建司の書斎

「キリスト者の希望」、「愛を学ぶ」等の著者、故相澤建司の遺稿説教原稿・聖書研究など。

イエスの十字架と絶望(六)

1999講壇3 (1999/11/14~1999/12/26)

エスの十字架と絶望(六)

ピラトの審問

 サンヘドリン・最高法院は、確かにイエスがご自分をメシアだと告白されたゆえに、イエスに瀆神罪で死刑判決を出した(マタイ二六:六六)。しかし彼らはたとえ瀆神罪など宗教犯への判決といえども、死刑の執行権をもっていなかった。この点については、聖書ではヨハネ一八:三二のみがこう述べている「私たちには、人を死刑に処す権限がありません」。死刑の執行権をもっていたのは、総督のピラトである。それゆえマタイ二七:一にある、サンヘドリンが「イエスを殺す決議をした」の「決議」は単純に死刑判決をした、ばかりでなく、総督へイエスを引渡し、総督による死刑執行とを企てた「共同謀議の内実」を意味している。これが彼らがイエスをピラトに引き渡した理由である。
 しかしながら総督には総督の管轄領域と掌握している権限があった。管轄領域とは、総督はユダヤ教の律法に違反した、宗教犯への死刑判決をそのものとしては取り上げることがないという点である。「おまえたちが引き取って自分の法律で裁判せよ」(ヨハネ一八:三〇)。イエスへの告発の案件をピラトは拒否したのだ。総督が取り上げる案件は、反ローマ的な暴動の謀議、反乱罪(納税拒否や人口調査への妨害活動などの)いわゆる政治的な犯罪のみである。ピラトのイエスへの審問の冒頭にある「おまえはユダヤ人の王なのか」(ヨハネ一八:三三、他の福音書も共通)は、ピラトに対するサンヘドリンのイエス告発・罪状が何であったかを雄弁に物語る。ピラトはさらに続けた「おまえの国の人々と祭司長らがおまえを私に引き渡した。おまえは何をやったのか」(一八:三五)。サンヘドリンによるピラトへのイエス告発の内容を「政治的な犯罪者」として最も具体的に述べているのはルカ伝である。それによればイエスは「反乱指導者」である。「私たちはこの人が国民を惑わし、カイザルに税金を納めることを妨害し、また自分が膏注がれた(メシア・キリストなる)王だと主張しているのを確かめました」(ルカ二三:二)「この人はユダヤの国全体に自分の教えで、民衆を煽動した」(二三:五)。この告発のうち「納税問題」ではイエスは「カイザルのものは、カイザルに返しなさい」と説かれて納税を是認されたので完全な偽証である。納税拒否はむしろ熱心党のスローガンであって、この点では熱心党とイエスの立場は鋭く対立していた。サンヘドリンはイエスの宣教を(反ローマ的政治運動)であると、歪曲偽証したのだ。
 この告発のポイントは、イエスが「自分をメシアなる王だと主張した」(ルカ二三:二)との告発内容にある。これが先のピラトの訊問「おまえはユダヤ人の王なのか」である(ヨハネ一八:三三、ルカ二三:三、マタイ二七:一一、マルコ一五:二)。総督が宗教犯には関心を示さないが、いささかでも政治的な反乱の臭いには敏感に反応して、その告発を取り上げざるをえないだろうとのサンヘドリンの読み、狡猾さがここでは明らかだ。ピラトの統治している領域で、ある者が「王を名のる」という事態の背後には必ずローマの支配者の側に「政治的な反乱、反ローマ的な煽動の嫌疑を引き起こした」という(プリンツラー「イエスの裁判」)。「自分を王にする者はだれでもカイザルの敵である」(ヨハネ一九:一二)。サンヘドリンは宗教裁判においては「メシア偕称者」としてイエスに死刑判決を出したが、ピラトに対してはイエスの「メシア告白」を巧妙に「王の僭称者」へとずらし歪曲したのだ。
 しかしながらこの歪曲、ねじまげは微妙で巧妙である。というのはメシアすなわち「神の受膏者」には「イスラエルの王」として、王権の所有が含まれていたからだ。メシアは自分の王座にではなく、神の王座のかたわらに座して、神の代理者として国を統治する権利をもつてる(フォン・ラート「旧約聖書神学」)。
 また当時のユダヤ人が待望したメシア像にれば「メシアとは地上の王としてイスラエル国を樹立する勝利の戦士であって、神はこの国をとおして全世界を支配されるというものあった」(クルマン「イエスと当時の革命家たち」)。言い換えるとこれは、ローマ帝国の支配からユダヤ人を解放する政治的なメシア、一三〇年頃登場した、ユダヤの革命家でバル・コクバのような存在であった。このユダヤの民族的解放をローマ帝国との武力闘争によって現しようとしたのが熱心党であった。
