建司の書斎

「キリスト者の希望」、「愛を学ぶ」等の著者、故相澤建司の遺稿説教原稿・聖書研究など。

アウグスティヌスの回心  ロマ13:13~14

1996-36(1996年9月以前)

アウグスティヌスの回心  ロマ13:13~14

 パスカルは人が信仰に入る方法は「習慣によって、理性によって、霊感によって」の三つがあると言った」(「パンセ」)。霊感によって例を取り上げたい。
 古代ローマの最も偉大な神学者アウグスティヌス(354~430)は、北アフリカのヌミデア(今のチュニジア)の町タガステで生まれた。父は町の中流の地主、母は敬度なキリスト教徒で「賢母」として知られるモニカ。アウグスティヌスの著作は膨大で特に信仰的自伝「告白」(400、山田晶訳)や「神の国」(426)などはよく知られている(いずれも翻訳が岩波文庫にある)。
 アウグスティヌスの回心の経緯は「告白」に詳しい。
 彼が学んでいた大学のあるカルタゴは、ローマ帝国の中でも大都市で、経済的に繁栄し文化は栄え学間研究も盛んであった(三世紀のテルリアヌスはカルタゴの人である)。他方、性風俗は乱れていた。男子は17・8才になると愛人と同棲する習慣であった。(私は学生時代からアウグステイヌスにひかれていたが、それは彼が「情欲の問題」で悩んだ人物だったからである。私はそこに自分の問題と似たものを感じてきた)。
 16才のころをふり返って、アウグステイヌスはこう述べている「齢一六の時、私は汚れた人間の風習によって放任されているが、あなたの法によっては許されていない凶暴な情欲が全権をふるい、私は完全に屈伏してしまいました。家の者は堕落しでいく私を正当な婚姻で抑えようとは配慮しませんでした」(2、1)。彼は16才の大学生の時、カルタゴで出会ったある女性と同棲し、2年後には子まで生ませ、15年間連れ添った。
 大学では2年間哲学、修辞学、弁論術を学び故郷にもどり哲学の教師をし、後にはカルタゴで29才まで哲学を教えた。
 当時のローマ帝国の宗教はキリスト教が優勢でそれにマニ教があった。母モニカからは小さいころからキリスト教について教えられていたが、彼の哲学的な興味、宗教的な求めにこたえてくれるものは「マニ教」に思えた。
 マニ教は三世紀にペルシャでマニが起こした新宗教で、またたく間にローマ帝国内に広まった。マニ教は「光と闇」「善と惡」の二元論を説き、この世は光と闇の抗争だと主張し、人間のすべての悲惨は、肉体に魂が閉じこめられた状態にあることに起因する、だから光である魂が闇である肉体から解放されることこそ、人間の救いだと教えた。彼は18才の時マニ教に入り、その後10年間この宗教を信じていた。しかしながら、やがてその教えに疑問を感じてきた。マニ教は「肉体を悪」というが、彼は「悪いのは、肉体ではなく、むしろ神にそむく人間の意志、魂の中にある悪をなそうとする意志にある」と考えるようになった。彼は29才のころマニ教を離れた。
 その後30才の時、彼はイタリア本土のミラノ大学の修辞学の教授となる。むろんこれは出世である。この帝都ミラノで彼はすぐれたキリスト教の指導者、司教アンブロシウスに出会った(15才年上の神学者、「アンブロージアン・チャント」の創始者)。彼はアンブロシウスの説教に耳を傾けるようになって、高度のキリスト教に触れたと思い、特に「聖書の比喩的な解釈」に感動した。
 しかし、アウグステイヌスがキリスト教の信仰に入るには大きな障害があった。それは彼が「情欲のとりこ」であった事実である。「私を激しくとらえ苦しめていたものの大半は、飽くことをしらぬ情欲を満足させようとする習慣」であった。16才ころからの女性との同棲は、ミラノに移っても続いていた。結婚外のこの合法的な同棲生活(コンクビトゥス)の相手は、本妻の資格のない身分の低い女性であった。ミラノにやってきた母はこれを知つていたが、あらためて強く反対した。母モニカは、結婚、出世の妨げとしてその女性を別れさせることにし、彼自身をしぶしぶ承知させた。
 「彼女にしっかりと結びついていた私の心は引き裂かれ、傷つけられ、だらだらと血を流しました。彼女は今後ほかの男を知るまいとあなたに向って誓い、彼女から生まれた私の息子を残してアフリカに帰ってゆきました」(6・15)。
 この無名の女性について山田晶の研究が出た「アウグステイヌス講話」(l987)。それによれば、この女性は身分こそ賤しい人であったが(結婚の対象となれないコンクビーナ)、やさしい立派な女性で、その後も誓いどおり独身をとおした。伝説によれば、その女性はアフリカに帰って後、修道院に入り、一生を終えたという。これは悲しい愛の物語である。母モニカの彼女に対する扱い(身分制度のゆえに強引に別れさせた)あるいは彼自身の態度も、少し冷たく感じる。ただ15年間つれそった点に彼の暖かい心情をみてとれる。別離は31才の時であった。
