建司の書斎

「キリスト者の希望」、「愛を学ぶ」等の著者、故相澤建司の遺稿説教原稿・聖書研究など。

イザヤの召命(1)  イザヤ6:1~5

1996-8(1996/6/9)

イザヤの召命(1)  イザヤ6:1~5 

 いわゆる「預言者の精神」というものがある。明治期以来、大多数のプロテスタント教会が、信仰を内面や魂の問題に限定し、政治的社会的な方面では、ただただ政府の戦争政策に追随していったのに対して、内村鑑三柏木義円矢内原忠雄などが、時々の国家の政治的、社会的な動き、戦争政策に対する批判や評論をしていった活動を意味している。私たちが預言者たち、イザヤについて学ぶ場合この「預言者の精神」、国家と宗教の間題に焦点をしぼりたい。ここでは1~12章を取り上げたい。
 イザヤの活動の時期。
 1:1「アモツの子イザヤがユダのウジア、ヨタム、アハズ ヒゼキヤの世に、ユダとエルサレムについて見た幻」。ここはイザヤの活動時期についての重要な記述である。
 また6:1には、イザヤが預言活動を開始した時点、彼の召命について述べている。「ウジア王の死んだ年」(6:1)。南王国ユダの王ウジアは、その治世は前783~742年まで、したがって「ウジアの死んだ年」とは742年である。イザヤが活動した次の三人の王の治世は、ヨタム(742~35)、アハズ(735~15)、ヒゼキア(715~687)であるが、特にアハズ、ヒゼキヤの時期は、古代イスラエルの大動乱の時期にあたる。世界帝国アッシリアの覇権が北王国、南王国に追ってきた。アッシリア王ティグレトピラセル(745~727、歴代上5:6、26、下28:20)はシリア、パレスチナに遠征を始めた(734)。イザヤの活動時期は740~700年頃である。
 イザヤの召命。イザヤの召命、すなわちイザヤが神によって預言者として遣わされること「行ってこの民に語れ」(6:9)は、前740年ころのことであった。預言者ミカと同時代に活動したことになる。
 イザヤはエルサレムの住人であったようだ。また上流階級の出身であった点は「アハズ(王)に会って彼に言いなさい」(7:3)などから、自由に王と話ができたこと、また彼が召命をうけた場所がエルサレム神殿らしいこと(6:4)からわかる。「イザヤがエルサレム神殿の祭儀にたずさわっていたとの証拠はない」(フォン・ラート「預言者たちの使信」)。イザヤが結婚していたこと、子がいたことは子らに象徴的な名をっけたことからわかる(7:3、8:3)(フォン・ラート「旧約聖書神学」)。
 イザヤの召命はきわめて「特異」である。なぜならエレミアらがいきなり「主の言葉が臨んだ」(エレミア1:2)形で活動を開始するのに対して、イザヤは召命の時点で特異な信仰体験、自分の罪の赦しの体験をしたからである。それはこうしるされている6:1~5「主が高い堂々としたみ座にざして、その衣のすそが神殿いっぱいに拡がるのを、私は見た。その上にセラピムたちが立ち、おのおの6つの翼を持ち、そのうちの二つをもって顔をおおい、二つをもって足をおおい、二つをもって飛んでいた。彼らは互いに呼び交わしていった『聖なるかな聖なるかな聖なるかな、万軍の主、その栄光は全地に満つ』。彼らの叫び声によって、敷居の基が揺り動き、神殿の中に煙が満ちた。その時、私は言った『わざわいなるかな、私は滅びる。というのは、私は汚れた唇の者で、汚れた唇の民の中に住んでいるのに、万軍の主なる王を私の目が見たからだ』」。
 イザヤの召命の特異性は、まず1~3節のエルサレム神殿における「み座にいます主を見た」見神体験である。この体験が、神殿(原語では「天的地上的な王宮」カイザー)の「中におけるもの」か(その場合には、イザヤは神殿の祭司であるかもしれないが)あるいは、神殿の「前庭におけるもの」であるか(その場合イザヤは一信徒)は明らかでないが、とにかくこの体験がきわめて個人的なものであった印象をうける。
 1節後半「神の衣のすそが神殿いっぱいに満ちるのを見た」は、この見神が神ご自身の姿ではなく「神の衣のすそを見た」もので「ここではみ座にいます神の姿を具体化することは回避されている」(カイザーの注解)。「み座に座す主を見た」とは神が支配しているのを見たという意味である。
