建司の書斎

「キリスト者の希望」、「愛を学ぶ」等の著者、故相澤建司の遺稿説教原稿・聖書研究など。

キリスト者の復活(五) 藤井武(4)

キリスト者の復活(五)

藤井武の来世研究(4)
 キリスト者は死後どうなるか、これについて新約聖書は二つの箇所で語っているとみた。一つは、ルカ二三:四三、もう一つはピリピ一:二一以下だと。
 ルカ二三:三九以下、イエスの両脇ではりつけにされた罪人[熱心党員か]の一人は、イエスを冒瀆した。しかしもう一人は、彼をたしなめてイエスに嘆願した「イエスよ、あなたが王的支配のために来られる時には、私のことを思い出してください」。するとイエスはその者に言われた「アーメン私はあなたに言う、今日、あなたは私と共にパラダイスにいるであろう」(ルカ二三:四三)。
 [パラダイスという用語は、新約聖書では、黙示録二:七で「エデンの園」の意味で、第二コリント一二:四では「この人は、パラダイスに移された」、超地上的な場所の意味で出てくる(バウアーのレキシコン)。ユダヤ教の偽典「一二族長の遺訓」では「祭司的メシアは《天国》の門を開く」(レビ一八:一〇)とある。後期ユダヤ教のメシア待望によれば、メシアが祭司的職務をはたす場所、義人らのいる所とみなされた(レンクシュトルフの注解)]。
 藤井はこの箇所についてこう解釈している、もう一人の罪人のイエスへの嘆願のいじらしさ。彼の霊魂は今しきりに天国を慕い喘いでいる。弟子たちさえ棄てたイエスを彼は救い主として仰いだ[四二節「あなたの王的支配のためにあなたがこられる時」]。四三節の「今日」を藤井はその罪人が息絶えるやいなや、即刻ととる[フィツマイヤーの注解では、イエスの死によってメシア的救いが達成されるまさしくこの日、とある]。藤井は述べている、おまえは私と一緒にいるであろう、おまえといっしょに、愛する者からこの言葉を聞くほど喜ばしい経験があるだろうか。死の国においてイエスは決して我らを一人寂しく棄ておかない。そこへ我らが移るとすぐ、我らはイエスの輝かしい顔を見出すのだ。テニスンの詩で表現すればこうなる「さし潮が私を遠くへ連れていくにしても、私の水先案内なるキリストに私は間のあたりに遇うことができるのだ」。
 キリスト者の死後のテーマについて、取り組んだのは、つい最近一九九五年のモルトマンの「神の到来」である。その意味でも、藤井の来世研究は前人未到の先駆的研究であるといえる。
 死後のキリスト者は、非身体的存在「裸」である、「私たちが地上的な衣服を脱がされても、私たちは《裸》であるわけではない。というのは(地上の幕屋[体]を)脱ぎたいと欲しているからではなく、(天からの住まい[体]を)上から着たいと、現在の幕屋の中で苦しみうめいているからだ」(第二コリ五:三~四)。
 死後のキリスト者の様子について、藤井は黙示録六:九~十一を引き合いに出す。
 「私は祭壇の下に、神の言葉のゆえに、また彼らのもっていた証言のゆえにほふられた人々の《命》を見た。彼らは大きな声で叫んで言った『聖にして真なる主よ、いつまであなたはお裁きにならず、私たちの血の復警を地に住む人々になさらないのですか』。すると彼らめいめいに《白い長衣》が与えられた」(佐竹訳)。
 黙示録は殉教したキリスト者の《死後の存在》を《プシュケー(の複数形プシュカス)》と呼んでいる。これをルタ一訳は「Seelen・魂」、協会訳「霊魂」、共同訳「魂」、佐竹訳は「命」(この用語の形容詞・プシュキコスをパウロは「霊の体」に対する「地上的・魂的体・ソーマ・プシュキコン」として用いた。第一コリ一五:四六)。
 黙示録がここで「プニュマ・霊」を用いてない点は注目すべきだ。すなわち殉教者らもいまだ「霊の体」を与えられていないのだ。ここではこれらのニュアンスを考えて「霊魂」の訳がよい。この箇所のポイントは、彼らが与えられた「白い衣」である。
 「白い衣」については、三:四「しかしあなたはサルデスでその衣を汚さなかったわずかな人びとを持っている。彼らは私と一緒に、白い衣を着て歩むであろう」、
 七:九~一五「大勢の群衆は、白い長衣を着ていた。…長老の一人が私にむかって言った『これらの白い長衣を着た人たちは誰で、どこから来たのか』。…彼は言った『この人たちは大きな患難を後にしてきた人たちであり、彼らは小羊の血で長衣を洗い、それを白くした。それゆえ彼らは神の王座の前におり、日夜、彼の神殿で彼を礼拝している。王座に座っている方は彼らの上にお住みになるであろう。…』」(佐竹訳)。
 藤井はこの「白い衣」の解釈で二〇世紀はじめのドイツの聖書学者デリッチの言葉を引用している、
 「黙示録はあまりに頻繁にかつ継続的この白き衣のことを記しているが、いつにても永遠の国の瞥見をえるにふさわしとせられし人々はみな、主にありて死にたる人の霊が着せらるるところの、この天の白衣を、いかに讚美するもなおたらぬを思う。ダンテがいみじくも第一の衣と呼びて、第二の衣すなわち復活体と区別する白衣はこれである」。

