建司の書斎

「キリスト者の希望」、「愛を学ぶ」等の著者、故相澤建司の遺稿説教原稿・聖書研究など。

旧約聖書における死の理解-1

2005パンフレット「死の中で神に出会う」-聖書における死についての連続説教-

Ⅰ 旧約聖書における死の理解

死の定義
 私たち現代人は、「死の定義」というとすぐに医学的な定義、心臓、呼吸、脳波の停止の三条件がそろうと、それを死と呼ぶようだ。しかしこのような医学的な定義のみが唯一のものではない。この定義に決定的に欠落しているのは、人間を「ベッドや大地の上に横たわっている一個の存在」としてのみ見ており、その人間が「社会的な存在」であること、すなわちアリストテレスの「政治学」がいう、ゾーオン・ポリデイコン(社会的生命存在)を見落としている点である。
 ドイツの神学者ユンゲルは、死の定義を「死とは人間のあらゆる関係の喪失の総体である」と言っている(「死」1971、蓮見和男訳)。先の死の医学的定義よりも、あらゆる関係を喪失すること、とのこの死の定義のほうがはるかに的確である。
 「あらゆる関係の喪失」という場合、親、伴侶、息子や娘、親族、友人、仕事仲間、なじみある自然環境、町並み、などとの別離があげられる。「自分の死が近い」と思っている人々にとって、今まで意識もしなかった周囲の光景がまったく別様に映り、自分に迫ってきて、なんとも美しく感じられる、という(高見順「死の淵より」)。ゾシマ長老が語る、若くして亡くなった彼の兄、マルケールの死を前にした姿も印象的である(ドストエフスキー「カラマゾフの兄弟」)。古代ローマ神学者アウグスティヌスの母モニカが彼ら息子たちに遺した遺言も、私たちの心に響く。「私を故郷でなく、このイタリアの地に余儀なく埋葬することなどに、心をわずらわせないでおくれ。それよりもたった一つお願いがある。どこにいようとも、主の祭壇のもとで私のことを想い出しておくれ」(「告白」9巻11章、後400年、山田晶訳)。

族長ヤコブの証言
 旧約聖書の指導者は自分に死が近いと悟った時、どのようにふるまったかについて、族長ヤコブに言及したい。ヤコブは、アブラハムの孫、イサクの息子である。ヤコブはパレスチィナに飢饉が起きた時、食料を求めて遠いエジプトに一族と共に移住していた。その地で彼に死が迫ってきた。彼は息子ヨセフに自分の亡骸をエジプトの地でなく、故郷カナンにある「祖先たちの墓」マクペラの洞穴に埋葬してほしいと強く要望した(創世記47:29以下。拙著「キリスト者の希望」67以下)。折りしも息子ヨセフが自分の息子マナセとエフライムを伴ってヤコブに面会に来た。「ヤコブは力をふりしぼって、床〔とこ〕の上に起きあがった」(創世48:2)。彼の目は老齢のために衰え、もはや物を見ることができなかった。ヨセフは父に息子二人を祝福してほしいと申し出た。しかしヤコブはヨセフの思惑に反して、右の手を弟エフライムの頭に、左手を兄マナセの頭の上において祝福した。ヨセフは父に「兄弟の順番」を取り違えています、と指摘した。ところがヤコブは「弟は兄よりも大いなる者となるであろう」と予告した(48:19)。ヤコブは視力が衰えたために、兄弟の順番を取り違えたのではない。むしろ弟エフライムの優越性を洞察し兄弟の順番の将来的な逆転をよみとったのだ。それからヤコブは言った「私はやがて死にます。しかし神はあなたがたと共におられて、あなたがたを先祖の国に導き帰されるであろう」(48:21)。ヤコブは《自分の生涯の終わりを悟った時、神の約束を証言するようになる》(H・W・ヴォルフ「旧約聖書における人間像」)。
 旧約聖書は死を「神との関係の喪失」神から切り離される出来事と把握している。
 旧約聖書の死についての見解をみてみたい。
 新約聖書ヨハネ黙示録には「第二の死」という見解が出てくる。「第二の死」とは人間が死後において投げ込まれる「火の池」を意味している(「死も黄泉(よみ)も火の池に投げ込まれた。この火の池が第二の死である。生命の書に名がしるされていない者はみな火の池に投げ込まれた」黙示録20:14以下)。第二の死は「死の中の死、永遠の滅びである」。旧約聖書は人間の死をこの視点でみている(カール・バルト創造論」47節)。