建司の書斎

「キリスト者の希望」、「愛を学ぶ」等の著者、故相澤建司の遺稿説教原稿・聖書研究など。

旧約聖書における死の理解ー4

2005パンフレット「死の中で神に出会う」-聖書における死についての連続説教-

Ⅰ 旧約聖書における死の理解ー4

モーセの死
 モーセの死には相反する二つの要素が共存している。一つは彼が神に背いたゆえの、審判として彼が死んだという点であり、もう一つは彼が神に祝福された死を迎えたという点である。
 神に課せられたモーセの使命は、エジプトの奴隷とされていたイスラエルの民をその地から脱出させてカナンの地に導くことにあった。死が近づいてきた時、モーセは民に言った「私は今120歳になった。私はもう自分の職務を果たすことができない。またヤハウェは私に言われた『あなたはヨルダン川を渡ることはできない』と」(申命記31:2)。また32:48以下では彼の死についてこう記されている。
 「あなたはアバリムの地にあるネボ山〔死海の北端の10キロにある海抜800メートルの見晴のよい山〕に登りなさい。…あなたは登っていくその山で死に、祖先に連なるであろう。それはあなたがチンの荒野メリバデ・カデシの泉で、イスラエルの人々のうちで私に背いたからだ」。
 モーセはカナンへの荒野の放浪の途上メリバで、水の欠乏に民が苦しんだ時、神の指示で杖で岩を打って水を出して民、家畜に飲ませた(民数20:3以下)。続いてこうしるされている。「ヤハウェモーセとアロンに言われた、あなたがたは私を信じることをせず、イスラエルの人々の前に、私の聖なることを示さなかった。それゆえあなたがたはこの会衆を私が彼らに与える土地に導き入れることはできない」(民数20:12)。この「メリバの水」の奇跡の記事において《モーセの何らかの罪が示唆されているが》、それが具体的には述べられていない。フォン・ラートは後代の人々が遠慮して本文を修正したからだとみる(「申命記註解」)。
 モーセの死についてはこう述べられている「ヤハウェの僕モーセヤハウェの命令によってモアブの地で死んだ。《ヤハウェモーセをべト・ぺオルの近くのモアブの地にある谷に葬られたが》、今日に至るまで誰も彼が葬られた場所を知らない」(申命記34:5以下)。人々はモーセの死にも、埋葬にも立ち会っていないのだ。
 バルトはモーセの死について解釈している、
 「またこうも言われている、『モーセの目はかすむことがなく、気力は衰えていなかった』(申命記34:7)。このようなわけでモーセの生の限界が日にみえるようになり、この限界のところで神の裁き、墓、陰府も見えるようになる。モーセも死んだのだ。しかしモーセは十分活気に満ちた者として死んだのだ。《彼がその限界を踏み越えて、最早存在しなくなった時、神ご自身が彼の埋葬者となられたのだ》。また神ご自身が介入なさって、その限界(死)に対して明らかに《自然的な形が再び与えられ》、モーセの墓は見つけることができなかった。《この人間と死の運命との平和》は、神ご自身をとおして全イスラエルにとって注目すべき仕方で目に見える形ですえられた」(前掲書、774)。
 バルトの解釈にあるように、モーセの死は決して通常のものではない。第一に、モーセは確かに死んだのであるが、その埋葬は神ご自身によってなされたこと、第二に、彼の死が「自然的な形」をとつたこと、によってである。