建司の書斎

「キリスト者の希望」、「愛を学ぶ」等の著者、故相澤建司の遺稿説教原稿・聖書研究など。

Ⅳーイエスの十字架と絶望-3 イエスの十字架上の叫び①

イエスの十字架上の叫び さて「イエスがなぜ十字架にっけられたか」については、二つの把握の仕方がある。一つは生前のイエスの活動の帰結である「歴史的な(geschichtlich)イエスの訴訟」として、イエスの十字架の死はユダヤ教の律法から見ると「瀆神者」で…

Ⅳーイエスの十字架と絶望-2 イエスへの審問

イエスへの大祭司カヤパと総督ピラトの審問 さてユダヤ教当局、最高法院でイエスが告発された中心ポイントは、大祭司カヤパの審問にあるように「あなたは讚美される方の子、メシアなのか」(マルコ一四・六一、マタイ二六・六三)、すなわちメシア詐称の嫌疑で…

Ⅳーイエスの十字架と絶望-1 ゲッセマネの夜・男性弟子達の絶望と逃亡

第四章 イエスの十字架と絶望 ゲッセマネの夜 イエスは絶望されたのだろうか。ゲッセマネの夜におけるイエスをみてみたい。 「やがて彼ら[イエスと弟子たち] はゲッセマネと呼ばれる場所に来た。イエスは弟子たちに言われた『私が祈り終るまで、ここで坐って…

Ⅲー貧しい者、病人の希望-4 病人の希望②

長血の女性への癒し マルコ五・二五~三四「一人の女がいて、この人は一二年間長血をわずらって、多くの医者からさんざん苦しめられて、全財産をついやして何のかいもないばかりか、かえってますます悪くなってしまった。この女はイエスのことを聞いて、群衆…

Ⅲー貧しい者、病人の希望-4 病人の希望①

病人の希望イエスの癒し イエスが近づきたもうた一つのグループは病人、身障者である。「丈夫な者に医者はいらない。医者がいるのは病人である。…私は正しい人を招くために来たのではなく、罪人を招くために来たのである」(マタイ九・一二以下)。当時のユダ…

Ⅲー貧しい者、病人の希望-3 絶望した者への祝福

絶望した者への祝福 貧しい者に対するイエスの祝福においては、すでに見たように「絶望した者」も含まれていると私たちは解釈した。この点を取り上げたい。 絶望した者が絶望からの解放の言葉、自分たちを激励する約束を聞いても、とうていそれを受け入れな…

Ⅲ-貧しい者、病人の希望-2 貧しい者への祝福

貧しい者への祝福 さて次に、イエスがこのような貧しい者を祝福されたことによって彼らに何が与えられたか、という問題を考えたい。 取税人や罪人とのイエスの会食(「人の子が来て、飲み食いすると、そら大飯食らいだ、飲兵衛だ、取税人や罪人の仲間だ、とい…

Ⅲー貧しい者、病人の希望-1 貧しい者とは誰か②

(貧しい者とは誰か)続き第四に、用語の問題 イザヤ六一・一にある「《貧しい者に喜びのおとずれを告げ》」において「貧しい者たち」はへブル語「アナヴィーム」が用いられている。この用語にはいくつかの意味がある、第一に、自分の土地を全く所有していな…

Ⅲー貧しい者、病人の希望-1 貧しい者は誰か①

第三章 貧しい者、病人の希望貧しい者とは誰か イエスの平野での説教においては「貧しい者への祝福」が語られている。 「幸いなるかな、あなたがた貧しい者たち、 神の国はあなたがたのものだからである。 幸いなるかな、あなたがた今飢えている者たち、 あ…

Ⅱ-旧約聖書における絶望と希望ー10 ヨブ記③

ヨブの最後の神への挑戦 「全能者よ、私に答よ。わが論敵の書いた訴状、私はそれをわが肩に背負い、 君候たる者のように、彼に近づこう」(三一・三五~三七、関根訳)。 ヨブの「神に近づく」との行動は、ヨブをして聖書的プロメテウスたらしめる。なぜなら神…

