建司の書斎

「キリスト者の希望」、「愛を学ぶ」等の著者、故相澤建司の遺稿説教原稿・聖書研究など。

旧約聖書における絶望と希望(二)マクペラの洞窟

2001講壇(2001/6/17~2002/2/3)

旧約聖書における絶望と希望(二)

マクペラの洞窟
 アブラハムに対する神の二つの約束「子孫增大」と「カナンの土地取得」(一五章など)のうち、後者の土地取得の約束は、出エジプト記やヨシア記のテーマになっていて、アブラハムおよび創世記においては前面には出てきていない。しかしながらアブラハムがこの土地取得の約束に執拗に固執した例外的な箇所ある。それは「マクペラの洞穴」の物語である(二三章)。
 妻サラがへブロン(エルサレムの南三〇キロにある古い町)で死んだ時、アブラハムはその地の住人へテ人(ヒッタイト人)に、その町にある土地の一部を墓地として譲ってほしいと頼み込んだ。ヘテ人たちはとても好意的で「自分たちの墓地」のうちどれでも選んで死者を葬ってくださいと申し出た。これに対してアブラハムは感謝しながらも、あえて住人エフロンという人物の畑の隅にある「マクペラの洞窟」を十分な代価で売ってほしい、そこを自分の墓地にさせてほしい、と頼んだ。エフロンは度量の広い人物で、証人たちのいる前で、その畑もその洞窟も無償でプレゼントすると申し出た。しかしアブラハムはその好意に感謝しつつ、どうしても代価を払うと言い張ってひかない。しかたなくエフロンは無料の貸与を提案したが、アブラハムが同意しない。そして適正な価格、銀四〇〇シケル(四・四キロ)で、その地をアブラハムは買いとった。
 「こうしてマクペラにあるエプロンの畑もその中の洞穴も木も、みなアブラハムの所有となった。それからアブラハムはマクペラの畑の洞穴に妻サラを葬った」(二三:七~一九)。
 この記事で異様に感じられるのは、アブラハムがなぜあの洞穴を「買い取ることにこだわったか」である。妻を葬るためであるならば、住民の墓地を使わせてもらうか、借りればよいはずだ。彼がその地では「寄留者」であって(二三:四)、土地を全然所有していなかったので急にその地に定住したくなったから、とも考えにくい。彼がこの異様の行動をとったのは「私はあなたとあなたの子孫にこの地を与える」との神の約束(一二:七、一三:一七、一五:七、一七:八)に彼が固執したからである。サラをこの洞穴に埋葬したことによって、死んだサラは「約束の地」の一部を所有することとなった。彼女が埋葬されたのは「寄留の地」(一七:八)ではなかったのだ。
 「死んだサラはちっぼけな土地である自分の墓地を、神の約束の《手付け金》として受け取った。…《この墓地は族長たちの希望を確実に暗示している》。彼らが所有したのは約束にあった墓地だけであったが、約束の地にあるこの墓地に自分の遺体が埋葬されるように頑強に固執することによって、族長たちは神の約束の成就を希望をもって待望していることを証言したのだ。この墓地は族長たちの希望を証したものである」(ツィンメリ「旧約聖書の人間とその希望」)。後にアブラハム自身も、子イサクもここに埋葬された。「彼らが死んだ時には、もはや他国人、寄留者ではなかったのだ」(フォン・ラート)。
 アブラハムの孫ヤコブは、飢饉のために食料を求めて一族と共にエジプトに移住した(四二章以下)。そして「イスラエルの民は、その地で大いに增えた(四七:二七)。「子孫増大の約束」はヤコブの晩年になって成就したのだ。
 エジプトの地でヤコブに死が近づいた時、彼は自分の息子、エジプトの宰相ヨセフにこう遺言した「あなたがたはへテ人エフロンの畑にある洞穴に、祖先と共に私を葬ってください」(四九:二九)。
 死に直面したヤコブには、カナンの地は約束の地なのであるが、それはカナンの地全体ではなく、ヘブロンの「マクペラの洞窟」のみを指していた。この「祖先たちの墓」(四七:二九)には、すでにサラ、アブラハム、父母イサクとリベカ、自分の妻レアが埋葬されていた(四九:三一)。ヤコブは自分の遺体がその墓地に埋葬されるよう求めたことによって、カナンの土地取得という神の約束が成就されることへの《待望》を表明した。彼には《あの墓地が希望の対象、しるし》となったのだ。宰相になった息子ヨセフがヤコブ埋葬のためにおこなった、カナンへの葬列は盛大なものであったという(五〇章)。ヨセフ自身もまた《父の希望を受け継いだ》。イスラエルの民が約束された地へと出エジプトする時には「私の骨を携えてのぼる」ように遺言した。
 神の約束はこのように族長らを突き動かし、彼らを待望へと向わせ、その希望の成就へと導く働きをしている。