三二)。律法学者の議員では、ガマリエル(行伝五:三四以下)、ニコデモ(ヨハネ三章)の名が知られているが彼らが最高法院の判決に異を唱えたとは福音書は述べていない。
 「民の長老たち」は金持の地主階層、信徒。アリマタヤのヨセフの名が知られている。彼は処刑後のイエスの亡骸の引取りを申し出たり、またエルサレムの街の外に庭園つきの土地をもっていて、そこにイエスの埋葬を認めた。ルカ伝は、彼が最高法院のイエス死刑判決に同意しなかったと述べているが(二三:五一)、他方その判決に反対したともしるされていない。
 さてイエスに死刑判決が出された理由は何であったか、これがポイントである。マルコ伝は「サンヘドリン・最高法院はイエスを死刑にするためにイエスに不利な証言をみつけようとしたが、見つからなかった」と述べている(マルコ一四:五五)。神殿に対する非難・攻撃の発言は、瀆神罪が該当したが(レビ二四:一六)偽証の企て、イエスが手でつくった神殿をこわして、手でつくったのではない、別の神殿を三日のうちに建てるというのは証言があわなかった。
 いきずまったカヤパはイエスに直接訊問した「おまえは神の子、メシア・キリストなのか」と。ユダヤの法では、自ら自分はメシアだ、と主張しても、犯罪にはならなかったという(コンツェルマン「時の中心」など)。後一三〇年ころ、ユダヤの革命家バル・コクバ(星の子)はメシアと名乗ったが、瀆神罪で告発されることもなく、むしろ有名なラビ・アキバからメシア王、ヤコブの星という称号までもらったという。だからイエスのメシア告白が有罪判決の理由ではないとの解釈もあった。しかしこの解釈はいわゆる公正な裁判の場合に妥当するが、カヤパが目論んだのは、決して公正な裁判ではなくむしろはじめからイエス抹殺の陰謀であった。
 イエスは答えられた「《それだ(メシアだ) といっているのはあなただ》。しかし私はあなたがたにいう、今よりのちあなたがたは、人の子が力あるお方の右に座し天の雲に乗って到来するのを見るであろう」(マタイ二六:六四)
 この「それだといっているのは、あなただ」が質問に対する肯定なのか、否定なのかは難しい。しかもその答如何ではイエスの生死を決定するものであった。というのは、はじめからサンヘドリンとカヤパは、イエスがこの訊問に肯定的な答をした場合には、イエスをメシア僭称者として死罪にすると決めてかかっていたからだ(プリンツラー)。マルコ一四:六二における回答は「私がそれだ」とあり、これは明らかにイエスがメシアであると肯定した答である。しかしながら、マタイ伝の答「そうだといっているのはあなただ」(ルカ二二:七〇も同様)については、あまり決定的でない肯定の答と解釈できる(プリンツラー、ザント、グニルカ、モルトマン)。後半の「人の子が力あるお方(神)の右に座す」は詩一一〇:一に由来しメシアが神によって神の右に即位すること。ステパノはイエスが神の右に座すのが見えるといったたために瀆神神者として石打ちで殺された(行伝七:五五)。「今よりのち人の子が天の雲に乗って到来するのを、あなたがたは見るであろう」における「人の子」は後期ユダヤ教のダニエル七章以来のメシア称号で「私」という意味も含んでいる。「天の雲に乗って到来する」も先のダニエル七章に由来する。カヤパの質問にイエスはメシア告白をされたのだ。
 (実は総督ピラトの訊問「おまえはユダヤ人の王なのか」に対するイエスの答も「そうだといっているのはあなただ」となっている(マタイ二六:一一、ルカ二三:三)。しかもピラトはイエスのこの回答を「王と認めた肯定の回答」とは判断しなかった。イエスが王と認めた、とピラトが判断したとしたら、ピラトはただちに裁判を中止して判決を出したはずだからだ)。
 この回答に対して、カヤパは「自分の上着を引き裂いていった、神聖冒瀆だ」(マタイ二六:六六)。サンヘドリン・最高法院は「死罪に当たる」と判決した。
 イエスの宣教、癒し(ヨハネ伝ではラザロの蘇生の奇跡がサンヘドリンのイエス殺害判決ののきっかけとなった、一一章)罪人らとの交流が、必然的にユダヤ教当局・サンヘドリンと全面的な対決を呼び起こし、それに対してサンヘドリンの側が出した帰結がイエスを「神を冒瀆する者」としての死罪判決であった。そしてサンヘドリンのこの死刑判決に対して、神ご自身が出された判決が《死刑判決の廃棄》、イエスの復活であった。

ピラトの審問
 「人々はイエスをカヤパのもとから、総督の官邸に引いていった。夜明けであった。しかし人々は総督の官邸には入らなかった。(異邦人の家の)中に入って汚れると過越の食事をすることができなくなるからであった。それでピラトが彼らのほうに出てきていった『この人間に対していかなる告発をするのか』。彼らは答えた『この男が犯罪者でなかったら、あなたに引き渡すことはしません』。そこでピラトはいった『おまえたちがあの者を引き取って、おまえたちの法で裁きなさい』。ユダヤ人たちは反論した『私たちには人を死刑にすることは許されていません』。これは、ご自分がどんな死に方をなさるかを暗示された言葉が成就するためであった」(ヨハネ一八:三三~三八、シュナッケンブルク訳)。
 サンヘドリン、ユダヤ人がイエスをなぜピラトのもとに引いていったかが重要である。ピラトは通常はカイザリアの砦にローマ軍と共に駐留したが、時は過越の祭りの時期であったために、エルサレムにやってきて官邸(へロデの宮殿にあった)に滞在していた。過越の祭りには諸国から大勢のユダヤ人が集まってきて、その民族意識が高揚するために不測の事態に備える警備のためである。
 またピラトのもとへの連行の理由は、ユダヤの法とローマの法の問題があった。ユダヤ教の最高法院はユダヤ教の法の違反者(宗教的な瀆神罪など)の審理、判決の権限をもっていた。ステパノの殉教の場合(行伝七章)最高法院の審理、判決が出る以前に、集団リンチ的にステパノは「石打ちの刑」で殺された。正式の審理、刑の執行ではなかったのだ。 続