建司の書斎

「キリスト者の希望」、「愛を学ぶ」等の著者、故相澤建司の遺稿説教原稿・聖書研究など。

説教「友なるイエス」

説教原稿

日付不明ー37

タイトル「友なるイエス

テキスト:ヨハネ伝15:11~14

 

 今日は、聖書における友情というテーマを取り上げたいと思う。
 「友情」というのは、古代世界において花開いた愛の形であるといえる。古代中国における「刎頸の交わり」、古代イスラエルダヴィデとヨナタンの友情(サムエル記下1章には、よく知られた友情の詩「弓の詩」がある)。しかし、古代社会で、友情についての作品がいちばん多いのは、古代ギリシャ・ローマである。ホメロスの「イーリアス」に出てくる「アキレウスパトロクロス」、エウリピデスの悲劇に出てくる「オレステースとピュラデース」、プラトンの友情論「リュシス」、アリストテレスの「ニコマコス倫理学」の中にある、フィリア論つまり友情論、古代ローマの哲学者キケロの「友情について」など。このうち、古代ギリシャ・ローマの友情の特徴を少し、スケッチしたい。ポイントは三つほどある。
 第一に、ギリシャ・ローマでは、友情の本質を明らかにしようとの努力がなされた。
 例えば、アリストテレスはこう語る。ーー相手が自分にとって役に立つからつきあうとか、相手が自分にとって快適だからつきあう、というのは本来の友情ではない。本来の友情とは、自分のメリットを求めるのではなく、「相手のために相手にとっての善を願うこと」だという。
 第二に、アリストテレスは、友情というのは、「人間の卓越性に基づく友」「卓越性において類似した人々の間にける愛(フィリア)」、つまりすぐれた人同士の愛だという。貴族と貴族、賢者と賢者というように。キケロの友情論が取り上げている、ラエリウスとスキピオにしても、前140年頃のローマの賢者である。スキピオ(前185~129)は、執政官に任じられ、第三次ポエニ戦争カルタゴ北アフリカにある今のチュニジア)を滅ぼした(彼の父、大スキピオカルタゴハンニバルーー象30頭と5万の兵を率いてアルプスを越えてローマに迫ったーーを敗北させた)。そればかりでなく、スキピオは最高の文化教養の人として多くの文人たちを周りに集めた。ラエリウス(前185~)も執政官につき、雄弁、博識によって賢者とうたわれた。ここでは、友情はエリート同士のものである。言い換えると、
 第三に、古代ギリシャ・ローマにおける友情は、人間的、階級的に対等の者の友情、すぐれた人々エリートの政治家同士、賢者同士のものという「排他性と閉鎖性」をもっていた。対等でない者、賢者と市民、主人と奴隷といった、すぐれた人とすぐれていない普通の人、社会的な階級を異にする人々の間には、友情は成立しなかったのだ。これがギリシャ・ローマの友情の問題点である。
(2)イエスと友
 福音書で、イエスと友が関連する箇所は二つある。

 