 2節の「セラピム」は「ケルビム」と同様、神に仕える霊的存在、み使いでケルビムは二つの翼をもつが、セラピムのほうは六つの翼をもつ。セラピィムは14:29、30:6に「翼ある蛇」と同一のものとみなせるが、6:6において、セラピムの一人が「火ばしで炭を手にもって」とあるから、セラピィムは「蛇の体、鳥の翼、人の顔、手、足をもつ複合的存在で、神に仕える霊的存在」(関根正雄「注解」)と考えられている。「聖なるかな」の三唱は、神が圧倒的に「聖である」ことを示す(イザヤ8:13、レビ19:2、詩99:3など、「万軍の主」はすべての天的、地上的な権力に対する神の無限の力を表現している)。神の聖性はイザヤの信仰思想の中心ポイントである(関根)。ここでは、聖なるものは神自身の現臨される所に存在するという意味である。神の臨在が目撃ばかりでなく、セラピムの讃歌という聴覚的な事件である点も注目すべきである(列王上19:11以下)。また3節後半の「主の栄光」が全地に満ち、敷居を振動させたことは、現われた聖なる神の臨在を示し、イザヤのいう神の聖なる存在が人に「ヌミノーゼ、すなわち畏るべき神秘」(オットー「聖なるもの」)を与えることを告げている。適切ではないが、神の絶対的超越性をイザヤの体験は証言している。
 5節のイザヤ自身の言葉はそういう意味である。「わざわいだ、私は減びる」の「わざわいだ」は恐れや不安にある時の自らの叫びで、その人の絶体絶命をさす(エゼキエル37:11)。この「わざわいだ」の理由は三つあげられている。
 第一に「私は減びる」。これをカイザーは「私は沈黙しなければならない」と訳すが文脈がつながらない。むしろここの「私は滅びる」は、イザヤが聖なる神の現臨に直面して罪ある自分の死に直面し、死を経験した、という意味である。イザヤにおける神の聖性の開示は、何かすばらしい、とてつもない神の神秘の開示とはならず、むしろ人間の側、イザヤ自身の「滅び、汚れ 罪、知られざる自己の実態」を暴露した 人間が神の聖性にふれるとはそのようなことであろう。このあたりがイザヤの深いところだ。
 「わざわいだ」の第二の理由は、神を見た者は死ぬという見解による。士師6:22、23。  13:22「マノアは妻に向って言った『私たちは神を見たから、きっと死ぬであろう』」。出エジ33:20「あなたがたは私の顔を見ることはできない。というのは、私を見た者はいかなる者も生きないからである」。イザヤの言葉「私は減びる」においても、「私の目が万軍の主なる王を見たのだから」(5節後段)を根拠にしている。
 第三の理由はイザヤの人間把握「汚れた唇。汚れた唇の民」。6節には「罪、とが」と表現されている。「汚れた唇は、その人間の状態、思いを写し出すその人間全体の汚れを表現する」(カイザー、マタイ15:18以下)。ここの「汚れた唇の者」は、聖なる神の前に、神賛美の言葉を語れない「きよくない、神にむかって不敬虔な言葉を語る人間存在」(関根)の意味である。9:17「彼らはみな不信仰であって惡を行い、すべての口が空しいことを語る」、29:13「この民は唇をもって私を敬うが、その心は私から遠く離れている」など。イザヤ個人のもっていた問題性は、人間の言語活動における、神に対する不敬虔、神賛美しないこと、神の前での自分の唇と心の乖離であった。今や神の聖性に直面してイザヤのもっていた従来の(言語)活動は「汚れ」として把握された。
 旧約聖書の預言者群の中で、このように明白な罪の(赦し)の体験が語られるのは他に例をみない。イザヤより前のホセア、イザヤ以後のエレミヤにおいて、預言者の個人的な信仰体験がうかがえるが。
 見神体験において、神の聖性にふれて、イザヤが自分の汚れを深く把握して、自分が滅びる、いわば死に直面して「わざわいだ、私は滅びる」と語ったこと。これは、彼の出会った神の姿が本物であったことのしるしである。神の聖性は、汚れた存在に対して滅び、絶対絶命にまで追い込むと同時に、汚れた存在をきよめ、その者に新しい将来を創りだすものでもある。6節以下。