 イエスの一二弟子のうちにも、まず熱心党シモンがいた。そればかりではない。ペテロはバルヨナ・シモン(マタイ一六:一七)とも呼ばれ、「バルヨナ」は決して「ヨハネの子・シモン」(ヨハネニ一:四二)の意味ではなく「テロリスト」の意味だという(クルマン「ペテロ」)。さらに「イスカリオテのユダの異読は「シカリウスのユダ」すなわち「刺客のユダ」。彼が以前刺客集団に所属していたとをうかがわせる(モルトマン「十字架につけられた神」)。
 イエスの立場と熱心党の立場を比較してみると、第一に、イエスが熱心党に関わりのある先の三人を受け入れられたことが目をひく。第二に、しかもイエスパリサイ派とは激しい論争をしているが、熱心党とはあからさまな論争しておられない。また熱心党と同じようにイエスも政治的な支配者を批判された「異邦人の主らは人々を支配し、また偉い者らは人々に力をふるっている。しかしあなたがたの間でそうであってはならない」(マタイ二〇:二五以下)。この言葉はローマの皇帝や総督への間接的な批判と解すことができる。第三に、伝道旅行に派遣した弟子たちにイエスは命じられた「剣のない者は自分の上着を売って、剣を買いなさい」(ルカ二二:三五以下)。イエスは非暴力的な「武装放棄」を命じておられない。さらにイエスエルサレム入城と宮清め(マタイ二一:一以下)はユダヤ人やローマ人にはある種の「熱心党的な行為」と映ったであろう。
 他方イエスは熱心党との決定的な対立点ももっておられた。第一に、熱心党はユダヤの律法遵守に固執したパリサイ主義的党派であった。「律法を知らない」ローマ人との武闘、人口調査への抵抗(ガリラヤのユダ、行伝五:三七)を彼らは辞さなかった。これに対してイエスは「取税人と罪人の友」(マタイ一一:一九)として、取税人らとの交流を排除したパリサイ人や熱心党の論理に反する行動をされた。第二に熱心党はローマ帝国への納税に激しく抵抗したが、イエスは「カイザルのものはカイザルに、神のものは神に返しなさい」(マルコ一二:一三以下)といわれてローマへの納税を是認された。またローマの課す労役をも是認された「誰かがあなたを無理やり一ミリオン(一・五キロ)行かせようとするなら、一緒に二ミリオン行ってやりなさい」(マタイ五:四二)。第三に熱心党の武闘主義に対して、イエスはそれを否定していわれた「あなたの剣をさやにしまいなさい。剣による者はすべて剣によって滅びる」(マタイ二六:五二)。第四に、熱心党の「政治的なメシア像」に対してイエスはそれをサタンの誘惑として拒否された。「サタンはイエスを非常に高い山に連れていき、世界中の国々と、その栄華とを見せていった『あれをみなあなたにあげよう。もしあなたが私にひれ伏して拝むならば』。そこでイエスはいわれた『サタンよ、引っ込んでいよ』」(マタイ四:八以下、クルマン「イエスと…」)。
 総督ピラトの訊問「おまえはユダヤ人の王なのか」の文脈は以上のようなものである。これに対するイエスの回答はこれであった、
 「私がそれだ(王だ)といっているのは、あなただ」(ヨハネ一八:三七)。この翻訳として「あなたの言うとおり、私は王である」(協会訳)や「そう言われるなら、御意見にまかせる」(塚本訳)はよくない。この回答はなるほど大祭司カヤパの訊問への答と同じものである(マタイ二六:六四)。カヤパの訊問へのイエスの回答は「あまり決定的でない肯定の答」(プリンツラー)、「直接的に否定ではないがいずれにせよ、回避的である」(クルマン)と解釈できる。しかも文脈として、人の子(メイア)の神の右への即位と天の雲に乗って来臨するとのイエスの言葉が続いている。それゆえカヤパへのイエスの答はメシアであることの肯定と解釈できる。しかしピラトへのイエスの同じ表現での答は「肯定」とはみなせない。なぜならピラトに対して「イエスが自分をユダヤ人の王だと答えた」とすれば、ピラトは即刻訊問を中止してただちに有罪判決をくだしたであろうからだ(プリンツラー)。現にピラトはさらに訊問を続けている、ヨハネ一八:三八以下。むしろピラトはイエスを「政治的な犯罪者ではない」と判断した。「あの人にはなんらの罪も認められない」(ヨハネ一八:三八、一九:四)。ピラトの無罪判断の根拠の一つがイエスの言葉「私の王国(バシレイア)はこの世のものではない」である(ヨハネ一八:三六)。続