建司の書斎

「キリスト者の希望」、「愛を学ぶ」等の著者、故相澤建司の遺稿説教原稿・聖書研究など。

希望について前書、囚われ人の希望(1)

 

2000講壇6(2000/12/3~2001/6/17)

希望について前書き

 希望について書き始めたのは、一九八〇年のこと、二〇年前である。第一章は「囚われ人の希望」について。希望について考える場合、いくつかのふまえるべきテーマがある。
 第一に、希望の中身として「何に希望をいだくか」と「どのようにしてその希望をいだくか」のポイント(カントの「純粋理性批判」)。
 第二に、希望をいだく前提として、人は囚われの状態にないと希望をもつことができない、と主張したのは、フランスの哲学者ガブリエル・マルセルである(「希望の現象学」など)。もう一つはこれと全く対立する見解で、イスラエル預言者エレミヤ(前六〇〇年ころ)、人は囚われの状態にあると、希望をもつことはできないというもの(エレミヤ二九章)。
 第三に、これもマルセルの見解だが「解放としての希望」と「永違なるものへの希望」、との区別。
 第四に、実現した希望は何をもたらしか、という「問題」。この問題は歴史の大きなテーマで、この二〇年間に私たちは、この問題を突きつけられた。ソ連邦崩壊、束欧崩壊である。レーニンの成功させたロシア革命は、他の諸国の社会主義者社会民主主義者などにも大きな希望となった。そして革命によって実現される社会主義国は、マルクスなどの主張した「必然の国」として位置づけられ、その発展として「自由の国」へと至る一過程とみなされた。しかしながら美化され理想化された社会主義諸国は、新しい特権階級の自己追求と社会全体のあらゆる腐敗を醸成していて、それが崩壊後にあきらかにされた。(希望が実現すると、あらゆる腐敗しかものたらさないという苦い現実・幻減)を私たちは体験させられた。
 他方その気持で聖書を読んでいくと、実はすでに旧約聖書申命記(記者)がすでにこの問題を意識的にとりくんでいたと感じられる。「子孫増大とカナンの土地取得」という、アブラハムらに与えられた神の約束、希望像は特にダビデ王によるイスラエル王国によって二つながら実現した。しかしその中で、そののちに生まれたのは、神への背信の大きな渦であった。「申命記は幾度もイスラエルヨルダン川渡河の岸辺に立たせること」を繰り返すさざるをえなかった。彼らがヤハウエをないがしろにしてバール崇拝に走り、自分たちの力で豊かな産物をえた、繁栄をえたと考えたからだ。

 

囚われ人の希望(1) 
 希望というテーマについて探求する場合、ひときわ希望について(考えざるをえない人々)が存在するように思える。それは苦境にある人々である。一般に順風満帆にある人、静かで落ち着いた生活をしている人々には希望の問題は差し迫まったものとはなりえない。希望の問題が焦眉の事柄となるのは、いずれも何かに囚われた人、苦境にあってそこからの解放を待ち望んでいる人においてである。何ヶ月も入院している患者(患者のことを英語でPatient、辛抱の人と呼んでいるのは意義深い)、治癒する見込みのない成人病の患者、第二次大戦中、強制収容所に入れられた人(私も幼児の時に引揚者の収容施設に家族と共に入った体験がある)、捕虜になった人、人生の途上で絶望してしまって失意の中にいる人、など。
 フランスの哲学者ガブリエル・マルセルはこのポイントについて次のように語った
 「まず自分が囚われ人であると認識する限りでしか、私たちは希望をもつことはできないだろう。そしてこの隷属状態は病気や追放のごとく、さまざまな形で私たちの前に提示されている」(「存在の神秘」一九四九)。これは希望のテーマに接近する場合の、一つの重要な視点となる。
 ドイツの神学者ユルゲン・モルトマンはこう述べている。
 「私はドストエフスキーの読者、愛好家にすぎない。しかし私は三年以上捕虜であった。そして囚われ人の語る用語《不幸な人々》(囚人をドストエフスキーはこう呼んだ)の孤独と空想とを私は少し理解した。鉄条網に囲まれたバラックで最初に読んだのは『死人の家の記録』『ラスコーリニコフ罪と罰)』『悪霊』であった。ドストエフスキーは、当時私自身に《完全な空想と幻影》であったところの私の状況を理解する手助けをしてくれた。民衆の中で、民衆と共に苦しみかつ希望をいだくこと、このことを彼は私に示してくれたのだ。思い起こしてみると、『希望の神学』(一九六七年に出版された彼の主著の一つ)の諸モチーフは囚われ人であったあの時期に成立したのだ」(「ドストエフスキーと囚われ人の希望」一九七三)
 このように希望のテーマに関心をもち探求した人々は人間の囚われの状況に着目し、あるいは囚われの体験者であった点は注日してよい。
 私たちは、「囚われ人」として「政治囚、強制収容所の囚人、捕虜」と「入院患者」をあげたい。囚人と入院患者との共通点は、当然のことながら、通常の人の場合以上に苦しみ、またある点では自分の人生ではじめて死にも直面させられ、かつ自分のその囚われからの解放、病気や入院生活から自由になることを渇望する人々である。
 マルセルによって希望の形を「解放としての希望」と「永遠なものへの希望」とに区別すれば、囚われ人の希望は「解放としての希望」である。
 他方「希望において重要なのは《何に希望をいだくか》(spes quo)ばかりでなく《どのようにして希望をいだくか》(spes quae)である」といえるが(カント「純粋理性批判」)、囚われ人においては、この双方が、とりわけ後者も焦点となっている。
 さらに、彼らは共通に、囚われの生活の中で《自分の実存の変貌》をとげた。この点はまことに興味深いが、娑婆の人間においても、囚われ人の場合も「自分の欲望に固着する場合には、希望をいだけない」、このポイントもマルセルが指摘した。欲望的な自己からの変容、これは実存の再生体験である(後述)。
 私はシベリアに抑留された捕虜の「手記」を読んでみたが、ソ連強制収容所でこんなひどい目にあったといった内容のものには、共感をおぼえなかった。
 その中で高杉一郎の「極光のかげに」には感動した。石原吉郎「望郷と海」、辺見純「語られた遺書」も印象に残った。画家の香月「私のシベリア」の絵はみたいと思った。
 ちなみに高杉一郎のものは、日本におけるシベリア抑留体験記の嚆矢に属すが、出版当時には彼は「ゴリゴリの反共産主義者というレッテル」をはられたと述べている。当時の日本は現実のソ連を知らないで、特に左翼的陣営や文化人らはソ連を「理想的な国」とみなしていた。だからその理想的な国家を批判するのは反共主義者に違いないと批判されたのだ。私が読んだのは一九七〇年ころで、ソ連のもつプラスとマイナスとを公平に評価していると考えた。
 以下で囚われ人が「何に希望をいだいたか」「どのようにして希望をいだいたか」について探ってみたい。  続