 一つはマタイ11:19「彼(イエス)は取税人、罪人の友だ、と人々はいう」。ここの「仲間=フィロス」は友という訳がよい。ここは「当時のユダヤの民衆」がイエスを批判した言葉である。
 「取税人」は、よく知られているように、当時ユダヤを植民地支配していたローマ帝国が課した税金を、ローマ人に代わって、ユダヤ人から取り立てる人々で、同じユダヤ人からはローマの手先として蛇蝎のごとく嫌悪され、軽蔑され、しかも、交わりから締め出されていた。罪人は、いかがわしい職業の人のニュアンスで、遊女、羊飼い(他人の土地に無断で入って羊に草を食べさせるから)などのこと。彼らも交わりから締め出されていた。
 そのような彼ら、ユダヤの生活共同体から締め出された取税人、罪人の友にイエスはなりたもうたーー彼らとの友情の具体的な例が、イエスが「取税人や罪人と食事を共になさる」である(マタイ9:9以下)。食事を共にすることは、社会的な交流の典型である。また、イエスは、取税人の元締めで大金持ちのザーカイとも交流されて、彼を生まれ変わらせたもうた(ルカ19章)。ルカ伝7章には、イエスは罪の女(おそらく遊女)の捧げた高価な香油をやさしく受け入れられた、とある。彼女はイエスの足を洗い、髪に接吻した。これは当時の友情の表現であった。このように、イエスは、人間的、階級的に対等でない者の友となられ、彼らとの間に友情を打ちたてなさった。そして、それによって、古代ギリシャ・ローマの「排他的、閉鎖的な友情の概念」をくつがえされたのだ。そして、キリスト者ばかりでなく、すべての人に、対等でない人々の間にも友情が成立することを示された。
(3)友のために命を捨てる  イエスと友の第二の箇所は、
 ヨハネ15:13~14「人が自分の友のために自分の命を捨てること、これより大きな愛は誰ももてない。私があなたがたに命じたことを行なうならば、あなたがたは私の友である」
ここには、短い文の中に「友=フィロス」という語が二回も出てくる。「自分の命を捨てる=ティテーミ」は、捨てる、捧げる、という意味。この用語は、第-ヨハネ3:16にも出てくる「主は私たちのために命を捨てて(捧げて)くださった。それによって、私たちは愛(アガペー)を知つた」
 ここでイエスは、友情というものが何かを明らかにされるーー友情というものは、友を助けるために具体的に自分の命を賭けていくものである。アリストテレスは友情を「友のために友にとっての善を願う」と定義したが、イエスの言葉のほうが、緊迫感と激しさがある。イエスは、友情をアガペー・愛の頂点として、友のために自分の命を捨てる・捧げることと語られたからである。これは、明らかに「他者の救いのために意識的にご自分を放棄なさる」との決意を語られたものであり、後に、イエスはそれを実行された。
 イエスが私たちの友となってくださる仕方は二つある、としるされている。一つはマタイ伝の、取税人や罪人と食事を共にするという、「友なき者の友となりて」という仕方。もう一つは、ヨハネ伝の、私たちのために「ご自分の命を棒げられること」をとおしてである。弟子たちも、私たちも、イエスのこの自己放棄の死をとおして、イエスの友とされたのだ。
 次に、逆に、私たちが「どのようにしてイエスの友になるか」について、この箇所の前にある12節で、イエスはこう語られたーー「私があなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛しあいなさい」。そして、14節では、これを受けて「あなたがたに私が命じたこと(愛の戒め)をあなたがたが行なうならば、あなたがたは私の友である」と。ここでも、イエスが「私たちを愛してくださった」というイエスの愛の事実が、私たちの愛の根拠づけになっている。イエスが私たちの友となってくださったことに対する応答として、私たちは三つのことをすべきである。
 第一に、「友のために自分の命を賭ける棒げる」を愛、友情の手本にすべきである。
 第二に「私=イエスを思い出すために」(第一コリント11:24以下、ルカ22:19)すなわち、イエスが私たちのために「ご自分の命を捧げられた」こと、その愛の思い出をもちつつ、その愛を忘れないで生きること。
 第三に、前の11節「私がこのことを話したのは、私の喜びがあなたがたのものとなり、また、あなたがたの喜びが完全なものとなるためである」というポイント。この言葉は14節にも妥当する。
 イエスが私たちの友となりたもうたことは、同情などからではなく「イエスの喜び」からであり、また同時に「あなたがたの=私たちの喜び」のためである。ダビデは、友ヨナタンのことを喜びと歌った(サムエル下1:26)。友は私たちの喜びである。そして、11節では、「私の喜びがあなたがたのものとなる」つまり、イエスの喜びが弟子たち、私たちに与えられることによって、友なるイエスご自身が私たちの喜びとなるという(シュナッケンブルクの注解)。バッハも、よく知られたカンタータで「イエスはいつもわが喜び」と歌った。どうか私たちのイエスを喜びとする「喜びが完全なものとなりますように」。
(4) パウローー信仰の友
 パウロが書いた一番短い手紙に「ビレモンへの手紙」がある(341ページ)。ビレモンはコロサイにあった「彼の家の教会」のリーダーのひとり。金持ちの信仰者。このピレモンの奴隷オネシモが逃亡してローマにいたパウロのもとにきて、信仰に入り、ある期間働いていた。パウロは奴隷オネシモを主人ピレモンに送り帰そうとして、ピレモンにこの手紙を書いた。
 17節「もし私をあなたの信仰の友(コイノーノス)と思ってくれるなら、私と同様に彼を(信仰の友として)うけいれてほしい」。
 ここにある「信仰の友=コイノーノス」は、同伴者、同志、仲間、パートナーのこと。パウロは自分の第一の協力者テトスに対して、この用語をもちいている(第二コリント8:23)。
 パウロは、ピレモンに奴隷オネシモを、もはや、奴隷としてではなく、信仰の友、同志として受け入れるように要望している。この要望の背後には、主の前で信仰者は対等であるとのパウロの深い認識があったろう。「主にあって召された奴隷は主によって自由人とされた者であり、また、召された自由人はキリストの奴隷なのである」(第二コリント7:22以下)。
 パウロによれば、主人と奴隷、ピレモンとオネシモ、つまり社会的な階級を異にする人々の間にキリストへの信仰において、信仰を媒介にして、「信仰の友」、「同志」、コイノーノスが成立する。ここでも、ギリシャ・ローマの排他的、閉鎖的な友情の考えがくつがえされている。
 そして、イエスが取税人や罪人の友となりたもうたこと、イエスが、命を賭けて私たちを愛したもうたこと、さらに、パウロが主人と奴隷との間に「信仰の友」を創り上げようとしたこと、このことは社会的、歴史的な揺さぶりを起こし、ユダヤの社会、ローマ帝国を内側から食い破っていった。友情というものは、決して個人的なものだけではなく、社会的、歴史的な広がりと深さとをもっていて、歴史を変え、また新しい歴史、人間の連帯を創り出す者である。そこにはフランスの詩人ルイ・アラゴンが歌ったように「神を信じる者と神を信じない者」、マルクス主義者とキリスト者の連帶も、また、宗平協のような、宗教を異にする宗教者の間の連帶をも創り出していく。