 藤井の研究で評価される点は、このように「来世におけるキリスト者のありよう」をスケッチしたことにある。この点に関しては従来欧米の研究においてもほどんと取り上げられることがなかった。しかしながらほんの数年前からやっと取り組まれ始めた。一九九五年のモルトマンの「神の到来」、九六年のヴィルケンスの「死にさからう希望」である。この文献の前半でキリストの復活を、後半で「キリスト者の復活」を取り上げている。
 最近の欧米の神学の視点からもう一度藤井の研究を検証してみていくつかのポイントをあげてみたい。
 第一に、藤井の研究は、カール・バルトの復活研究「死人の復活」(一九二四)と同時期になされたものであるが、キリストの復活を「歴史的な事実」とみなしている点ではいまだ「素朴過ぎる」と評価すべきである。宗教改革の時代には、キリストの復活は聖書にかかれているとおりに起きたと信じられていたが、現在の「復活をめぐる論議」においては、復活の史実性に対して強い疑いが提起されて(バルト、ブルトマン、モルトマン)、私たちは単純素朴に「キリストの復活を歴史的事実である」とはいえない。例外的にパンネンベルクのみが復活の史実性を認めているだけであるが、パンネンベツクにしても、福音書の復活記事、特にルカ二四章、ヨハネ一九章の顕現記事には強い疑念を示している。
 第二に、藤井の研究においては、「キリスト者の死後のありようを明らかにした点」が高く評価される。これはバルトの問題意識に欠落していたポイントである。モルトマンなどの最近の研究の、ほぼ八〇年も前にこのテーマを手がけて一定の成果をあげている。

 その意味で藤井はこの分野で前人未踏の道を切り開いた先駆者であったといえる。「死後キリスト者はキリストと共にある」ことを私たちに明らかに示してくれたのだ。
 第三に、私たちは、「先に亡くなった愛する者たちとどこで再会できるのか」、この点について、藤井は来世であえると明言している。
 「我らが先にいった愛する者とまた会うことのできるのはいつか。復活の日にその喜びが我らにゆるされることはいうまでもない。けれども復活のときまで我らは待たねばならぬのか。…[死の国において]我らがキリストをまのあたりに見出す時に、またすべて我らの愛する者を見出すのだ。彼らは我らと一緒にいる、彼らはそこで我らを待っている。ああ再会の悦び! その実現の日は近い。必ずしも復活の朝まで待つに及ばない。我ら各自が委ねられし戦いを終って、父のみもとに凱旋するその時、彼らは歓び勇んで我らを迎えてくれるだろう」(沙洲を超えて、二)。
 むろん藤井は、亡き愛する夫人のことを常に念頭においてこのことを書いたものと想定できる。妻や夫に先立たれることのない人びとには気がつかない重要な問題意識があってこそ、探求できたテーマであり、しかも聖書に依拠してこれをしるしている。

      完