建司の書斎

「キリスト者の希望」、「愛を学ぶ」等の著者、故相澤建司の遺稿説教原稿・聖書研究など。

Ⅷーキリストの来臨への希望-2 日本における来臨待望②中田重治

中田重治の再臨論

 中田重治はアメリカの福音派W・E・ブラックストンの「主はきたりぬ」 (一九〇九)を翻訳出版(一九一七・大正六年、「全集」第四巻所収。中田の著書は翻訳のみで、評論・講演・説教はすべて口述筆記)。「キリストが来たって、この世をきよめ、よみがえりの根拠の上にその王国を樹立したもう時までは、この罪に呪われた地上に千年王国を立てるなどというは失敗に帰するのみである。それゆえキリストが再臨したもうその時までは、千年期なるものはないのである」(ブラックストン、前掲書、中田訳)。これに依拠して中田は「前千年王国説」の立場を支持した。
 さて中田重治は評論「伝道と主の再臨」で述べている、
 「主の再臨に関する思想に二つの流れがある。一つは千年期前再臨説で、他は千年期後再臨説である。前者はキリストが再臨したもうて後に千年王国がきたると信じ、後者は、 世は改善せられてその結果千年王国となり、それからキリストは大審判の時に再臨するというのである。後者のうちにはいまは千年王国時代であると説くのもある。どちらもいますぐにくるのでなく、<千年王国後に>来たりたもうと信じている。前者はキリストの再臨をば一日でも早かれかしと求め、かつ祈るのである。後者は概してそれに対する一度憬がないようである。われらはむろん前者を信ずる。しかし同じく信じていても、十分伝道してからでなければ、主は再臨したまわぬかのごときことを言い、一種変態後の千年後再臨説に類したことを言っている者もなきにしもあらずである。<大いに注意すべきこと>である。聖書には『また天国のこの福音を万民に証しせんために、あまねく天下に宣べ伝えられん。しかるのち終わりに至るべし』(マタイ二四・一四)とある。この宣伝は全世界を教化してからというのではない。この意味がわからないと、まだ救われていない者はたくさんいるから、主の再臨がそう早くては困ると口に言わなくても<腹の中でそう思う>ようになる。されば主よ来たりたまえと心底から祈らないようになる。かかる人は、主よ来たりたまえと祈らなくてもコツコツ伝道して人を救うておれば、主のほうで都合よろしき時においでくださる、とすましているような風がある。これははたして主を愛する者の態度であろうか。ご自分の王国を早く建てたく思っている主の御旨をわきまえおるなれば、冷淡にしておられぬはずである。『われ必ずすみやかに至らん』(黙示録二二・二〇)とあるから、なんとかお答えせねばなるまい。しかるにこちらの都合のために、すなわちまだ救われずにいる親族縁者があるために、しばらくお待ちを願いますと言わんばかりの態度であっては、神の聖霊を憂えしめること最も大いなるものである。われらは主の再臨が近いからいよいよ伝道する。…われらは世はますます悪化していると信じている。されば一日も早くキリストに来ていただくことも、教会にとっても全世界にとっても何より幸いなことであると信じている。…」(一九三三・昭和八年三月、「全集」第四巻、強調<>中田)。
 中田は、再臨運動の時点での評論「主の再臨」の中でこう述べている、
 「主の再臨は、十年内にあるような気がすると、ある兄弟が申された。われらはある一派のごとく再臨の時を定めて騒ぐものではない。しかし時の徴しによりて考え、十年内にあるように思いおることは幸いである。かく考うることは益こそあれ、少しも害あるところのものではない。世はまた泰平になれて腰をおろすことであると思う。かかる時こそ聖徒の目ざむべき時である。再臨の時が切追していると思うことによって、自己の聖潔を熱望するようになる。また熱心に福音を宣伝するようになるのは当然である。『いましばらくありて来る者来たらん。必ず遅からじ』(へブルー〇・三七)。この『しばらく』とある時間を歴数的に論ずるのと、心霊的に味わうのとは大いに違う。心霊的に味わう者にはことしじゅう[今年中]に来たりたもう。でも百年後に来たりたもう、でも信仰には少しも動揺が起こらない。主の来ることの遅速によりて信仰が上下するようでは、まことに主を待ち望む者とぃうことができなぃ」(一九一九・大正八年一月、「全集」第七巻)。
 また説教「主の再臨はいつか」でこう語っている、
