建司の書斎

「キリスト者の希望」、「愛を学ぶ」等の著者、故相澤建司の遺稿説教原稿・聖書研究など。

マリアへの顕現

週報なしー40

タイトル:イエスとマリア

テキスト:ヨハネ20:14~17

 ヨハネ伝の復活記事を学びたい。ヨハネ伝の復活記事の特徴の一つは、復活の顕現に出会う人は、マタイ伝ではマグダラのマリアらと弟子たち。ルカ伝では弟子たちとべテロ、ヨハネでは、マリア(エルサレム)と弟子たち(エルサレムとガリラヤで)。復活の顕現との出会いでは、マグダラのマリアがとにかく筆頭である点。 の重さはべテロら弟子集団をはるかに凌駕している。これがヨハネ伝の特徴の一つである。第二の特徴は、弟子たちの派遣であるが、これはマタイ、ルカ、ヨハネに共通しているが、ヨハネにおいては、特に、ペテロへの特別の召しが目を惹く(21章)。
 20:1~10「さて週の初めの日、マグダラのマリアは、朝早く暗い時に、墓にやってきて、石が墓から取り除けてあるのを見た。そこで彼女は走っていってシモン・べテロとイエスが愛しておられたもう一人の弟子のもとにきて言った『人々が主を墓から取り去りました。私たちは彼らが主をどこに置いたのかわかりません』」。

 