Ⅱ-旧約聖書における絶望と希望-10 ヨブ記②

(ヨブの希望についての五つの弁論、続き)第三の弁論 「おお大地よ、おまえは私の血をおおってくれるな。 わが叫びにけして休息の場を見い出すな 見よ、今すでに天にわが証人があり、わが弁護者は高き所にある。 その者こそわがパートナーとなり、私を執り…

Ⅱ-旧約聖書における絶望と希望-10 ヨブ記①

ヨブ記における希望ヨブ記は知恵文学に属すが、成立は前四〇〇年頃。義人の味わう不当な苦しみを主題としている。ヨブ記では、人間の希望の可能性について徹底して《批判的な論議》が展開されている。構成上は、一~二章と終りの四二章後半が散文で、その他…

Ⅱ-旧約聖書における絶望と希望-9b 哀歌・詩篇

哀歌三章 出口のない絶望の中で人はどのように希望をもっことができるのか。このポイントについて、詩篇から離れて、哀歌三章を取り上げたい。「哀歌」はエレミヤのものではないが、エレミヤが活動を中止した直後、バビロニア軍によるエルサレム陥落(前五八…

Ⅱ-旧約聖書における絶望と希望-9a 詩篇

詩篇 詩篇はイスラエルにおける礼拝の中で聖歌隊や会衆によって歌われた讚美歌集で一五〇篇からなる。古いものではダビデの時代(前一〇〇〇年ころ)にさかのぼるものがあり、半数以上は捕囚期(前五九七~五三七)以前に成立し、他方マカベア時代(前一六〇年こ…

Ⅱ-旧約聖書における絶望と希望-8 第二イザヤ

第二イザヤ 第二イザヤとは、イザヤ書四〇~五五章を書いた無名の預言者で、通常第二イザヤと呼ばれている。彼は、第一イザヤよりもほぼ一五〇年後、かつバビロニアの捕囚の地で活動をした。預言者エゼキエルのほぼ二〇年後、前五五〇~五三八年ごろバビロニ…

Ⅱ-旧約聖書における絶望と希望-7 預言者エゼキエル 捕囚の民の聖所

エゼキエル 捕囚の民の聖所 預言者エゼキエルは第一回のバビロン捕囚の時、エホヤキン王、王族、高官、技術者らと共にバビロニアに連行された(前五九八)。彼はその地で預言者としての召命を受け(前五九三)、以後五七一年まで活動した。彼は南部バビロニアの…

Ⅱ-旧約聖書における絶望と希望-6 預言者エレミヤの手紙

エレミヤ エレミヤの手紙 エレミヤは第一イザヤよりほぼ一二〇年後、ユダのエルサレムで活動をした。出身はエルサレムの北東四キロにあるアナトテの地、祭司ヒルキヤの子(一・一、二)。ヨシア王(在位六四〇~六〇九)の宗教改革の時期に預言者の活動を始めた(…

Ⅱ-旧約聖書における絶望と希望-5 預言者イザヤ 静かにふるまうこと

イザヤ 静かにふるまうこと ここでのイザヤは、イザヤ書一~三九章にその預言活動が残されている預言者のこと、四〇~五五章を残した第二イザヤとは区別される。イザヤの活動の舞台は、南王国ユダの都エルサレム。活動の時期は前七四〇~七〇〇年ころ(彼が預…

Ⅱ-旧約聖書における絶望と希望-4 預言者ホセア

ホセア 神の側の転覆 預言者ホセアは、前七五三~七二四年ころ、エリアのおよそ一二〇年後、北王国イスラエルで活動した。彼の活動した最後の一〇年間は、政治的な危機の時期で、アッシリアの王ティグレトピレセル(在位前七四五~七二七) の侵略的な目が北王…