 「主の再臨については聖書に、父のほか誰も知る者はいないと言っている。…聖書の中には時のしるしについてわきまえることについて『いちじくによりて譬を学べ。その枝すでに柔らかにして葉めぐめば夏の近きを知る』とある[マタイ二四・三二]。しかし主の再臨はいつかと言えばとて、何年の何月何日にこのことがあるというのではない。ただ終りの近いことを悟るのである。…私はどうしても《数年内に、私の目の黒いうちに主の再臨があるような気がしてならない》。まず、 み言葉によって学んでみよう。…」(一九二七・昭和二年二月、「全集」第六巻、強調、筆者)。
 この箇所からは、中田自身が主の再臨を内村などよりもはるかに近い時期、自分の生前にも起こりうると想定していたことがうかがえる。
 これと関連して《自分の生前に主の来臨があると考えていたと解釈できる人々》がいるようだ。それにはまず、使徒パウロをあげることができる。次に一九世紀ドイツの牧師、父ブルームハルト(一八〇四~ 八〇)。ブルームハルトに関しては「主が再臨された時に、その再臨された主のもとに急ぐためにバード・ボル[彼の住んでいた地区]には、いつも一台の馬車が用意されていたという伝説」が残されているという(井上良雄「神の国の証人ブルームハルト父子」)。第三が中田重治。そして最後にカール・バルトがいる。
 内村鑑三の再臨論は「キリストの来臨・再臨への待望」が近代の日本人キリスト者の心と知性においてみごとに結実したものである。私たちは、欧米の神学からだけではなく、幸いにして近代日本のキリスト者の先達からも、キリストの来臨への待望をより身近なものとして《引き継ぐ》ことができるのだ。
 そればかりではない、特に中田重治の再臨論を巡っては、重大な問題が二つ起きた。一つは、中田の再臨論がユダヤ人のシオニズム(故国帰還運動)に肩入れしすぎていると幹部から批判された(特に「聖書より見たる日本」一九三三・昭和八年一月単行本で出版。六月には五版が発行されるほどのベストセラーとなった。「全集」第二巻所収)。この評論を一つのきっかけとしてホーリネス教団は中田派と車田・米田派、きよめ教会と聖教会とに分裂した(一九三六・昭和一一年)。
 もう一つはホーリネス系教団の説く再臨論の千年王国説の内容が天皇制国家の天皇統治権力を廃棄すべきものとみなしているゆえに「国体を否定する思想」と断定され、国家権力による《ホーリネス系教団弾圧の口実とされた》(弾圧事件は一九四二・昭和一七年六月。検挙された牧師一三四名。起訴された者七九名。獄死・出獄直後死亡八名。拙著「宗教者の戦争責任」八七以下参照。中田自身はこの事件の三年前一九三九年九月に病没)。弾圧下では《中田重治の再臨論とできる限り距離をおき、それと縁を切る擬態によって官憲の弾圧や嫌疑から逃れようとした戦時下教団指導者たち、神学者の醜く破廉恥な自己保身的行動》があった(辻宣道「ホーリネス弾圧と私たち」一九九二)。追い打ちをかけるように、裁判で判決が出ていない時点で、一九四三・昭和一八年四月に聖教会(日キ教団第六部)ときよめ教会(第九部)に「宗教団体法」が適応されて、文部省から教団解散命令が下され、牧師は辞任、教会員は転会、会堂は売却を余儀なくされた。辻氏は中田の外孫にあたるが、中田の黙示録の解釈に対しては厳しい批判をもっている、前掲書。
 筆者は前掲「聖書より見たる日本」に引用された黙示録七、九章に関する中田の解釈は牽強附会のそれだと感じた。例えば、中田は、黙示録七・一~二「この後われ四人の天の使い、地の四隅に立ちて地の四方の風を引き止め…風を吹かせざるを見たり。…またこのほかに一人の天の使い、生ける神の印を持ちて《日いずる方よりのぼり来たる》を見たり」(文語訳)を取り上げて、次のように解釈する、一節の「四人の天の使い」は四大人種、スラブ、チュートン、ラテン、アングロサクソンのことで、欧米の諸国人を指すという。彼らは悪魔の手先で世界平和を乱し、またイスラエルの民を苦しめる。これに対して二節の「日いずる方より昇る別の天の使い」大和民族こそ先の四人の天使を押さえて、イスラエルを救う「援助者の使命」をもつという。日本軍部がやっている軍備增強は「聖書の光をもって見れば」世界平和を乱す者たちを押さえつけ、かつ選民イスラエルを救うために用いられるもので、神は他の民族「日いずるところより昇る天使」日本民族を用いて他動的に、イスラエルの故国帰還を実現させようとしている、と中田は解釈した(前掲書、九章「日いずる所より昇る天使」。千代崎秀雄論文「中田重治の信仰思想と時代」一九七五、参照。「全集」第二巻)。
 現在は中田の再臨論をじっくり検証し、批判すべきは批判しつつ、善きものは受け継ぐべき時期にきている。《聖書の再臨の教説、先達の再臨論》を無視したり、避けて通ったり、単に批判に終始するという態度は、新約聖書の重要な核心「主の来臨への待望」をないがしろにするものだ、先達の再臨論は検証と継承とを要求される重要な信仰的テーマだ、と私たちは考える。