 空虚な墓の発見は、マタイ伝などではマグダラのマリアら数人の女たちによるものであるが(28章)、ここではマグダラのマリア一人による。「マグダラ」とは彼女の出身地でゲネサレ・ガリラヤ湖の西岸にある地。一、4節の「走る」はこの出来事の異様さを示している。3節における弟子たちへの知らせの言葉は、彼女の解釈が含まれている。マリアは、空虚な墓、亡骸の消失は「人々が主(の亡骸)を取り去った(移した)」からだと考えたからだ。
 11~13「マリアは墓のそばで泣いていた。泣きながら墓の中にかがみ込んだ。彼女は、二人のみ使いが、一人はイエスの身体が置いてあった所の頭のほうに、もう一人は足のほうにすわっているのを見た。み使いらは彼女に言った『女よ、なぜ泣くのか』。彼女は答えた『人々がわが主を取り去って、彼らがどこに置いたか私にはわからないからです』」。ーーマリアの状況は、ペテロ、愛弟子よりは、信仰の事態に到達せず、まだイエスの亡骸紛失を悲しみ泣く状況に留まっている。「泣く」は死者への悲しみではなく、痛みと苦しみの表現、ここでは亡骸紛失への嘆きである(13節)。しかし、12節でマリアは男弟子たちより数歩先にまで到達する。それはみ使いの目撃である。空虚な墓でのみ使いの頭現はマタイ28:6などにもあって、イエスの亡骸消失の意味を「解明する」、「イエスはもうここにおられない。よみがえったからである」と。イエスの亡骸消失は「み使いによる解明」がないと私たちにはわからない、どのようにでも解釈できるものにとどまることを言っていた。しかしヨハネではみ使いの解明は述べられていない。ヨハネではみ使いとの出会いから直接イエスとの出会いに話は転回していゆく。
 14~15「こう言った後に、彼女が振り向くと、イエスがそこに立っているのを見たが、それがイエスだとは気づかなかった。イエスが彼女を言われた『女の人、なぜ泣くのか。誰を探しているのか』。彼女はそれが園丁だと思って、言った『主よ、あなたが主の亡骸を取り去ったのでしたらどこに置いたか言ってください。私が引取りたいのです』」
 マリアが身をかがめたまま墓の中から振り向いた。マリアは「そこにイエスが立っているのを見たが、イエスとは気づかなかった」。復活のイエスの存在に「気づかない」というポイントは、エマオの弟子たちの場合、ルカ24:16「彼らの目がさえぎられてイエスを認めえなかった」。ヨハネ21:4「夜が明けるころイエスが岸に立っておられた。しかし弟子たちはそれがイエスだとは知らなかった」。ここでも、ル力もヨハネも復活なさった方の認識は「見ても気づかない」と表現している。復活したかたの認識はそこに実在しない「もの」を認識するようなものではなく、そこに何かが存在するのであるが、その何かはイエスとは同定できない、マリアの場合は、その何かを「園丁」とみなした、そういう種類のものであった。初めから百パーセント理解可能なものは宗教、信仰の対象ではなく科学的な認識の対象である。「不合理なるゆえにわれ信ず」。他方、信じた者は信仰の対象を合理的理性的に了解しようとする「信仰の知解を求める」(テルトリアヌス)イエスはみ使いと同じことを彼女をたずねた。マリアはイエスを園丁だと誤解した。マリアは園丁に丁重にたずねる、「主よ」。彼女の質問「あなたが主(の亡骸)を取り去った、あるいは移したのでしたら」は、園丁が別に悪意ではなくて他の場所に移動したからとの解釈がある。テルトリアヌス(三世紀の教父)は、その園丁ユダは墓にもうでる人々が彼のサラダ菜を踏み荒らしたので、それを避けるために、イエスの亡骸を移動したとの「ユダヤ教からのイエスの亡骸消失に対する合理的な反論」を紹介しているという(シュナッケンブルク)。ヨハネはこのような当時のユダヤ教からの反論をふまえて、それを論駁したと解釈できる。当時のユダヤ教の別の反論には「弟子たちが夜来てわれわれの眠つている間に彼を盗んだ」(マタイ28:13)もあった。
 このような空虚な墓に対する合理的な説明、ユダヤ教の説明・反論はわかりやすいので宗教をよく知らない人はこの説明で満足してしまう。しかし合理的地平においても、園丁遺体移動説、弟子遺体盗難説によっては、イエスの死によって失望落胆し、あるいはガリラヤに移動した弟子集団がべテロを中心にしてエルサレムに集結してかなりな教団をつくり活発に伝道し、その信仰理解(神学)もユダヤ教の論理を崩壊させるパワーをもちえた(ステパノの殉教)、弟子たちのこの「見違えるような変貌ぶり」を説明できない。変貌にはそれなりの出来事がなくてはならない。それが、イエスは死んだのではなく復活したとの信仰の成立である。この信仰は、復活者との出会い、顕現の「目撃」によって成立した(パウロ、第一コリント15章)。復活の「証拠」は「証拠事実」ではなく「証人」である(第一コリント15章)。福音書の線は、そしてヨハネも復活したイエスの「自己顕現」を強調する。イエスの復活なしにはエルサレム教会の成立も、パウロの回心も、使徒への召命も異邦人伝道も存在しなかつたろう。この復活の証人の最初の人物は、マグダラのマリアである。ポイントを明らかにしたのは、女性神学の功績である(モルトマン・ヴェンデル、フオレンツア)。マタイ28:9「すると見よ、イエスが彼女らに出会って言われた、ごきげんよう。彼女らは近寄って《ひれ伏した・その足に接吻すること》」。この出会いは空虚な墓の近く、弟子たちへのガリラヤでの顕現の《前の》出来事である。マルコ16:9「週の最初の日の早朝、イエスは復活して《まず》マグダラのマリアに現われた」。ここ。
 26~17「そこでイエスは彼女に言われた『マリアよ』。彼女は振り向いてへブル語で言った『ラブニ』、これは先生という意味である。イエスは彼女に言われた『私に触れてはならない。私がまだ父のもとに上っていないからである』」。
 イエスを園丁と見間違えたマリアがイエスをそれと知ったのは、イエスに名を呼ばれたからである。「マリアよ」。ここは原文ではマリアム、とあってマリアに対するもともとの表現。名を呼ばれたことでイエスと知つたのは、かってのイエスとマリアとの日常生活の中でしばしばこの呼びかけと応答(ラブニ)があったからである。「その人の名を呼ぶことは、呼びかける人間が誰であるかを言っている。そのように相手を認識することをとおして人は啓示へと導かれる」(ブルトマンの註解)(10:3参照)。ブルトマンはこの時点のマリアはまだイエスを復活したかたとしては認識していない、あくまで「イエスは単に死から舞い戻っただけ」と考えていた、だからイエスをかつてと同じ呼び方ラブニ・先生と呼び、喜びにみちてイエスとのかつての関係を新たにしようとしたという。この解釈は当たっていよう。
 「私に触れるな」は、マリアがイエスの足を抱く接吻する(マタイ28:9)ことを前提にしているとの解釈がある。「ひれ伏す」の意味は、身分の高い人や相手への尊敬の好意「足を抱いて接吻する」こと。イエスの言葉は明らかにマリアのその行為を押し止め遮断することを求めている。
 イエスに触れるなとの理由は「私がまだ父のもとに上っていないから」とある。単純には、イエスが父のもとに行く、高挙ののちには「イエスに触れる」ことは可能であり許されると言っている。イエスの高挙はヨハネではおびただしく出てくるーー6:62、7:33、13:1、13など。高挙はヨハネにおいては受難においてなされたことの完成であり、本質的なものである。また高挙は霊の到来の前提、条件である、16:7。ところがトマスはイエスの手と脇に触れるように求められていて、接触は禁じられていない、27節。このようなことから、この17節と弟子たちへの顕現、22節「イエスはこう言って彼らに息を吹きかけられて言われた『聖霊を受けよ』」との間には、イエスの高挙日(父のもとに上ること)が起きたと解釈できる(ベネット),行伝1:3では復活のイエスは「40日間たびたび彼らに現われた」とあって、イエスの復活顕現と高挙は相前後する出来事、復活、40日の顕現、高挙となっているが、ヨハネでは「復活」、「高挙以前のマリアへの顕現」、「高挙後の弟子たちへの顕現」とあって、他の福音書とは全く別の構成になっている。イエスの栄光化、霊の授与は、弟子たちへの現在の復活顕現の出来事として現在すでに起っている。
 ブルトマンの解釈では、マリアに出現したイエスは「本来的な中間状態」、復活の「後の段階」で高挙の「前の段階」にある、とみる。すなわちイエスが父のもとに行った後には、再び弟子たちとも交流、身体的接触もなされる。それが20,21章の中心テーマである。
 ヨハネ伝はこの言葉「われにさわるな」がマリアにどのような反応を呼び起したかは述べていない。モルトマン・ヴェンデルはこう解釈している。「私たちはこの言葉が引き起こすショックを消し去ることができない。これは最早やさしく近づけるイエスではない。マリアは最早自分の気持ちのままイエスを抱くことも、できない。女性が望む連続性がここでは断ち切られてしまった。…一つの密着性、全体性、直接性が、固着と持続性が死んだのである。死んだメシアがでなく、イエスの失われた肉体が初めて彼女を絶望に陥れる」(「イエスをめぐる女性たち」)。マグダラのマリアがこの時味わった「ショック、あの地上のイエスの喪失」をモルトマン夫人はよくとらえている。しかしマリアはこのようなショックに留まってはいられない。別の「指示」を復活のイエスから受けたからである。17節後半以下。