Ⅱ-旧約聖書における絶望と希望-3 預言者エリア

預言者エリア エリアは、 その預言活動が自分や弟子らによって文書として残された記述預言者ではないが、イスラエルにおける最初の預言者である。エリアの活動の時期は、前八六九~八五〇年ころ(北王国のアハブ王のころ)。彼の活動は、列王紀上一七~一九章…

Ⅱ.旧約聖書における絶望と希望-2 マクペラの洞窟

マクペラの洞窟 アブラハムに対する神による二つの約束「子孫増大」と「カナンの土地取得」(一五章など)のうち、後者の土地取得の約束は、出エジプト記やヨシア記のテーマになっていて、アブラハムおよび創世記においては前面には出てきていない。しかしなが…

Ⅱ.旧約聖書における絶望と希望-1 アブラハムの試練

第二章 旧約聖書における絶望と希望アブラハムの試練 アブラハムに待望の子イサクが生まれた(創世二一章、「イサク」という名は子の誕生の予告の時、こんな高齢の夫婦に子など生まれるはずがないとの、アブラハムの「笑い」に由来している、意味も「笑い」)…

Ⅰ.囚われ人の希望ー12 実存の変貌ーソルジェニーツィンの場合

ソルジェニーツィンの場合 財産と魂の関係 ソルジェニーツィンは、囚人になってはじめて「財産と魂の関係」を認識できたと語っている。護送される囚人がその途中で見かける、平穏な生活を送っている人々を見て、その話すのを聞いて、どのように感じたかにつ…

Ⅰ.囚われ人の希望-11 実存の変貌-ドストエフスキーの場合

実存の変貌-ドストエフスキーの場合 ドストエフスキー、フランクル、ゴルヴィッツアー、ソルジェニーツィンの作品、体験記を読み比べると、フランクルとゴルヴィッツアーにおいては、囚われの体験を思索的に深めている感じはあるが、彼ら自身が実存の変貌を…

Ⅰ.囚われ人の希望-10 石の下の詩と真実

石の下の詩と真実 この数年の間に「囚われ人の希望」の形のうちで、ひときわリアルに感じだしてきたポイントがある。それはソルジェニーツィンが「収容所群島」の第五章で述べている「石の下の詩と真実」における希望の形である。 ソルジェニーツィンは収容…

Ⅰ.囚われ人の希望-9 神義論

神義論 神義論とは、正しい者が不当な苦しみを受け、この世で悪人が栄える事実を根拠にして、神の世界支配に疑問をいだき、神の支配が正しいかどうかについて論議することをいう。西欧では、古代ギリシャのテオグニス(前五四〇年ころ)、アイスキュロスの「縛…

Ⅰ.囚われ人の希望-8 苦しみの克服

苦しみの克服 フランクルはこう述べている「囚人が現在の生活の《いかに生きるか》すなわち強制収容所の生活のすさまじさに内面的に抵抗して身を支えるためには、囚人に《なぜ生きるのか》すなわちその生活の目的を意識させなければならない」。 フランクル…

Ⅰ.囚われ人の希望-7 現在と将来 期待の欺き

現在と将来 期待の欺き フランクルは「強制収容所における囚人の存在は《期限のない仮りの状態》と定義される」とみる。これとよく似た心理状態にあるのが、失業者である。フランクルはラテン語のフィニス(finis)という語が「終り」と「目的」との二つの意味…

Ⅰ.囚われ人の希望-6 諦めの人生

諦めの人生 諦めの人生は、パスカルが明らかにしたように、苦境にある自分の苦しみを絶えずしずめ、自分で気晴らしをしなければならない。現実には慰めを得られないものの、現在のもの、はかないもの、いわば見せかけのものをもって自らを慰める人生である(…

Ⅰ.囚われ人の希望-5 善意と愛

善意と愛 ドストエフスキーは、西シベリアのオムスクの牢獄に他の囚人と護送される途中、トボリスクの町で、デカプリストの妻たち四人の慰問を受けた(一八五〇年一月)。デカプリストとは、一八二五年一二月に反乱を企てた貴族、軍人たちのグループで「一二月…