 こののち彼は強引にある令嬢と婚約させられたが、その令嬢の年が若すぎて2年間は結婚できない。「待つ期間の長さに耐えかねて、情欲の奴隷であった私は別の女をこしらえました。その女を肉欲の習慣の相手にする」ためであった。しかし、新しい女との関係は別れた女性との別離の傷をいやすどころか「かえってそれは激しい熱と痛みのあと化膿して、痛みは前よりもいっそう絶望的なものになってゆきました」(6・16)。別れてのち15年後に出た「告白」のこの部分は、あの女性に向けて書いたように感じられる。離別した女性のことを彼は忘れられなかったのだ。
 この時期の「霊と肉との闘争」のすさまじさ、情欲にとらわれた自分のみじめさについては次のように書いている(これも31才のころである)。
 「私をとらえて離さなかったのは『古なじみの女ども』(情欲の象徴)であり、私の肉の衣をひっぱってこうささやくのでした。『あなたは私たちを捨てるつもり?そうしたらあなたはあのことも、このこともできなくなるのよ』。…私は『彼女たち』を払いのけようとしましたが、その手を振り切って(神の)呼ばれる方向に飛び移るのをためらっていました」(8・ll)。
 回心。彼はそのころミラノの友人のもとに引きこもって生活をしていた。彼は肉欲の思いを断ち切れない自分にひどく悲しみ、涙にくれていた。
 「すると、どうでしょう。隣の家から繰り返し歌うような調子で少年か少女か知りませんが『とれ、よめ。とれ、よめ』という声が聞こえてきたのです。
 私はどっとあふれる涙をおさえて立ち上がりました。これは聖書をひらいて、最初に目にとまった章句を読め、との神の命令にちがいないと解釈したのです。そこで私は急いで友人のすわっていた場所にもどりました。そこに使徒の書を置いてあったのです。それをとって最初に目にふれた章句を黙つて読みました。
 『宴楽と泥酔、淫乱と好色、争いと嫉みを捨てよ。主イエス・キリストを着よ。肉欲を満たすことに心を向けるな』(使徒パウロ、ロマ13:13~14)。
 「この節を読み終わった瞬間、いわば安らぎの光とでもいったものが、心の中に注ぎこまれてきて、すべての疑いの闇は消え失せてしまったのです」(8・12)。
 子供たちの遊びの歌声「とれ、よめ(取れ、読め)」は彼にはある種の「霊感」として作用したが、彼はそれを「神の命令」と解した。有名なこの劇的な回心は、32才の時のことであった。彼はこの「告白」の冒頭で神についてこう述べた、「あなたは私たちをあなたにむけてお造りなりました。それゆえ私たちの心はあなたに憩うまでは安きを得ることができないのです」(1・1)。
 アウグステイヌスは十数年間にわたる長い長い苦闘のすえに、やっと「彼の心が神に憩う安らぎを体験した」といえよう。彼はアンブロシウスから洗礼をうけた。
 愛しながらアフリカに去っていったあの女性は、すでにみたように、別れにのぞんでアウグステイヌスに「今後ほかの男は知るまい」つまり決して他の男性とは結婚しないと彼の前で「貞節を誓った」。この事実が彼に強い感動と影響をおよぼしたにちがいない。あの人は別れてもういない。別の愛人をつくったことは「あの人」を強く求め慕う自分に気づいただけで、しかもそれは恥ずべきことに「あの人」を裏切ったことになる。どうすれば「あの人」と会えるのか。「あの人」は今や《貞節の国》すなわち、かたく独身を守り《異性を近づけない生き方の世界》にいる。だったら、自分もその「貞節の国」に行けばいい、異性を近づけない生き方をすればよい。アウグステイヌスは肉欲との闘争中すでにこの「貞節の女神」に出会っていた「《貞節》が姿を現し、ためらわずに来るように手まねきし、私を受け取りかき抱くため敬度な手を差しのべました」(8・ll)。
 アウグステイヌスに情欲の生活を断ち切る決心をさせた、真の動機になったのは、むろんあの回心体験であるが、同時にそこに「あの人」の存在が作用していたと解釈できる。従来の解釈では「別れたあの人への未練を断ち切って信仰に入る、古なじみの女ども、肉欲の生活から決然と離れた」とみなし、「あの人」もこの「古なじみの女ども」の中に入れて解釈した。しかし「あの人」は決して「古なじみの女ども」には属していないとみるべきだ。肉欲の相手との別離に「彼の心がどくどく血を流す」はずがないからだ。
 《人を情欲から離れさせるものは、特定の異性への強く純粋で真実な愛である》つまりどれほど離れていようとも、あるいは、相手の身体に触れることができなくても、あるいは《互いに会うことができなくても、終ることがない愛(アガペー)が存在する》と私は考える。この愛の形をパウロは「アガペー(愛)は決して終らない」と言った(第一コリント13:8)、グレアム・グリーンは「私たちは互いに会えないのです。だからこそ、愛には終りがないのです」と述べた(「情事の終り」)。アウグステイヌスは回心の折り読んだパウロのあの言葉「主イエス・キリストを着よ。肉欲を満たすことに心を満たすな」に、肉欲の愛(クビドー)でなく、「会わないでも、あの人の体にふれることなく愛する」、すなわち「アガペー・愛に生きよ」との神の声を聞いてこの愛に生きようと決断した、「キリストを着る」とはその意味だと私は考える。